遠近法主義
perspectivism
世界は、常に特定の視点からの、特定の見方によってしか見られ得ないものである
いかなる視点にも限定されない絶対的な世界認識などはありえない
絵画の遠近法では、風景が画家を中心に配置されることが由来 「同じ」対象でも私と他者とでは違った意味をもっということも同時に知っており、かつ自明なことと考えている。
人物
「事実」それ自体は存在しない
ただ多様かつ無数の「解釈」のみが存在する
<私>の概念が近いと思う
ある対象が「何であるか」という認識は、その対象に向き合う生命体の「肉体」(欲望、身体)によって決定する
例えば「りんご」を見た時に
人間は、みずみずしく美味しそうな果実、と感じる
猫は、まるくてじゃれると転がるもの、と感じる
猫はりんごを食べないmrsekut.icon
トンボは、形は認識できるが何の意味もないもの、と感じる
トンボ<猫<人間
人間の認識の方が「成約されていない」「より高度」
また、人間<<神なので、神の認識が最も完全な認識である
つまり、神の「完全な認識」がある前提で、人間などはそれより制限された仕方でしか世界の秩序を認識できない
一方でニーチェは、神の存在を前提としないので、
ある対象が「何であるか」という認識は、その対象に向き合う生命体の「肉体」(欲望、身体)によって決定する
カントと違って序列が存在しない
真理はない
「客観」「物自体」「世界そのもの」のようなものは全く存在しない
存在するのは、個々の人間が世界に対して様々な評価を行うということだけ
人々が多様であるのに応じて、「世界が何であるか」についての無数の解釈が存在する
現在の世界が矛盾に満ちている、だから真の理想の世界が存在するはずだ、と考えるのは苦悩から生まれる願望に過ぎない
変なAが存在するからと言って、理想の反Aが存在するわけではない
人々の「価値評価」が真理の本質
参考