ガブリエル・ノーデ
ルイ十三世の不人気な寵臣リューヌ公を抽象するために印刷流布した多くのパンフレットに対して反論を行ったもの。古典の引用をちりばめてそれらのデマゴーグの所論に根拠のないことを論証しようとしている。
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伊藤敬あとがき
ガブリエル・ノーデは、まずなによりもリベルタンであった。リベルタンというと、あたかもマルキ・ド・サドのように放蕩無頼のイメージを周囲にまき散らした人物を連想されるかもしれないが、この言葉には「自由思想家」という意味もあって、ノーデやラ・モット・ル・ヴァイエ、ギー・パタン、ピエール・ガッサンディといった一七世紀前半に活躍した人文学者リベルタンとその周辺の人物には「品行方正のやぶれかぶれ」という形容がぴたりとあてはまるおもむきが認められるのである。しかし、かれらがForis ut moris est, intus ut libet.(外ではしきたりにかなうように、内では意にかなうように)というモットーをつらぬいたおかげをもって、無神論的な思想信条を持っていたにもかかわらず、権力の中枢近くで活躍をつづけ、前世紀のエリエンヌ・ドレのごとく焚刑の憂き目にあうことは免れている。