ロバート・ダーントン
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エピグラフ
この怒り狂ったたアジテーションは、どこから来るのか。クラブやカフェでさかんに民衆を煽り立てている群なす貧乏書生や法律家たち、また、無名の作家や飢えた三文文士からなのだ。彼らこそは、こんにち民衆が身に帯びている武器を造り出した温床なのである。―P・J・B・ジェルビエ 一七八九年六月
支配階級に飼い馴らされた啓蒙主義
社会の階級秩序に挑むどころか、彼らは、それに支持を与えたのである。
英雄的啓蒙主義から後期啓蒙主義への移行は、「上流社会」と融和させ、減びゆくアンシャン・レジーム最後の日々の「甘い生活」に浸らせることにより、啓蒙の運動を飼い馴らされたものにしてしまったのである。
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リベルタン文学の流行とその象徴たるテレーズ
しかし、こうした文学はポルノグラフィと早計に結論づけてよいものか。ダーントンは歴史的文脈に準えて以下のように結論づける。
それらはポルノグラフィとして考えられるのだろうか。現代の辞書の定義と法的判断にもとづけば確かにそのとおりである。それらが通常強調するのは、そういった文学の猥褻な性格、すなわち性行為のあからさまな描写と、読者の性的な興奮をかき立てるという暗黙の目的であった。しかし十八世紀のフランス人は普通そういった観点から考えもしなければ、「純粋な」ポルノというジャンルを好色小説、反教権的論文、その他の「哲学書」から区別したわけでもなかった。ポルノグラフィという観念がその言葉そのものと同様に発達したのは十九世紀で、図書館員が穢れていると思った本を選別し、パリの国立図書館の禁書棚や大英博物館の非公開ケースのような禁制部部門に厳封した。厳密にいえば、ポルノはヴィクトリア朝初期に着手された世界の浄化運動の対象に属するものだった。十八世紀には存在していなかったのである。
リベルタン文学の終局サドによれば、最も単なるポルノグラフィから一線を画する作品は『女哲学者テレーズ』である。サドは現に、前掲書が有する単に好色的で放蕩的なそれと似て非なる傑出した価値を認めていた。 『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』(一七九七年)でこの文学を回顧したとき、サドは別の「艶物文庫」の中身を描いた。『淑女学院』、『B…師の物語』『ロールの教育』などなんでもあった。しかし『女哲学者テレーズ』を除いてどれ一つとして彼の眼鏡にかなうものはなかった。「ダルジャン侯爵の筆になる魅力的な著作です。目的を明らかにしながらその一部分しか実現させていませんが、淫楽と残酷さを巧みに按配している唯一の作品で、その構想の素晴らしさからいえば、おそらく不朽の名作として残るでしょう」。世紀末までには『女哲学者テレーズ』はポルノというラベルはまだ貼られていなかったかもしれないが、アンシャン・レジーム下で一般に認められていた良識の範囲をはるかに超えて性を取り上げた、文学全体のなかでも最高の作として傑出していた。 ではそれは具体的にどの点において他の作品に対し傑出した価値を発揮したのか。
性交と形而上学の融合
性と形而上学が一体を成すことには如何にして理解可能か。「どのように主題がお互いに補完しあっているかを理解するには、本の初めの部分を開いてみればよい」。この相反する概念の融合は「「ディラグ神父とエラディス嬢の間に起きた事件の覚書」という副題で予告されていた」のだ。
テレーズが明らかにしたところでは、ディラグは宗教上の同輩に勝りたいというエラディスの野心につけ込んで誘惑した。この神父は苦行で肉体を克服することで精神を自由にするという原則にもとづいて、精神的な訓練を命じた。鞭打ちが神父お好みのテクニックだった。肉体から不純物を取り除き、魂を恍惚境にまで高めるために鞭打ちは用いられた。その恍惚境が聖者への道になることさえあるというのだった。エラディスは自分の大胆な行為の秘密の目撃者になるよう誘いながらテレーズにそういったことすべてを説明した。こうしてテレーズは小部屋からうっとりと見つめている。エラディスは祈りながらスカートを腰までたくし上げてひざまずき身をかがめる。ディラグが尻を鞭打って非常に興奮させるので、エラディスはいまや最終兵器である聖遺物を受け容れる準備ができている。神父はその聖遺物を、聖フランチェスコが実際衣服のまわりに巻いていた紐の固くなった部分だと言う。テレーズは他のませた子供たちと性的遊技をしたことがあったので、それがほんとうは何なのかわかっている。あるいはむしろ別の司祭が教えてくれたもの、すなわち一匹の蛇で、すべての男が股の間に持っていて、アダムがエデンの園でイヴに対して使ったものだと知っている。ディラグの蛇はエラディスの上の穴に向かって固くなって張りつめる―放蕩文学全体においてソドミーはイエズス会の教義と同一視されていた―、しかし意志の英雄的な努力によって、善良な神父は「宗教どおりの道」を選ぶ。神父は背をまるめて、弟子と調子を合わせて喘ぐ。弟子の方は天国にいるものと信じている。ついに恍惚の頂点に近づくと、エラディスは叫ぶ―「天上の幸福を感じています。精神が完全に物質から切り離されたのを感じます。どうか神父様!私のなかに残っている不純なものをすっかり追い出して下さい。天⋯⋯使⋯⋯⋯が見え⋯⋯る。もっと突いて⋯⋯さあ突いて⋯⋯ああ!⋯⋯⋯ああ!⋯⋯⋯いいわ⋯⋯⋯聖フランチェスコ様!やめないで!ひ⋯⋯⋯ひ⋯⋯紐を感じる⋯⋯もうだめ⋯⋯⋯死にそう!」
こうして性交による恍惚は、精神の牢獄たる肉体からの瞬間的な解放としての宗教的恍惚として倒錯されることで、性行為は聖行為となるのだった。しかしそれは物心二元論蔓延る十八世紀に至極真っ当な帰結だったのである。単独であれ相互であれ、オルガズムを経験した者へ齎される、肉体から引き剥がされ独特の浮遊感に浸るあの感覚は、キリスト教が掲げる宗教的恍惚に最も近しいものであることは間違い無いだろう。 一度始まった神と性の融合ダイナミクスは止まらない。例えば「「私たちには神が自然法をつくられたのだという確信があるのだから、神の与え給うた方法で神の創造物であるわれわれの生理的欲求を解き放ったからといって、どうして神を怒らせるのではなどと恐れることがあろうか。ことにこの方法が社会に定まった秩序をまるで乱さないときには」。そういう意見は啓家思想の穏健派と一致している。社会の階層的秩序に挑戦するようなことをせずに、神と自然法の規範的秩序を考慮したのである。」などとして、性を原理的に肯定する。幾度ない上記のような問答を通してテレーズは終章に自らの立場を帰結する。
こうした理性と快楽の均衡を為すテレーズ的理想像の象徴たるは作品に登場する紳士、伯爵である。「伯爵は血筋から言っても本物の貴族だが、種々の資質を備えている。「彼のすべてが彼は考える人、紳士であると物語っています。そして紳士とは理性と趣味を備え、そして偏見を持たないことによって紳士なのです」。伯爵は「自分の主人である人間」の、「分別のある人、哲学者」の理想である」。
勿論、テレーズの著は上記で挙げたような伝統的哲学者群に留まらず、同時代を席巻した機械論的宇宙観が参照されている。しかし同時にそのテクストの様式は、機械論的な雰囲気漂う冷淡な散文ではなく、一人称で人物の歩みを追体験するかの如く読者を誘惑するリベルタン文学であった。
肉体が機械として現われるのだ。液体、繊維組織、ポンプ、水圧―そういったものが性変を描く素材なのである。それで次の瞬間には、テレーズは「なんという機械仕掛けでしょう!」と言う。そして修道院の性的抑圧の影響を描く際に、テレーズは体液が誤った管に逆流し「機械全体に異常」をきたした、と述べる。十七世紀の機械哲学からもたらされた機械の暗喩が、後のリベルタンたちに世界を理解する同質の方法を与えた。テレーズはディドロやドルバックやラ・メトリと同じ言語を話す。テレーズの物語はラ・メトリの『人間機械論』と同じ年に出版され、同じ考えを述べている。引力と同様、性交においてもすべては同一の原理、すなわち運動する物質に還元される、という考えである。もちろん『女哲学者テレーズ』の説得の技法は、『人間機械論』の冷たく平板な散文とはまったく異なっている。それは伯爵がテレーズを誘惑するのと同じ方法で―すなわち読書そのものの換気力で読者を誘惑する。書庫の好色小説をすべて読み通した後で初めてテレーズは性交の覚悟ができる。C夫人は『B⋯師の物語』を読んで非常に興奮して、妊娠の恐怖にもかかわらずT神父に身を捧げる。十八世紀の読者は、そういう本はルソーの言ったように、「片手」で読む―ということは自慰のために読む―ものと理解していた。ミラボーは『わが改宗、あるいはやんごとなきリベルタン』の序文で、世間一般の態度を最もあからさまに述べている。「[この本を]読んで世界中がマスをかいてくれますように」。T神父がC夫人に説く自慰擁護論は、既に改心した自分の愛人にというより、まだ罪の意識があるかもしれない読者向けのものだった。(...)読者の防御はテレーズの防御と同じ方法で崩されねばならない。共犯者にされねばならないのだ。このアプローチの基本戦略は一人称の語りであり、基本戦術は覗き見趣味である。(...)読者は物語に巻き込まれたと感じなくてよい、というのは、覗き込んでいる第三者として読むことができるからだ。知られることなく登場人物の最も内密の行為を覗き見ることができる。そして十分熱心に見た後で、読者はテレーズの眼で見るようになる。いつもテレーズは隠れ家から性交中または自慰の最中の恋人たちを見張っている。読者はその肩ごしに見ることになる。「この場面のどんなささいな状況も見逃さないような所にいました。この場面が演じられた部屋の窓は私の隠れていた小部屋の正反対にありました。エラディスは床にひざまずいたところで、祈疇台の段の上で腕を組み、頭を両腕で支えていました。シュミーズはていねいに腰のところまで上げられて、みごとな腰とお尻が半ば横から見えました。」 選民的啓蒙書はなぜ革命へ加担するか。
またテレーズの書は選民的なマニフェストであったことは理解しなけれならない。次のような方法をもって為された。
『女哲学者テレーズ』はシャンパン=牡蠣的読者層に向けられている―初期啓蒙主義の作品のほとんどがそうであったように。モンテスキューは『法の精神』を切り刻んで短い章立てにして、警句を付け、サロンの上流人士向きにした。ヴォルテールはプティ・パテ(反宗教的パンフレット)を同じ方法で消化しやすくした。一七四八年以前に哲学として通っていたものの多くが学問的論文ではなくパンフレットの形をとっていた。それらの大半はサロンと王宮向きに限られたままで、原稿のまま流通することもよくあった。その最も重要な作品である『哲学者』(一七四三年)は、哲学は「ル・モンド」すなわち学者や文士稼業の世界とは反対の上流社会のものだ、と主張していた。哲学は気が利いていて、うまく書かれていて、偏見がなく、趣味がよくなくてはならない。『女哲学者テレーズ』は完璧にその公式に合致していた。 そうした公式に乗じたのは単なる流行に留まらず、ヴォルテール、ひいては学識的リベルティナージュに端を発するかに思われる確固たる信条に基づくものである。 このようにして選民思想を明らかにした本書は、皮肉にも公民の手に届き、社会秩序を謳うはずが革命へ加担した。なぜこうした逆説的な現象が浮上したのか。ダーントンは以下のように考察する。
『女哲学者テレーズ』の作者はたぶんサロンのインテリという狭い世界にねらいを定めていたのだ。この本が出版から二五年後にベストセラーになり、テレーズの哲学を初期啓蒙主義の軌道からはるか遠くへ運び去って行くだろうとは、きっと予想もしなかっただろう。しかしまず第一に、制御がきかずにどんどん進んでしまう可能性はもともとそのレトリックに備わっていた。近年文芸批評が証明したことが何かあるとすれば、それはテクストがみずからの土台を侵食し、みずから課した束縛を突き破ってしまうという傾向である。『女哲学者テレーズ』がまさにそうだ。既成秩序の尊重をふれ回りながらあまりにも断言しすぎなのだ。T神父がテレーズに尊重する必要を説くのは、「家庭の平安」、「結婚という聖なる絆」、「隣人を自分自身のように愛せよと説く自然法」である。神父はC夫人に、「既成社会の内的秩序を乱すことのない快楽」だけにしておく必要について熱弁をふるう。伯爵が同じ主題を繰り返す。そしてテレーズは、一巻のまさに最後の一文でこう褒め称える。「結局王、王族、お役人などのさまざまな高位高官は、それぞれ自分の地位の義務を果たしているのだから愛し尊敬されるべきです。なぜなら、そういった人びとはそれぞれ全体の福利に貢献するために活動しているのですから」意図したことはをこれ以上明確に伝えることはほとんど不可能だろう。しかし議論を危険水域に導く暗流がある。簡単にいえば、快楽主義的計算は社会の底辺で苦痛と快楽を比較考量する者にとってはまったく異なった作用をしたかもしれないのである。もし既成の秩序を正当とする唯一の理由が幸福を最大にすることであるにもかかわらず自分が惨めなら、農夫や労働者は、そして職人や商店主といえども、なにゆえそれを尊重せねばならないのだろうか。『女哲学者テレーズ』はこの難題を、快楽主義は良家の読者に向け、残りの者は宗教に任せることでさっさと片づけてしまう。しかし残りの者の地位も一七七〇年までには向上していた。その多くが読むことができるようになっていた。そして聞く耳をもつ者は、一七七六年にアメリカの独立宣言によって世界中に送られたリフレイン、「幸福の追求」を小耳にはさんだかもしれない。テレーズとトマス・ジェファーソン―仲間としては奇妙な取り合わせだが、それぞれの道を行く革命家の仲間ではある。 これは以下のテレーズに贈る伯爵の「実用主義的訓戒」に象徴的である。「幸福を達成するには自分だけの快楽、自分が授かった情感に合った快楽をつかむべきです。そのさい、この快楽の享受から生じる得失を計算し、その得失を自分自身だけでなく公益という点からも考慮するよう注意するべきです」。ダーントン曰く「このロメオは利他主義者ではない」。なぜなら自らの幸福のために、あくまで実用的な理由で以って公的福利を比較考慮に入れるべきであって、「自分が惨めなら、(...)それを尊重せねばならない」理由はどこにもない。よって自らの幸福が欠損される場合は、社会秩序を蔑ろにする口実となり、見事「テクストがみずからの土台を侵食し、みずから課した束縛を突き破ってしまう」のだった。こうして社会秩序を切に願う伯爵の論理は、革命へ加担するのだった。