目標
目標の効用
達成する必要のある目標と、よりよい行動を生成するためのデザインとしての目標がある
高い目標を設定すると、達成のために行動を変える
目標設定でうだうだしているときに何が起きているのか
仕事がそもそもつまらないが、それを言い出せない
ダメになる目標
社内で目標設定というと、いろんな部門や経営陣が、「会社の目標らしさ」のために、「なんかいわなくちゃいけない」となって、「売上」といった要素を加えていく。そしてつまらなくなっていく。
行動をデザインするために作る目標は、当事者にとって面白いものである必要がある。
質の高い目標
60年代アメリカ 月に行くぞ
試行錯誤に耐えられるか
A案を試してダメだったら、もうその目標は終わりになってしまうようではよい目標とはいえない。A、B、Cと様々な案を試せしつづけられる試行錯誤耐性の強い目標を据える必要がある。
目標を下げる
障害が発生した為、設定した目標の90%しか達成できませんでした。発生した障害は、劇的に難易度が高く、且つ解決しなければ大きな損失が発生しますが、なんとか解決に至りました。
偉い人:「評価としてはB(未達)だね」
偽物の目標達成
利益の付け替え
https://gyazo.com/c927553007cf711dddb61428497e402a
なぜ兼任するのか?
複数プロジェクトを兼任することで、目標未達プロジェクトがあったときに利益の付け替えができる。
もしプロジェクトがひとつだけでそのプロジェクトが失敗したら落第してしまう。
プロジェクトの兼任を抑制したいのであれば不安を取り除く必要がある
事例
1TB/平方mmと0.1pJ/bitを目指すIntelのODI
2020年代のIntel CPUのカギとなる新2.5D/3D積層技術
資金が多いほうがいいのはまちがいない。ただ、調達しようとする金額が大きくなればなるほど、実現可能性は低くなる。ピクサーのように実績がない会社の場合、まずは少額を投資し、それが上手に使われるのを確認してから大きく賭けるというのが投資家の常識だ。だが、いまは細かなことを議論する段階ではない。というわけで、スティーブと私は、事業計画を支える2本目の柱を定めた。株式を公開することで、制作費用をまかない、映画スタジオとして自立する資金を調達する、だ。
興行収入の取り分を増やし、資金を調達する以外にもやらなければならないことがある。公開頻度を上げるのだ。いまは一度に1本の映画しか作っておらず、4年から5年に1本しか公開できない。これでは事業として成り立ちようがない。さまざまなシナリオを検討してみた結果は、毎年公開できれば理想的、だった。現状を見ると到底不可能と思われる話だが、会社を大きく拡大し、複数の映画を同時進行で制作できるようにすればいい。こうして、会社の規模を拡大し、制作頻度を上げるが3本目の柱となった。
「ピクサーに対する認知を変えなければならない。ディズニーが前面に立つのだとしても、実際に映画を作っているのが我々であることは知ってもらわなきゃいけない。ブランドが確立できなければ会社は立ちゆかないからね」
スティーブの言葉だ。
これで、やらなければならないことが出そろった。前代未聞の大ヒットを生みだしたうえで、以下の4点を実現すればいいのだ。
・取り分を4倍に増やす
・制作費用として7500万ドル以上を調達する
・制作本数を大幅に増やす
・ピクサーを世界的ブランドにする
簡単な話だ。
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1987年、オーストラリア人の神経科医3人が、パーキンソン病患者のQOL向上に寄与するシンプルなテクニックを発見した。パーキンソン病になると、身体が震え、1か所で固まってしまい、歩こうにも足が出にくくなることが多い。3人の共著論文冒頭で紹介されている男性患者は11年前に罹患し、今では座っている姿勢から立ち上がれはするものの、歩行はできなくなっていた。
ある朝、この患者の両脚がベッドの片側からぶらりと落ち、まっすぐ床を踏みしめる形になった。患者は体を起こした。立ち上がってみると、足のすぐ前に、まるで障害物競走の小さなハードルのように靴が並んでいる。頼りない1歩を踏み出し、自分でも驚いたことに、すくむことなく靴の片方をまたいだ。2歩目で、もう片方もまたぐ。靴は彼の後ろになった。靴をまたぐという小さな目標に促され、彼は数年ぶりで、パーキンソン病の特徴である擦り足にならずに歩いたのである。
この患者は好奇心旺盛な性格だったので、さまざまなテクニックを試してみることにした。最初にやってみたのは、移動する際に小さなモノをいくつも携帯し、足が出なくなるたびに数インチ先にモノを放り投げるという方法だ。小物が点々と散らばるので、それを追いかけて彼の足取りをたどれるようになった。
床中がモノだらけになることに閉口し、次は繰り返し使える障害物として杖を使う方法を編み出した。杖をさかさまにして、持ち手を右足のすぐ前の床につける。持ち手が越えるべき障害物となるので、まずは一歩踏み出し、次に同じ手法で左足も踏み出す。2、3歩ほど歩いて弾みがつけば、足取りが安定して、ゆっくりながらも杖の助けを借りずに歩くことができた。
この患者の担当医師が、前述の神経科医3人のうちの1人だった。診察に来た患者が新しい技を披露するのを見て、医師は仰天した。小さな障害物で、なぜ歩行力が改善するのか。
答えは「目標」だった。人に行動を促したいなら、太刀打ちできない大きな目標ではなく、具体的でチャレンジしやすい小さな目標を与えるほうが有効なのだ。進歩している実感に励まされるし、ゴールラインが見えているほうが前に進みやすい。患者は杖を使うことで、簡単に挑戦できる小さな目標を作っていた。
担当医は同僚の神経科医2人ともに、他のパーキンソン患者にも同じアプローチが効くことを確認し、論文を書いた。この画期的な論文のおかげで、パーキンソン病でもっとも深刻な症状の1つに対する新たな対策が広がったのである。
パーキンソン病患者にとって小さな障害物がそうだったように、目標は行動を促す力がある。視点を定める「固視点」となるからだ。ゴールを目指す代表的なスポーツ、マラソンのタイムを調べた実験でも、このことが明らかになっている。
マラソンタイムの奇妙な偏り
26・2マイル(42・195キロ)を走るフルマラソン大会の平均タイムは、だいたい4時間半くらいだ。男性でエリートランナーと呼ばれるような走者なら、同じ距離を2時間ちょっとで走る。ゆっくり歩いて参加する走者ならば10時間以上かかる。だとすればその両極端のあいだでタイムはまんべんなく散らばると考えられる。ゴールした走者の数をタイムごとに集計したのが次の棒グラフだ。
https://gyazo.com/db71de709b07d3cfe9efd98284ec91f1
3時間未満でゴールする走者は少数で、それより長くかかる走者のほうが多い。ピークは4時間3分だ(黒く塗りつぶした棒)。散らばり具合に特に乱高下などは見られない。マラソン以外でも、身体的なタスクはこのように集中する傾向にある。
だが実は、フルマラソンのタイム分布はそれほど単純な話ではない。キリのいい数字が、そうでない数字よりも意味をもつのだ。
私もこのことを経験から知っている。2010年にニューヨークシティ・マラソンに出場したからだ。背中のゼッケンに「3:00」「3:30」「4:00」と大きく示したペースセッターがいて、多くの走者がその後ろにぴったりついて走っていた。ペースセッターになるのは熟練ランナーだ。決まった時間をわずかに切る程度でゴールするという使命を担っており、ほとんどの場合はその役割を見事にこなす。
私は「3:30」のペースセッターにできるだけついていったのだが、途中から疲れてしまってスローダウンしはじめた。ペースセッターとの距離が広がり、背中の数字がかろうじて見える程度まで遠ざかった頃、今度は「4:00」のペースセッターが近づいてきた。そこで私は3時間半を目指すレースプランをあきらめて、新しく堅実な目標を定めた。フルマラソンに出場する機会など二度とないかもしれないのだから、なんとしても絶対に4時間は切りたい。
だが、ゴールまであと数マイルとなった時点で、もう身体は疲労困憊。哀れな私に沿道から差し出された数本のバナナをむさぼり食べたことを、今でもよく覚えている。応援に来た友人が前方で身を乗り出して叫んでいた。「いいぞ、がんばれ! そのペースなら4時間5分を切れるぞ!」
友人の言葉で、もう枯渇したと思っていたエネルギーがどこからか湧き出し、私はわずかに速度を上げた。タイムは3時間57分55秒。レース後に友人に会うと、彼は私に嘘をついたと告げた。「4時間を切れるペースだったよ。だけど、そう言ったらペースダウンするんじゃないかと思ってさ」と言うのだ。
「このままだとタイムは4時間5分になると思い込んだほうが、ラストスパートをかけるとわかっていたからね」
30分ごとのキリのいい数字に注目してみてほしい。4時間を切れるかどうかで必死になった私の姿が見えてくるはずだ。黒く塗りつぶした棒はキリのいい数字の直前を示しているが(2:59、3:29、3:59、4:29)、それよりわずかに遅い時間と比べると、このタイムに走者が集中していることがわかる(黒い棒の右側の2、3本はいずれも短くなっている)。どうやらキリのいい数字をクリアするためだけに湧いてくる秘密のエネルギーがあるらしい。そのおかげで4時間1分や4時間2分でゴールする走者よりも、3時間58分や3時間59分でゴールする走者のほうが多くなるのだ。
https://gyazo.com/f656f441ad7f62bb12808ec56f447981
5万人近くエントリーするニューヨークシティ・マラソンのようなレースで計算すると、3時間59分でゴールする走者が500人で、4時間1分でゴールする走者は390人ということになる。この差は、多くのマラソンンランナーの胸に、「なんとしてでも4時間を切ろう」という思いがあったことを示している。まさに目標のパワーだ。2本のバナナに助けられなければ倒れそうなほど疲弊していても、4時間を切るためならパワーが出る。
目標というものは昨日今日に生まれた概念ではない。この地球と同じだけの歴史があると言ってもいい。では現代は何が変わったのかと言うと、人の生活が目標追求に支配されるようになったことだ。
太古の昔に目標と言えば、ほぼ例外なく、生き残ることでしかなかった。食糧を探し回るのも、繁殖行為をしたい相手の気を引くのも、生存のために欠かせない行動だ。目標を追いかけるのは贅沢でも選択でもなく、生物的な義務だった。私たちの祖先がひたすら目標を追いかけていなかったら、ヒトという種はとっくに絶滅していたに違いない。食べ物もエネルギーも少ない状況では、ただ楽しみのために近くの山に登ったり、挑戦したいからという理由だけで長距離を走ったりする人間に生き残る余地はなかった。
しかし現在では、食べ物もエネルギーも豊富にあり、人は登山やウルトラマラソンのような、生存に必須ではない苦行をあえて選びながら、長く幸せに生きていくことが可能だ。1つの山に登頂し、1つのレースを完走したあとに、また次の登山やレースに備えることもできてしまう。現代における目標とは、プロセスの到達地点ではない。目標を追いかける旅が終わることはない。そして往々にして、目標を達成すればするほど、目標を達成することの喜びが目減りしていく。
目標文化が拡大している証拠はいくらでも見つかる*5。たとえば、以前は英語で書かれた書籍に「目標追求(goal pursuit)」という言葉が登場する回数はゼロに近かったのに、1950年を境に爆発的に増えた。
https://gyazo.com/d18ce8c56da5090b783790754b2c9d10
目標を1つ達成して終わりではなく、完了するごとに次の目標を設定せずにいられない性質を「完璧主義(perfectionism)」と言う。この概念も1800年代初期には存在していないも同然だったが、今では過剰なほど使われている。1900年の時点で、書籍に「完璧主義」という言葉が登場するのは、たった0・1%だ(本を1000冊読んで、ようやく1回出てくる)。現在では、全書籍のおよそ5%(つまり20冊に1冊)が、「完璧主義」に言及している。
https://gyazo.com/cbc64a1c49db758a77e13dcaf9774483
探求」「計画」「ターゲット」「目的」「追求」など、類する言葉はあふれるばかりだ。
本の中だけではない。現代生活で「目標」から逃れることは、難しくなる一方だ。インターネットを覗けば、存在することも知らなかった目標がたくさん見つかる。そしてウェアラブル端末が、目標への道のりを簡単に、かつ自動で計測してくれる。
昔は新しい目標は自分で探さなければならなかったが、今ではメール受信箱やスクリーンを開くだけで、情報が向こうから飛び込んでくる。数時間、もしくは数日ほど、そうしたメールを未読で放置できるなら、目標に追い立てられることもないのだろう。だが、新しいメールが来れば、現代人はただちに反応せずにはいられない——そのせいで生産性が落ち、心の平穏が破られるとわかっていても。
受動的な目標設定