知ってるつもり――無知の科学
https://gyazo.com/803c9e996c3bf96125e92ba532862abc
amazon
目次
個人の無知と知識のコミュニティ
「知っている」のウソ
なぜ思考するのか
どう思考するのか
なぜ間違った考えを抱くのか
体と世界を使って考える
他者を使って考える
テクノロジーを使って考える
科学について考える
政治について考える
賢さの定義が変わる
賢い人を育てる
賢い判断をする
無知と錯覚を評価する
説明を求められると、そこで初めて自分の理解が浅いことに気づく p19
ここで言いたいのは、人間は無知である、ということではない。人間は自分が思っているより無知である、ということだ。私たちはみな多かれ少なかれ、「知識の錯覚」、実際にはわずかな理解しか持ち合わせていないのに物事の仕組みを理解しているという錯覚を抱く。
学んだ気になってる問題
全然分からない状態になったことで、前もそんなに分かってなかったことに気づく
自分の知識なのか、他者やコミュニティの知識なのかの明確な線を引けていないから、錯覚が起きる
他人やコミュニティが持っている知識も「自分の知識」と錯覚してしまう
SFや小説は、反事実的思考によって物語を妄想する
前向き推論の練習になる
「もしXXしたらYYになるかもしれない」を様々な状況で思考する
認知的分業
認知的分業の弊害
自動化のパラドックス
フランシス・ゴルトンの雄牛の重量当てコンテスト
反科学主義はコミュニティへの忠誠心があるため説得するのが難しい
反ワクチン主義
地球温暖化への懐疑者
遺伝子組み換え食品への反対者
科学的な根拠を見せれば見せるほど、反感を買ってしまう
「我々が間違っていると言いたいのか!?}
グループシンクに陥ってしまう
過激主義とは簡単なものだ。自分の意見を決めたら、それで終わり。あまり考える必要がない
理由の説明では何も変わらない。因果的説明を求められると、自分の知識不足と向き合って、意見が軟化する
IQとか個人単体の知能なんかより、個人が集団の成功にどれだけ貢献するかが重要である
多様性の科学 画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織に繋がるテーマのはず
すばらしい発見を個人の功績としてしまう誤り
リバタリアン・パターナリズムによるナッジ
自分を変えるな、環境を変えろ
説明を増やしすぎると、多くの人は逆にどうでもよくなる
https://gyazo.com/6e2b78fbcc8006e2bf9dc19ed45d055e