フォントネル
レオ・シュトラウスの『迫害と著述の技法』によれば、リベルタンは当時の厳しい出版検閲制度のもと、危険視や異端視されかねない自信の主張を監視の目を掻い潜って伝達するために、詩、空想小説、演劇、歴史物語と歴史調査書、対話、エセー、パロディ、書簡、断章といった形式を目眩しのために採った。さらに修辞学上の手法も駆使した。具体的には、当てこすりや目配せ、婉曲、隠喩、引用、虚言、皮肉、逆説や撞着、議論の唐突な開始、議論の分散、その意味が意図的に歪曲された文章の寄せ集め、意図的な饒舌、その反対に、饒舌より多くを語る沈黙などである。これらは、相応の知的訓練を受け、行間を読むことに長けた読者でなければ、読み飛ばしたり、著者が真に意味するところを取り違えたりしてしまう罠である。学識的リベルティナージュの伝統において、このような手法の典型例としてフォントネルの文学作品が存在する。(『啓蒙思想の百科事典』) 唯物論的無神論
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思想的にはフォントネルは、一言で評するならば、最後の自由思想家リベルタン、最初の「哲学者フィロゾーフ」ということができる。フォントネルはというと、一世紀にわたる長いリベルタンの流れの最後に位置し、理性に照らして真でないものは、すべて疑わしいとするデカルトの方法を、生来のリベルタン的批判精神の新しい武器として、これを政治や宗教にまで及ぼし、これらの分野で、理性による容赦のない批判の刃を振るったデカルト派のリベルタンであった。そしてこのような思想的傾向や批判の手法からみても、さらにはまた、その時代を代表する数々のサロンの常連であり、会話の達人、また洗練されたエピキュリアンであったという点からしても、彼がすでに典型的な十八世紀の「哲学者フィロゾーフ」であったことは明らかだろう。 フォントネルは「近代派」の領袖として、歴史の進歩を確信し、「進歩の思想」の推進者の一人になった。その意味でも彼はすでに十八世紀人だったといってもよいだろう。彼は人間の理性的能力の進歩、科学・技術の進歩、それらに基礎づけられた未開から「文明」への人類の進歩を力説する。そして人類の進歩を推進する重要な要素としての科学・技術が、次第に彼の関心の中心になり、一六九九年には王立科学アカデミーの事実上の責任者というべき終身書記になって、八三歳の高齢に達するまで、四十年以上にわたって、この激職を引き受けて活躍した。(...)その彼が、リベルタンとして宗教批判を進歩の思想と結び付けて、卓抜な理論を展開したのが、十七世紀に書いたといわれる『神話の起源について』という驚くべき小品であって、ここでは、宗教は人類の未開の時代にあっては最良の世界解釈の表現であり、それゆえすべての民族がその始原において、例外なく宗教を持つけれども、しかし宗教は人間精神の進歩と、それにともなう理性の成熟によって、ことさら目の敵にして叩かなくても、やがて必然的に無用の長物として捨て去られるだろうという独創的な宗教観が示されるのである。
デカルト派のリベルタン、科学研究の促進と啓蒙の中心的存在、進歩の思想の推進者、だが、これがフォントネルのすべてではない。彼はまた人間はつねに変わらず愚劣で、「貪欲」、「野心」と「淫欲」に狂う存在であり、しかもこのような人間の本性は永遠に変わらないと確信している。それは彼の出世作『新篇死者の対話』のテーマの一つであり、彼は、十七世紀のリベルタンに特有の、この醒めたペシミスティックな人間観から出発したのだが、このペシミズムは、その晩年にいたるまで一貫した、彼の思想の、いわば通奏低音であって、この低音が彼の進歩の思想に独特の微妙な色合いを与えているのだ。
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十六世紀後半の宗教戦争の後を受けたフランス十七世紀は、カトリックの反宗教改革運動が漸く実を結び、信仰の息吹が高まった宗教的な時代であった。(...)この時代のこうした宗教的な雰囲気をうかがうには、時代を代表するパスカル、ラシーヌ、ボシュエらの名を思い起こすだけで十分だろう。しかし、この宗教的な高揚を底から掘り崩すかのように、ルネサンスの反宗教思想を受け継いだ自由思想の水脈が、絶えることなくこの世紀の思想の世界の地下を流れ、さらにそこへ、デカルトの思想や近代科学の成果など新たな要素を吸収しつつ、世紀末には、一段と大きい流れとなって啓蒙の十八世紀に流れ込む。十七世紀はじめには、イタリア・ルネサンスのアニミスティックな宇宙観の影響を強く受けた詩人テオフィル・ド・ヴィオーのグループ、十七世紀前半には、広大な博識を駆使して、霊魂不滅や奇跡、予言、さらには神の存在まで疑った「人文学者リベルタン」のル・ヴァイエやガブリエル・ノーデ、世紀の真ん中を横切った、異端思想の万華鏡ともいうべき「哲学者」、シラノ・ド・ベルジュラック、ついでサン=テヴルモンなど、十七世紀後半に輩出した社交界のエピキュリアンたち、そして最後に十七世紀末には、デカルト派のリベルタンが現れて、理性に明晰判明なものだけを真と認め、不確実なもの、曖昧なものを、すべて虚偽として斥けよというデカルトの方法を武器にして、鋭い宗教批判をはじめる。フォントネルは、このデカルト派リベルタンの代表的な存在であった。最後のリベルタン、最初の啓蒙思想家といってよいだろう。 しかしデカルト・マキシマリストではないことは注意しなければならない。「彼は、デカルトの哲学体系のうち、コギト、すなわち人間の霊魂不滅の証明や神の存在証明を根幹とするデカルトの形而上学は全く捨て去ってかえりみず、デカルトの方法をリベルタンの伝統と結びつけて」批判した。彼はデカルトの「理論の大筋においては受け入れながらも、その誤りは躊躇なく認めて、理論を修正する、柔軟なデカルト派であった」のだ。そんなフォントネルはいかなる人生の軌跡で以て、デカルト派リベルタンという十七世紀思想のキメラたりえたのか。赤木は以下のようにする。
ルアンのイエズス会の学校に学んだが、文学作品を耽読したようで、十七世紀はじめの大恋愛牧歌小説、オノレ・デュルフェの『アストレ』や、バロックの大長編小説、スキュデリー嬢の『クレリー』のことは『世界の複数性についての対話』の中でも再三触れられているし、のちにはラ・フォイエット夫人の名作『クレーヴの奥方』を愛読して、すぐれた批評文まで残している。またデカルトやデカルト派最大の哲学者マレブランシュの代表作『真理の探究について』などを読んで、デカルトの思想の強い影響を受けたが、同時に唯物論者の生理学者ギヨーム・ラミの著作や当時禁断の書で、徹底した聖書批判を展開したスピノザの『神学政治論』などの悪書を読んだことも疑いなく、その他、当時のさまざまなリベルタンをも織って、作家として活躍を始めた当初から、合理的な批判を体得し、人間の愚劣を痛烈に自覚し、宗教にたいする醒めた、容赦のない目をもっていたことを感じさせる。 その後伯父トマ・コルネイユの後押しのもと、詩、非喜劇、オペラによって華々しく文学界に進出したがそれは失敗に終わった。その後も詩人、劇作家としての文学者的側面は晩年まで続くが、好評をもって迎えられたのはルキアスの『死者の対話』の流れを汲む『新篇死者の対話』である。 『新篇死者の対話』は、ホメロスとイソップ、ソクラテスとモンテーニュ、十六世紀スペインの名君、カルロス5世とエラスムス、パラケルススとモリエール、十七世紀ロシアの王位簒奪者、第三の偽ドミトリーとデカルトなど、合計三六組の対話からなり、人物の対比や意想外の組み合わせの面白さ、それに機知溢れる対話が魅力で、読み飽きないが、そこに盛られた人間観は、リベルタン思想の伝統的な、あのペシミズムであった。人間世界を動かすものは盲目の情念であり、もしかりに情念に代わって、理性がこの世を支配したとしても、そこにもたらされるものは単調と倦怠のみであろう。人間は常に愚かであり、永遠に変わらず愚かであり続ける。このような醒めた、ペシミスティックな人間観、これが彼の出発点であり、同時期に書かれた『ギャラントな手紙』と題された書簡体の作品でも、ルアン社交界の軽佻で気障な風俗の記述のなかに、その道徳的腐敗の鋭い啓発を忍ばせるのである。(...)『新篇死者の対話』では、科学にたいする懐疑的な発言が、しばしば見られていて、われわれの注目を引く。この作品によれば、現代人は、たしかに古代人のもたない近代科学を持っている。しかしそれは人間が生きるためには、無用、無力であり、知識の進歩はありえても、人間にとって本質的な進歩はあり得ない。なぜなら人間の「心は決して変わらないが、人間とは心なのだ」からだ。さらにまた、この作品に登場する同時代の大哲学者デカルトは、自分の思想に疑いを持ち、「現代人も、古代人と同じく真理を見出していない」とさえ断言するのである。 科学アカデミーに掲載された本序文は以下のような問いから始まる。
数学と自然学(physique)への興味の普及が何に役立つというのだろうか?〔科学〕アカデミーの仕事はいかなる有用性(utilité)に由来するものであろうか?これはよくある疑問である(...)。
ここでいう有用性(utilité)とは、個人や一家族の利益関心よりも、都市や集団全体に関わる公共的(public)な次元での利益関心を想定している。フォントネルはそうした有用性において次の二種類を考えた。第一に提唱するのは実用技術への応用可能性である。
フォントネルが念頭に置くものは軍事と商業貿易、医学の貢献であり、天体観測の航海術応用、大砲の弾道計算、方位磁石作成、解剖学などをその功績としてあげる。
第二に提唱されるは「精神的、哲学的と表現される有用性」である。フォントネルはむしろ前傾したテーゼ、すなわち技術にすぐ応用できそうな理論しか検討しない科学の矮小化にのみ属す在り方を批判する。
技術とすぐに影響関係を持てるようなものである限りでしか理論を発展させようとしない