『ニーチェ入門』
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あまり親切ではないmrsekut.icon
近代哲学を全然知らないので、読んでいて普通に理解できないことも多い
理解的でないところも多々あるが、「良い本」という印象は受けた(言語化できないが)
単純に日本語として何を言っているかわからない箇所があるmrsekut.icon
なので、また時間を置いて、ニーチェ然り、周辺知識を得てから再読したい はじめに
ニーチェの3本柱
これまでの一切の価値の転倒
1章
当時の思想の対立
ニーチェ
アンチヘーゲル哲学、アンチソクラテス主義
ヘーゲル哲学
合理主義
ソクラテス主義
理性主義
キリスト教
第2章 批判する獅子
当時のヨーロッパにおける人間的な価値の一切を批判
キリスト教
道徳
真理
神や真理の信仰を否定しているが、人間の自然性を推進するのは矛盾していないのか?
「何のために生きているか」の3パターンの答え
目的
世界には確固とした目的があるはずだ
統一
世界には摂理とその全体がある、つまりそれは何者かに依って統一されているに違いない
真理
この世界は仮象に過ぎない。従って真の世界が存在するはずだ
このようなパターンで世界に意味を探し求めてきた
目的や統一や真理のような意味を見出した
そしてついに、世界はその彼岸に何ものも持っていないという事実にまで辿り着いた
世界には何の意味もない
すべてが許されている
苦悩→ルサンチマン→何のために生きているかの3パターン→ニヒリズムという道筋を経てニヒリズムは生まれた
第3章 価値の顚倒
「人間はみな平等である」という前提が互いに互いの自由を拘束する
「平等であるべきだ」を突き詰めると、「生の否定」に行き着く
そうではなく、強者と弱者がいる、ということを是認する
人間の理想や道徳の歴史を偶然の戯れに任せると、人間という種そのものの堕落に行き着く
この戯れは、キリスト教を指している
なので、この方向性を逆転する必要がある
まとめ
弱者にとって重要なのは、
自分より良い境遇にある者を妬むのではなく、
より「高い」人間の生き方をモデルとしてそれに憧れつつ生きる
強者にとって重要なのは、
奢ったり、誇ったりするのではなく、
自分より弱い人間を励ましつつ、常に「もっと高い、人間的なもの」に近づくように生きる
ニーチェから求婚の申し出があるが、彼女はそれを拒絶した
第4章 「力」の思想
「欲望=身体」だけが価値評価の「力」をもち、したがって世界の存在、世界の秩序というもの自体がこの「力」の結果生成したものである
各人は神や真理を信じているのはさておき、
誰もが何かを信じざる得ない状況にあるのはなぜか?
人間に何かを信じさせる根本本質が「力」
人間の根源的なものとは、
有機体の「力への意志」が絶えず自己自身の拡大を追求していること
より強くなろうと欲すること
生長しようと欲すること
上のような根源的なものを貫徹する結果として、このような感情がある
「快」「不快」の感情は根源的事実ではない
「目的」や「意味」も仮象に過ぎない
こういった諸感情が、根源現象からの派生物であることに「意識」は気づかない
「力」と「意識」は関係ない
「自己保存」や「種族維持」ではなく、「力への意志である
弱者のモデルとなるような強力な「個人」の創出
論理や道徳に依って人間を弱体化し、平均化することで達成するような「公平なる状態」が目標なのではなく!
世界の価値は、私達の解釈のうちにある
世界の価値は世界それ自身の内に根拠を持たない
それはただ「力への意志」による解釈のみから生じる
真理や神や悟りにあるのではなく。
「意識」を価値の基準としたことの誤り
キリスト教など、ヨーロッパの文化
意識を根拠とすることで、生の苦悩からルサンチマンを抱くようになる そうではなく、「力への意志」を常に、価値の客観的基準にしよう
上昇し組織された権力量
ルサンチマンを持たない「強者」
高貴な人間における「生の欲望」
これらを、人間一般の「価値」のモデルとする
芸術の内には、生を「肯定する力」を象徴するものがある 芸術領域内では、「生命感情」と「肉体的なもの」が調和し、溶け合うから
逆に、宗教、道徳、哲学ではこの2つは対立的な形で現れることが多い
美の本質は、「生を肯定する力」
芸術は、「苦悩にも関わらず」、生を意欲するもの
人間は、性欲、陶酔、残酷の3つに代表されるような生命感情を求める
これらが、生の価値の、根本的根拠
従って、人間の世界は矛盾に満ち、苦悩に覆われ、危険極まりないものである