行動嗜癖(behavioral addiction)
嗜癖しへき
何らかの悪癖を常習的に行う行為——これを「行動嗜癖(behavioral addiction)」という——は昔から存在していたが、ここ数十年で昔よりずっと広く、抵抗しづらくなり、しかもマイナーではなく極めてメジャーな現象になった。
昨今のこうした依存症は物質の摂取を伴わない。体内に直接的に化学物質を取り込むわけではないのに、魅力的で、しかも巧妙に処方されているという点では、薬物と変わらない効果をもたらす。ギャンブルにのめりこんだり、何らかのスポーツを過剰にやりすぎたりするのは、そうした〝新しい依存症〟の中では古いほうだ。ドラマを一気に何話分も視聴せずにいられないビンジ・ウォッチングや、頻繁にスマートフォンを覗かずにいられないのは、より新しいほうの依存症と言える。いずれの場合も、人をのめりこませる力は昔よりもかなり強い。
それと同時進行で、現代人は目標を設定することの利点にばかり焦点を合わせ、その欠点を考えようとせず、問題を悪化させてきた。確かに目標を決めればモチベーションもわくのだから、それが有効な方策だったことは否定しない。人間は勤勉で高潔で健全に生まれついてはいないので、隙あれば時間とエネルギーを出し惜しみしたがる。だが、その性癖を抑えて勤勉でいるための方策は、いつのまにか行きすぎてしまった。今の私たちは目標をいかに効率よく時短で達成するか、そのことばかりにこだわって、危機感を覚えて一時停止する能力を失っている。
私が話を聞いただけでも、決して少なくない数の臨床心理士が、この問題の根深さを口にしている*7。ある臨床心理士は、「私の患者の全員に、何か1つは行動嗜癖があります」と言った。「1つどころか、依存症の種類をすべて網羅している患者もいます。ギャンブル、買い物、ソーシャルメディア、メールなどなど」。高度な能力を要する職業につき、6桁の年収を稼ぎながらも、行動嗜癖でがんじがらめになっている患者も多いという。
「たとえばある女性は、外見にも知性にも恵まれていて、人生も順調です。博士号を2つ取得し、今は教師となっています。けれど実はネットショッピングの依存症。合計8万ドルも借金を抱えながら、自分が依存症であることを周囲に知られないようにしています」
周囲に見せる自分と、依存行動におぼれる自分とをはっきり切り分けているのも、こうした患者の特徴だ。
「行動嗜癖を隠すのは簡単です——物質依存症に比べれば、とても容易に隠しおおせてしまう。だから危険なんです。気づかれずに何年もそのままになってしまいます」
行動嗜癖には6つの要素がある。
第1に、ちょっと手を伸ばせば届きそうな魅力的な目標があること(第4章「目標」)。
第2に、抵抗しづらく、また予測できないランダムな頻度で、報われる感覚(正のフィードバック)があること(第5章「フィードバック」)。
第3に、段階的に進歩・向上していく感覚があること(第6章「進歩の実感」)。
第4に、徐々に難易度を増していくタスクがあること(第7章「難易度のエスカレート」)。
第5に、解消したいが解消されていない緊張感があること(第8章「クリフハンガー」)。
そして第6に、強い社会的な結びつきがあること(第9章「社会的相互作用」)。
現代の行動嗜癖は実に多種多様だが、こうした要素を必ず1つは備えている。
たとえばインスタグラムに依存性がある理由は、「いいね!」で支持される写真とそうでない写真がランダムに発生するからだ。大量の「いいね!」を浴びる体験をしたら、その報われる感覚をもう一度味わおうと、次々に写真を投稿せずにいられない。そしてつながっている友達に対しても「いいね!」しなければいけないと感じて、何度も何度もアクセスする。ゲームも同様。一部のゲームで何日もぶっ続けでプレイするユーザーが出て来るのは、ミッションをコンプリートせずにいられないから。そして、他のゲーマーたちとのあいだで強い社会的つながりが形成されるからだ。
こうした問題はどう解決すればいいのだろう。依存性の高い行動が生活の一部となっている点を鑑みて、現代人はどうやってそれらとうまく共存していけばいいのだろう。
アルコール依存をやめようとする場合は、酒の出る場所に足を踏み入れないよう注意するものだが、ネット依存をやめようと思っても、日常生活ではどうしてもメールを使わざるを得ない。パスポートを申請するにも、就職活動をするにも、働きはじめてからも、メールアドレスは不可欠だ。コンピューターとスマートフォンを使わないでできる仕事は減る一方。依存症状をもたらすテクノロジーは、むしろ薬物だったら実現しないような形で、一般社会の一部になっているのだ。
これらをすべてをシャットアウトするわけにはいかないが、だからといって対策がないわけではない。依存性のある体験を限られた範囲で許容しながら、健全な行動を促すよい習慣を根づかせていけばいい。
行動嗜癖の仕組みを理解すれば、脅威をできる限り抑えることもできるし、むしろよい方向に活用していくことも可能だ。子どもがゲームをせずにいられなくなる法則を活用して、学校での勉強をしたくなるよう促せるかもしれないし、大人が運動にのめりこむ理由を逆手にとって、老後資金を貯める動機をもたせることができるかもしれない。
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行動嗜癖は、せずにいられない本能というだけではない。そうだとしたら、まばたきも呼吸も依存行動ということになってしまう(失神寸前まで呼吸を止めていると、脳が強制的に呼吸を始めさせる。吸って吐いての行動をやめられないのは、呼吸することを忘れて死ぬ可能性を排除するためだ)。
現代の定義では、「依存症・中毒・嗜癖(addiction)」のことを、本質的に悪いものと考える。行動に依存していると言えるのは、それをすることで目先の利点がありつつも、最終的には害のほうが大きい結果になる場合だ。呼吸せずにいられなくても、あるいは積み木に注目せずにいられなくても、それによって有害な結果にはならないので、行動嗜癖とは言えない。嗜癖とは、害があり、それなしでいることが難しくなった体験に、みずから強く執着することだ。物質の摂取を伴わずとも、強い心理的欲求を短期的に満たし、その一方で長期的には深刻なダメージを引き起こす行動に抵抗できないとき、それを行動嗜癖と呼ぶのである。
この行動嗜癖にかなり近い親戚として、「強迫観念(obsession)」と「強迫行為(compulsion)」というものがある。強迫観念とは、頭の中で止めることができない思考のことを言う。強迫行為は、止めることのできない動作のことだ。
依存症や嗜癖と、強迫観念、強迫行為には、1つ大きな違いがある。依存症は、それを行えば即座によい思いをする(報酬がある)という期待、つまり「正の強化」〔何かをすることで好ましい結果が起きる〕を伴う。それとは対照的に、強迫観念と強迫行為は、それをしないでいることに対して強い不快感が生じている。不快感を取り除くことで安心する——これを「負の強化」と言う——だけであって、行動そのものでプラスの利点が得られるわけではない(依存症や嗜癖、そして強迫観念、強迫行為、この3つは非常に関連性が強いので、本書でもすべての言葉が登場する)。
メールチェックせずにいられない——テクノロジーが生んだ強迫観念
あなたは一般的な仕事のメールをどれくらい長く未読にしておけるだろうか。10分くらいかと私は思ったのだが、答えはたった6秒だ。仕事用メールの70%は受信から6秒以内に読まれている。6秒と言えば、あなたがこの段落をここまで読む時間よりも短い。
だが人は、その短い6秒も待てずに、そのときしていた作業を放り出してメーラーをクリックし受信メールを読まずにいられないのだ。この破壊力は大きい。メールのために中断した作業に集中力が戻るまで25分かかると言われている。仮に1日の中で均等な間隔で25通のメールを開くとしたら、理論上、生産性を最大限に発揮する時間はゼロということになる。
解決策は、新着メールの通知機能をオフにして、メールチェックの頻度を下げることだ。だがほとんどの人にとって、メールとはそのように扱うものではない。現代人の多くが、「インボックスゼロ」(来たメールをすぐに確認してサブフォルダにさばき、新着フォルダをつねに空にしておくことで、生産性を高めるテクニック)という過酷な目標に追い立てられている。
コラムニストのチャック・クロスターマンが『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムで書いた表現を借りると、メールはまるでゾンビだ。いくら殺しても次々襲ってくる。「インボックスゼロ」を実現するために、人は職場で過ごす時間の4分の1をメール対応に使っている。そして平均して1時間に36回メールアカウントをチェックする。ある調査では、回答者の36%が、メールに「対応しきれない」と答えた。21世紀に登場したばかりのコミュニケーション形式が、これほどの影響力をもっているのだ。
2012年に、3人の研究者が、会社で数日間メールを使えないとどうなるか実験したいと考えた。ところが被験者になってくれる人が見つからない。アメリカ東海岸の陸軍施設でデスクワークをする数十人にアプローチしたが、実験への参加を了承したのはわずか13人。それ以外の大多数は、実験終了後にたまったメール数百通に対処する苦痛に耐えられないから、と言って断るのだった。「インボックスゼロ」に対する強迫観念は休まるときがない。新着メールを無視していると、しだいに苛立ちがつのっていく。
結局3人の研究者は13人の被験者を対象に、合計8日間の実験を行った*7。3日間は通常どおりにメールに対応する。それから5日間は、メール使用を一切断つ。最初のうち、被験者たちは同僚とつながりが切れたように感じていたが、すぐに席を立って直接用事を言いに行ったり、内線電話を使ったりするようになった。メール使用を禁じられているあいだはオフィスを離れる回数が増え、オフィス外で過ごす時間も3倍になった。どうやら彼らはメールという鎖で文字どおりデスクに縛られていたらしい。生産性も上がった。あっちの作業からこっちの作業へと切り替える頻度が半分に減り、1つの作業に集中して取り組む時間が長くなった。
何より重要だったのは、被験者たちが健康になったことだ。メールをチェックしているときの被験者は、つねに体内で緊急警報が鳴っている状態だった。メールから切り離されているあいだは、何かストレスを受けることがあれば心拍数が高まるものの、そのストレス源が通り過ぎればふたたび落ち着く。メールがあるときは心拍数が上がりっぱなしであまり変動していなかった。
インターネットを使っていると、「インボックスゼロ」以外にも、達成すべき目標の情報が簡単に見つかる。ほんの25年前は、目標とは現在ほど気軽に見つかったり目指したりするものではなかった。