日本の租税の歴史
1873 年 (明治 6 年)、地域ごとに乱立した諸税から全国統一的な租税制度として地租改正が行われた 明治維新により新政府が成立し、廃藩置県等の各種改革や、内乱鎮圧の費用確保のために安定した税収を確保する必要性に迫られたため 当時の中心的産業であった農業に支えられた税制として、土地所有権の確認が行われるとともに、租税の納付方法が現物から貨幣へと変更されることで税収の安定化にもつながった 1875 年 (明治 8 年) に府県税の存在が地方税として初めて制度上明確化 近代的地方自治制度として 1888 年 (明治 21 年) には市制町村制が、1890 年 (明治 23 年) には府県制が公布 19 世紀終わりから 20 世紀前半にかけては、経済社会の構造の中心が農業から商工業に移行し、農民から労働者が台頭 → 地租に代わり酒税をはじめとする間接税が国税収入の中で大きな割合を占めるように そのような背景の下、税負担の偏りの是正に加えて、軍事費膨張への対応として、所得税、法人税、相続税が順次創設され、現行租税体系の原型が完成 それでも膨張し続ける戦費を賄うことはできなかった
それでもインフレは止まらず、結局、債務償還の大部分はインフレに依ることになり、人々の生活は困窮を極めた
1947 年 (昭和 22 年) に導入された申告納税制度が上手く機能しなかったことも相まって、徴税に大きな混乱をもたらした そうした状況下で国民の納税意識も低下し、結果として公平な負担は著しく妨げられ、税収の確保もままならない状況に
しかし、1951 年 (昭和 26 年) 以降、各種の租税特別措置等が次々に導入
昭和 40 年代以降、租税特別措置等に対する批判が強くなり輸出振興税制などの政策減税の縮減・見直しが行われたが、他方で、中小企業対策、土地対策、地域振興対策などの性質を有する諸々の租税特別措置等が新たに導入 所得税は、その累進構造ゆえに、所得水準の上昇に応じて自動的に適用税率が高くなる性質を有する → 高い経済成長や物価上昇を背景に所得水準が上昇していたこの時期、自動的に税負担も重くなっていった → 昭和 40 年代には毎年所得税の減税が行われ、個人住民税についても、負担分任の性格や地方財政の状況等も考慮しつつ、毎年減税が行われていた 所得税や法人税などの直接税中心であった我が国の税制は大きな影響を受け、1975 年 (昭和 50 年) 度補正予算では特例公債が発行された その後、特例公債の発行が常態化し始めた財政状況への対応として、1979 年 (昭和 54 年) には、広く一般的に消費支出に負担を求める新税として、一般消費税 (5 %) の導入についての議論が開始 → 成案には至らず 1998 年 (平成 10 年) 以降の税制改革
個人所得課税 : 1998 年 (平成 10 年) に定額減税の方式による特別減税が、平成 11 年度税制改正で、いわゆる恒久的減税の一環として、定率減税と最高税率の引下げ (所得税は 50 % から 37 % へ、個人住民税は 15 % から 13 % へ) が実施されるなど、減税措置が続いた 金融所得課税について、累次の改正により、上場株式等の譲渡益や配当について定率 20 % の分離課税とするなど課税方式の均衡化を図るとともに、特定口座を利用した簡便な申告・納税の仕組みを導入するなど、一体化の取組みが進められてきた 税率構造の見直しとして、最高税率の引下げ (70 % から 50 % へ) も
2002 年 (平成 14 年) の 「経済財政運営と構造改革に関する基本方針 2002」 (平成 14 (2002) 年 6 月閣議決定) において、「国庫補助負担金、交付税、税源移譲を含む税源配分のあり方を三位一体で検討し、それらの望ましい姿とそこに至る具体的な改革工程を含む改革案を、今後一年以内を目途にとりまとめる。」 と明記されたことに端を発し、いわゆる 「三位一体の改革」 が行われた 個人住民税 (所得割) の税率は 5 %、10 %、13 % の 3 段階の税率構造だったが、税率を一律 10 % とする比例税率が採用された
これにより、個人住民税の応益的な性格も踏まえつつ、所得に対して一定率の税金を住民が納めることとなり、また、税源の偏在性の小さい地方税体系の構築につながりました。
参考文献