ミシェル・ドゥロン
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はじめに
ドゥロンは2000年、即ち21世紀の始点に本書を刊行した。その意味を示唆してか、リベルティナージュが現代に及ぼす有り様を次のように描く。
現代人は二世紀前の放蕩を絶えず懐かしんでいる。1968年の五月革命では、共同体と裸と規範の拒絶と快楽の分配が推奨された。人はそれまでに幻想を抱き社会を作りあげてきた先達のことなどあまり気にせず、善き未開人であろうとした。そしてパンツを脱ぐのと同じくらい簡単に、節操や規律を捨てられると信じていた。(...)二十世紀から二一世紀への転換期にはもっと実際的な変化が現れた。無政府主義が弱まると同時に放蕩の傾向が強くなった。五月革命の美しい陶酔を掲げることはなくなり、人は現実の重みをより知るようになり、個人は複雑なものであるという意識やベールと暗示の戯れに回帰した。(...)一八世紀との道徳の揺らぎには現代の道徳の揺らぎと共通点が多い。 第一章の末尾に「歴史的調査を経たのちには、私たち現代人についての考察も行われるべきである」とあるように、本書は単なる18世紀のリベルティナージュ研究ではない。その現代性を追求しそれを葬られた場所からひきもどすことを可能にした書なのである。
第一章
リベルティナージュの両義性についての姿勢
リベルタンはタブーと違反の、現実と想像の中間に位置している。リベルタンは主な法には逆らうが、行動の時と場所に応じて学識豊かな人間にも誘惑者にもなり、哲学者にも社交界人士にもなる。また、放蕩は文学のテーマやライフスタイルに見られるように既存の体制を覆す思想の集合体や共謀網として恐れられることもある。(...)ディドロの作品が公教的あるいは公的であり(『百科全書』に関するものや演劇に代表されるもの)、秘教的あるいは個人の秘密である(『ラモーの甥』や『ダランベールの夢』のように非常に急進的なせりふで構成されているもの)という両義性をもつのと同様に、サドの作品は告白小説(『アリィヌとヴァルクール』)と、いうまでもない『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』やジュスティーヌや『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』のように、そこから激しい拒絶を引き起こす小説とを比較して初めて意味を待つようになる。一八世紀の放蕩は愛すべき放縦と放埒な堕落との間の緊張、婉曲な暗示と明白な猥褻さとの間の緊張、話、愛する自由と社会規範との間の緊張を必要としている。 この「両義性」がリベルタンひいてはリベルティナージュ研究に最も重要な地点である。例えばルネ・パンタール(René Pintard)は“Le Libertinage érudit”にてその両義性を、快楽中心の放蕩主義としての18世紀的リベルティナージュと、それ以前の既存権力に抗うことで自由を求める知的運動としての17世紀的リベルティナージュとして区別し説明している(フーコーの『狂気の歴史』も大枠これと同じである)。だが、ドゥロンはこうした区別を批判する。 宗教的、政治的権威といざこざを起こす反体制派の姿を浮かび上がらせる古文書の研究と、幻想の場面の働きを示す文学作品の分析を別々のものとして対置するのは軽率である。実践と物語の間には常に交流があるからだ。(...)今ではスタンダードな表現となったルネ・パンラールの表現を使えば、思想史家は「学識的リベルティナージュ(Libertinage érudit)」に関心をもっている。「小話」の愛好家が得意とするのはオルレアン公フィリップの恋愛沙汰や鹿猟園の醜聞、オペラ座の舞台裏や地位の高い高級娼婦についての話である。(...)しかしながら自由主義思想の社会的効力、そしてその社会的効力が世論に喚起するイメージの力は、こうしたさまざまな分野との間に確立した関係や、それが引き起こす意味の変化と切っても切れないものである。 このように「人間とは分類好きなものであり、人は一つ目の資料(古文書の中に詰まった警察の報告書)や二つ目の資料(私信や自伝的回想録)と、忠実に尾ひれをつけて語り」研究を試みるわけで、その象徴が思想史家による知的リベルティナージュと文学史家による享楽的リベルティナージュである。本節の冒頭引用の末尾にあるように、ドゥロンはこうしたリベルティナージュの二極の緊張関係を分離することなく研究することを試みるのだ。
リベルティナージュ史
そこで両義性の緊張関係を理解するためにもまずはリベルティナージュの勃興と衰退をみなければならない。そしてそれは「リベルタンたちの思想の源は反キリスト教」にあることを理解することに始まる。
〈libertinage〉(放蕩)と〈licence)(放埒さ)と〈excès〉(行きすぎ)との間に確立された関係を理解するためには、ラテン語の語源及びその語がフランス語に入ってきた歴史にさかのぼらなければならない。ラテン語の〈libertinus〉いう語は解放奴隷やその息子を意味し、フランス宗教戦争の間にフランス語に入ってきた。フランス語における最初の使用例としては一四四七年の新約聖書の翻訳版にラテン語の意味に由来したものが見受けられる。そこでは〈libertin〉はキリスト教に改宗したサラセン人の奴隷の名を挙げるのに使われている。この語は自由や正しい信念と、社会的格下げや道徳的悪習という矛盾する考えを併せ持っているようである。神学者カルヴァンはフランドルから伝わりフランスとジュネーヴで繁栄していた宗派に対してこの語を使用している。改革派の神学者カルヴァンは、自然の中に神を見ようとし宗教を政略家によるただのでっちあげに単純化しようとする試みに対して猛烈な怒りを示し、一五四五年には『フランシスコ会厳格主義者と名乗る途方もなくひどいリベルタンたちに対して』というタイトルで痛烈な非難をしている。カトリックの護教論者がその攻撃を引き継ぎ、〈libertin〉の語は厳しい正統性に対していくらか距離をとったあらゆる宗教的立場と道徳上の振舞いを指すようになる。 この語源史は非常に興味深い。なぜならラテン語の用法、1447年の新約聖書の翻訳版、カルヴァンの使い方はどれも一貫する破片を含意する。それは軽蔑であるといえよう。ラテン語と新約聖書においては奴隷という意味がそれを示唆しているし、汎神論者の批判-神権政治の道具としての宗教利用-におけるカルヴァンの憤りも全くもって同じである。その軽蔑的な語として継承されたものが新約聖書、カルヴァン等を通じて宗教学的な軽蔑擁護に変容したと考えられる。
従ってリベルタンとはまさに反抗者である。そして放蕩とはルネ・パンタールの説明によると「教会の司教が教え大多数の信者が受けいれている信仰から外れた意見、傾向、行動全体のこと」であり、またジャン=ピエール・スガンはもっと手短に「論争上否認する全てのものをひとまとめに扱うのに用いるレッテル」としている。(...)また、モリエールの『タルチュフ』でタルチュフの庇護者であるオルゴンの口からは、娘の婚約者がふさわしい振舞いをしないとして度々非難の言葉が出る。以下のとおりである。「あの男は少しリベルタンなのではないかと思う。教会に通っている様子がまったくない」。(...)リベルタンたちの思想の源は反キリスト教にある。 風紀の変化に伴って思想も変化する。過ちと救済のキリスト教に代わってしだいに人間性の回復が謳われるようになり、以後特に情熱と快楽は非難されなくなるだけでなく、逆に人間的な活動の原動力になる。イギリスの経験主義が広まって、感覚を経験しようという考え方が生まれる。以後人間の理想は処女あるいは童貞性や禁欲よりも、欲望の開花となる。大部分の哲学者は学識豊かな人々の放蕩を範としながらも、こうした復権については慎重な態度をとりつづけるが、医学を修めたラ・メトリは物質主義の観点から人間に関する単一の概念を発展させ、人間は肉体的欲求に完全に依存していると断言する。ラ・メトリは一七四六年に『快楽』を出版し、それを七年後に『性的快楽の技法』に変えている。彼は性的な喜びに罪悪感を抱く慎み深さや偏見、快楽を損ねるような行きすぎではなく、人間が自然のままに導かれる性的快楽を称揚している。また、〈plaisir〉(喜び)と〈voluptè〉(快楽)、〈voluptè〉、〈debauche〉(放蕩)を厳密に区別している。喜びが純粋に感覚的なものであるのに対し、快楽は感覚と心、つまり現実と想像の結びつきの中にある。放蕩はというと、これは快楽の退廃したもので、相手や社会を傷つける恐れのある自己中心的な快楽を追求することである。こうした区別のもとに、ラ・メトリは次のように述べている。「喜びは人間の本質であり、宇宙の秩序である」。五感が結集して第六感へと高まり、愛という感覚になる。しかしながら、こうしてラ・メトリによって正当化され称揚されたこの快楽も万人に約束されたものではない。人間は各々の肉体的限界に応じて、異なる喜びに達する。最も粗野な、あるいは最も繊細ではない人々にはその人たちなりの幸福の分け前がある。ラ・メトリは放蕩に行きつく人々を非難しようとはしていない。「もし君が快楽の技法に大いに優れていても満足していないなら、自堕落と放蕩を行なってもまったく問題はないだろう。下劣な行為と破廉恥な言動が君の運命だ。豚のようにふけりなさい、そうすれば豚なりに幸せになれる」。物質主義を古くさく反対する人間の場合、エピクロスの豚(リベルタン)を告発する。ラ・メトリは非難はしない一方で、「豚小屋(放蕩の場)」という言い回しは認めている。当時は大部分の放蕩が放逐をまぬがれ、正当化、あるいは少なくとも黙認されている。同じ年代に、それまでは攻撃の対象にされていた知的異端と性の解放との関係を受けいれる小説がひそかに広まる。女哲学者テレーズは教会のタブーと衝突し、宗教機関の偽善に気づく。その後、あらゆる堕落を経験した元娼婦の信頼を得る。そして人は嘘や見せかけの恥じらいなどなしに自由に愛し合い考えられることを知る。愛人と共に避妊方法や快楽のコントロールの例を示し、自然の力を信用することをテレーズに教えたのは、順応主義とはほど遠い司祭である。キリスト教の嘘と自然の真実の二つを知ったテレーズは、仲間、すなわち知的及び性的共犯者と幸せな関係を築くのに有用な自己愛という初期段階を超える。ラ・メトリと同様、ダルジャンは心の放蕩と風紀の放蕩を結びつける。そして伝統的なエリート主義は捨てていないものの、性的に充実する権利がみなにあるという原則を立てる。テレーズは哲学者になることができ最後には幸福になる。(...)放蕩についてはさまざまな言葉で語られるが、何よりも視点が多様である。ラ・メトリやダルジャンはあえて恋愛の自由を礼讃し、誘惑の物語は魅惑と非難、好意と批判という両義性を前提にしている。新しい啓蒙哲学によって快楽の再評価が受けいれられるが、純潔という古い宗教的理想は社会的効用という新た理想に変わり、神による非難の脅威は病気の脅威に変わる。性衝動は人口の増加や国家の経済的発展に寄与する場合、罪悪感を伴わなくてよいものになる。その場合美徳は処女性あるいは童貞性や宗教的な独身生活よりも、父性と母性に体現されるようになる。 即ち私の洞察と結合するなら、リベルティナージュはアンシャン・レジームにおける支配者層にとっての毒であると同時に、被支配者層において自由の渇望への種子であったのだ。なぜならリベルティナージュは支配者層を堕落させ民からの信頼を失墜させたと同時に、民には自由の在り方を生活レヴェルで実感させ抑圧の非情さに気づきを与えたのである。
リベルタン的位相幾何学
別宅と閨房
別宅は一八世紀の放蕩に特徴的なものである。「一般に、特に「別宅」と呼ばれるこうした私邸を使いだしたのは、節度を守り、秘密を守って会うことを余儀なくされる愛人関係にあった人々や、放蕩のパーティーを危険な公邸で開くのは恐れ、また、自宅で行うのは恥ずかしく思い、そのための隠れ家を持ちたいと思った人々である」。デュクロの小説の証言は、首都の四隅の周辺地域に置かれた、こうした放蕩の隠れ家を記録した警察の記録資料と一致している。(...)セギュールは別宅の起源について述べている。「こうした秘密の場所は遠い周辺部に設けられていた。貴婦人は簡単な供回りを連れ目立たない灰色の車に乗っていた。そして愛人の所有する別宅にこっそりと着いていた。そこでは一切の慎みが忘れられ、快楽よりもずっと中心となっていたのが放埒さであった。しかしながらそれと同じ女性たちが、無秩序の隠れ家を出る際には戸口で取り繕った態度を取り戻し、当時の道徳にはつきものの、一種の貞淑ぶりさえ取り戻すのだった」。 リベルタンの夢想の一部が別宅のほうに向く一方で、首都中心部にある貴族の大邸宅も色事の手段を保っている。大邸宅では社会的地位をはっきりと示すために客間が整えられたが、部屋の並びの端、あるいはアパルトマンの一隅には欲望をほのめかすために「奥まった小部屋」や閨房が作られ飾り立てられる。(...)隠れ家は「閨房」という名をもつようになり、外部の別宅のような役割を別宅の内部で果たすようになる。
庭園と車
ドゥロンは「別宅と閨房は拡大と延長を遂げるが、一夜あるいは一季節の恋人たちには他にも隠れ場所がある。それは庭園と車である」とする。次の引用は、本書の結びにあるテクストであるが、庭という空間における「放蕩そのもの」であるから先に引用したい。
フラゴナールのバイタリティもまたそうである。《ぶらんこ》の若い女性は、娘の躍動、官能、放蕩そのものである。彼女はパンプスが飛んでいくのに任せている。うっそうとした茂みの中、二人の男が彼女を囲んでいる。一人はぶらんこを押し、もう一人は風になびくスカートの中をのぞいている。二人はライバルなのか仲間なのか。ぶらんこは前後に揺れ動く。飛んでいる靴はメッセージなのか、プレゼントなのか、挑発なのか、堕落の象徴なのか。フラゴナールの作品はストーリーを語ることを拒み、瞬間や幸福な偶然を賛美している。体は重力や所有を逃れているようである。この突然の軽快さから陶酔が生まれる。ぶらんこを支えるロープは、拘束ではなく、より多くの自由へのきっかけとして働く。この絵を鑑賞する者はのぞき魔の立場にいる。女性器を直接眺めることはないとしても、この場面の全体、三角関係の状況、未決定の状態を楽しめるのである。重力を利用して獲得される自由は、意味のとり方も自由なのである。恋人たちはタブーから逃れ、芸術は解釈から逃れる。放蕩というものはこの未決定の状態に存在する。 庭園をリベルタン的空間にしたてた文学者としてサドとネルシアを紹介する。 一八世紀末、サドとネルシアは屋内と屋外、邸宅と庭園の混同をぎりぎりまで押し進めたが、それはまた現実と想像の世界の混同でもある。ジュリエットが企画する庭園でのパーティーもそうである。「私たちは魔法のように照らされたリラとバラの木立の下にいた。三人共、背景に雲をいただく木の幹の下に座っていたが、幹からは最高にかぐわしい香気がただよっていた。中央を陣取っているのは非常に珍しい花々の山で、その中にはこれから配られるに違いない日本の椀と金のナイフ、フォーク、スプーンのセットが置いてあった。席に着いたとたん、木立の上が開いて、間もなく炎の色をした雲の上にフリアエがヘビを連れてこの食事のいけにえとなる予定の犠牲者を鎖でつないで現れるのが見えた」。食器のセットが花と混じりあい、確かな現実である犠牲者の体が演出の幻想と混じりあい、自然がオペラの仕掛けと混じりあう。同じように、ローマでボルゲーズ王女に軽食を出されたときジュリエットは「実がいっぱいになったとても大きなオレンジの木に近づき」、オレンジを一つもぐ。ところがその実はガラスでできていた。自然が人工物に変わっており物質が仮想的になっているこの世界では欲望と憎しみ、快楽と苦しみが逆転する可能性が大いにある。ネルシアも例外ではなく、リベルタンたちを「素晴らしい部屋」に落ちつかせる。この部屋が表しているのは「木立であり、巨匠の手で描かれた葉は丸屋根状に曲がりながら上方にしつらえられた開口部のほうへと伸びており、そこから射す日光が、かすかに空色がかった布を通ってきて幻想を完成する」。壁に描かれた木々の幹と幹の間には間隔が開いており、じゅうたんはヴィヴァン・ドノンの作品にあるのと同じで芝を模している。だまし絵はもはや単なる美ではなく、倫理観、ひいては物理的な自然の拘束を受け入れることの拒否と、最も激しい欲望の現実を強調しようという意志となっている。だまされたがったいるのは目だけでなく、体と心もなのである。