カルヴァン
邦題は意訳で『魂の目覚め」(久米あつみ訳『カルヴァン論争文書集』所収)となっていますが、原題のギリシア語はプシュ(psycho=魂)+パン(pan=すべての、全面的な)+ニキア(nychial夜)からなる造語で、直訳すれば『魂の完全な夜』となります。事態としては、人間の魂は、肉体の死のあと、不活性になり完全に眠りにつくということを指しています。ただしカルヴァンがこの論文であえて主張しているのは、これとは逆の事態です。すなわち、彼が患とするキリスト教徒においては、死後もその魂は目覚めていて、最後の審判の日における神の再来を追い求め続けるというのです。
彼ら信者たちは、神の完全なる栄光をつねに追い求め続けている。(…·...)もしも選ばれた者たちの目が、神の至高なる栄光を目標としてめざすなら、最後の審判の大いなる日が完成をもたらして神の栄光が成就するときまで、彼らの欲求はつねに途上にある。
Contre la secte phantastique et furieuse des Libertins qui se nomment spirituelz
神学者カルヴァンはフランドルから伝わりフランスとジュネーヴで繁栄していたペラン派に対してこの語を使用している。首謀者のアミ・ペランは自らを「ジュネーヴの子」と称したが、ジュネーヴ教会の側から見た歴史叙述においてはリベルタンと綽名されることが多い。カルヴァンはそうしたリベルタンを以下のように描写する。 彼らは、各人が肉体的放縦の手綱を緩めようとして深慮なく欲望に屈するようになるために、キリスト教の名の下に善悪の区別を取り除き、甘言によって良心を眠らせることによって、単純な者たちを放縦な生活に誘っていた。(...)彼らは堕落していて、欲望を抱くことに危惧を抱かないため、野獣のような肉体的感覚のほかは知らない。
「カルヴァン神学の中心教義は予定説(二重予定説)である」というアレクサンダー・シュヴァイツァーの学説は、マックス・ヴェーバーらに影響を及ぼした見方ではあるが、「予定」の項目が現れるのは、『キリスト教綱要』第3版からである。予定の教義は、カルヴァンの死後も後継者の手によって発展し、1619年、ドルト会議の「ドルト信仰基準」(ドルト信仰告白)などを経て、カルヴァンの死から約100年後のウェストミンスター教会会議(1643年7月1日 - 1649年2月22日)において採択された『ウェストミンスター信仰告白』(1647年)によって現在見られるような形で一応完成した。それ以来、改革派神学者の保守的陣営において、19世紀の終わりまでは二重予定論に関して、ウェストミンスター信仰告白の枠組みを抜本的に変えることを迫るほどの新しく有効な議論が起こされた形跡はない。以来3世紀以上の間、世界中の教会で信仰告白と教理問答は聖書に従属する信仰基準として採用されている。しかし20世紀に入ると、カール・バルトが主著『教会教義学』等のなかでカルヴァンやウェストミンスター信仰告白の二重予定説を強く批判したのを受けて、それまでは保守的陣営にとどまっていた改革派神学者たち自身が、二重予定説の立論そのものについての抜本的な再検討へと動き始めた。