テオフィル・ド・ヴィオー
この年の春、「作者が不在」のために、友人たち、とりわけデ・バローの尽力で刊行された。 イタリア自然主義とカルヴァンの系譜としての悲観主義詩人
ヴィオーは二重予定説の教理の世俗化ともとれる「宿命」を謳うことで、決定論的悲劇観を育む。それが独創的なのは、キリスト教のもつ救済の不在であり、徹底的な自然主義者であるヴィオーは虚無へ向かう決定論をもったことで、死への恐怖をより一段と強める結果となった。 ヴィヲーの日本における紹介役となった赤木 昭三と、彼が依拠したヴィヲー論を展開するアントワーヌ・アダンが強調するペシミスティックな詩を、死という主題以上により詳細に紹介する。そこには人間の不可能性が随所で描かれ、世俗化されたカルヴァン的諦念のようなものが顔を覗かせる。 アダンや赤木はヴィオーの悲観主義的色調をイタリア自然主義哲学に求める。が、井田はヴィオーのイタリア自然主義哲学の宇宙観における傾倒を認めたうえで、ペシミスティックな人間観はカルヴァンに基づくものだと考える。
アダンや赤木氏が、強調してやまないヴィオーの世界観や人間観におけるこうした「暗いペシミスム」はアダンによれば、ヴァニニから引き継いだイタリア自然主義哲学 naturalisme italien からきているという。われわれもこの影響を否定はしないが、われわれの考えでは、その「暗さ」やペシミスムはむしろヴィオーの精神の奥深くまで沁み込んでいるカルヴィニズム、すなわち人間は万能の神の前ではまったく無力で惨めな存在であり、個人のすべての運命はあらかじめ神によって決定されてしまっているという、カルヴァン派的意識(決定論)からきているように思われる。カルヴァン主義の詩人への影響の問題は後でも再度取り上げることとして、ここではアダンの説を見てみよう。彼に言わせると、ヴィオーは師匠ヴァニニとともに、「自然」の観念を正統カトリックの認める「神」の観念と置き換えており、それゆえ〈運命〉Destin も人間のさまざまな悲惨もすべて、この「自然」が包含しており、この「自然」が生み出したものであるという。こうした「自然」即神と見るヴァニニの「自然」の方がブルーノのそれより秘術的でなく、自動運動する機械論的自然観となり、その意味でデカルトの世界観により近づいているようにも思われる。したがってヴァニニやブルーノにとって「自然」とはもちろん、近代的意味での客観化し測定しうる対象物、自然現象としての自然ではなく、「生きた自然」、「すべてを生み出す甘美な母なる自然」nature douce mére' 「豊穣な自然」nature fécoede である。(...)ヴィオーのこうした宿命観、宿命に縛られた人間の自由のなさや惨めさの観念、さらには未来の予測不可能性といった決定論的観念や不可知論的諦念は、アダンが言うようにヴァニニやパドヴァ学派、ブルーノ―両者ともに魔術的星辰思想をも内包している―からの影響は否定できないにしても、彼がカルヴァン派のプロテスタント出身であると言う事実も少なからず影響している、というよりこの事実こそが、少なくとも詩人の世界観や人間観・人生観の「暗さ」やそのペシミスムの主因であったとさえ感じられる。(...)「私たちは、ここの人間に定められた神の恩恵を〈予定〉とよぶ。なぜなら神は、すべての人間を平等な状態につくったのではなく、ある者を永遠の生命へ、ある者を永遠の断罪へと定めたのだから。このように、人間はつくられている目的にしたがって、死または生に定められている」(『キリスト教綱要』)。つまりカルヴィニズムの二重予定説―個人の運命は生前から神(の意志)によりあらかじめ決定され、予定されており、ある者は永遠の救い(天国での永生)が、またある者には永遠の滅び(地獄落ち)が定められているという絶対的決定論―からきている部分も少なくないように思われる。これまで例示してきた詩句に見られた詩人の世界観、人生観、人間観には、アダンや赤木氏が問題にしているイタリア・ルネサンス思想ばかりではなく、カルヴィニズム信仰に含まれている不可知思想や決定論的思想(神の人間に対する権威の絶対性・至高性)あるいは人性のあらゆる出来事が神によってあらかじめ決められてしまっているため、それからは絶対的に逃れられないといった意味での至上不動の掟としての〈宿命〉思想、さらに言えば神から人間への、上から下への一方的な絶えざる働きかけの受認といった思想が反映されているようにわれわれには思われる。(...)ヴィオーの詩には、中期と晩年の二回のカトリックへの回心―正確に言えば第一回は改宗、第二回は回心―にもかかわらず、前・後期を問わず全生涯にわたって、カルヴァン派的な思惟体系が認められ、その世界観や運命観、さらには人間観にあっても、カルヴァン派的な見方・考え方が最後まで残存していたと言えるのではなかろうか。 「前世紀および今世紀の二大ヴィオー学者であるアントワーヌ・アダンとギッド・サバも、テオフィル・ド・ヴィオーが逮捕・投獄により、それまでのリベルティナージュ思想を捨て、「第二の回心」を経て、正統的キリスト教信仰すなわちカトリック信仰に帰還したこと、しかも「第二の回心」が火刑から逃れるための方便ではなく真摯なものであったことを認めている」点で、井田は「1623年以前の詩人の初・中期の思想のみを取り上げ、ヴィオーが〈宇宙霊魂〉説、魔術的星辰信仰、ルネサンス・アニミスム思想などを中心とするイタリア・ルネサンス思想(フィッチーノ・ブルーノ・ヴァニニ・パドヴァ学派哲学)を受け継いだ代表的・典型的リベルタン」とする赤木=アダン学説から袂を分ち、「1624年初頭の「第二の回心」以降の後期ないし晩年におけるヴィオー」論の刷新を試みるのである。すなわち、ヴィオーは後期及び晩年にリベルティナージュ思想を放棄し、キリストに回帰したのだ。 これは井田が刊行したヴィオー全集の言葉だが、上記の立場を明瞭に示しているため引用したい。「私は本書において、アダン以来のこれまでの定説、すなわちヴィオーは十七世紀の代表的自由思想家(リベルタン)で、宇宙的なアニミスムと理神論を主体としたイタリア・ルネサンス(パドヴァ学派)の自然主義哲学の継承者・体現者という見方を否定しないにしても、疑問を投げかけ、むしろ本質的にはカルヴァン思想の体現者ではなかったろうかという、まったく新しい見解を提起。すなわち赤木 昭三氏さらにはギッド・サバ氏などはテオフィル・ド・ヴィオーの決定論的思惟、人間に無関心な冷厳な神観念や彼のペシミスティックな人生観や人間観は、パドヴァ学派などに見られるイタリア・ルネサンスの自然哲学に依拠したリベルティナージュ思想から来ているというアントワーヌ・アダンの伝統的見解を踏襲しているが、私はヴィオーのそうした諸性質はむしろカルヴァンの二重予定説からくる決定論的世界観や彼の徹底したペシミスティックな人間観や人生観から来ているのではないかとの立場から考察した。」。
初・中期の宇宙観
赤木氏がすでに指摘しているように、テオフィル・ド・ヴィオーは地動説を信じていた可能性があり、少なくともその存在は明確に知っていたと思われる。地動説自体はすでに古代ギリシャ時代より存在しており、ピタゴラス派のフィロラオスの説―宇宙の〈中心火〉の周りを太陽や地球その他の惑星がまわるという説―が最初と言われているが、地球が太陽の周りを回るという本格的な地動説はアリスタルコスが最初らしい。近代的意味での地動説はプトレマイオスを経て十六世紀前半のコペルニクスまで待たねばならないが、ヴィオーはその友人たちとともに、こうした近代的な地動説を知っていたと思われる。アダンはその根拠として、シャルル・ソレルの『フランシヨン滑稽物語』の「夢」の一節を挙げている(...)。ヴィオーはソレルとかなり親しかっただけに『フランシヨン』の「夢の記述」(...)は、赤木氏も指摘するように、ヴィオーが地動説を知っていた証拠にはなるが、必ずしもそれを信じていた証拠にはならないのは当然である。しかし当時の状況では、そのことを公然に認めることは宗教裁判にかけられ、異端として火刑に処せられる危険があったことを考慮するなら、ヴィオーやサン=タマン、あるいはシャルル・ソレルなど当時のリベルタン詩人たちは内心ではおそらくこうした地動説を信じていたと推測されるのであり、この点でも、彼らは当時としては非常に進んだ科学的・合理的精神を持った学識的リベルタンでもあったと言えよう。