カルヴァン
邦題は意訳で『魂の目覚め」(久米あつみ訳『カルヴァン論争文書集』所収)となっていますが、原題のギリシア語はプシュ(psycho=魂)+パン(pan=すべての、全面的な)+ニキア(nychial夜)からなる造語で、直訳すれば『魂の完全な夜』となります。事態としては、人間の魂は、肉体の死のあと、不活性になり完全に眠りにつくということを指しています。ただしカルヴァンがこの論文であえて主張しているのは、これとは逆の事態です。すなわち、彼が患とするキリスト教徒においては、死後もその魂は目覚めていて、最後の審判の日における神の再来を追い求め続けるというのです。
彼ら信者たちは、神の完全なる栄光をつねに追い求め続けている。(…·...)もしも選ばれた者たちの目が、神の至高なる栄光を目標としてめざすなら、最後の審判の大いなる日が完成をもたらして神の栄光が成就するときまで、彼らの欲求はつねに途上にある。
Contre la secte phantastique et furieuse des Libertins qui se nomment spirituelz
神学者カルヴァンはフランドルから伝わりフランスとジュネーヴで繁栄していたペラン派に対してこの語を使用している。首謀者のアミ・ペランは自らを「ジュネーヴの子」と称したが、ジュネーヴ教会の側から見た歴史叙述においてはリベルタンと綽名されることが多い。カルヴァンはそうしたリベルタンを以下のように描写する。 彼らは、各人が肉体的放縦の手綱を緩めようとして深慮なく欲望に屈するようになるために、キリスト教の名の下に善悪の区別を取り除き、甘言によって良心を眠らせることによって、単純な者たちを放縦な生活に誘っていた。(...)彼らは堕落していて、欲望を抱くことに危惧を抱かないため、野獣のような肉体的感覚のほかは知らない。