まあ人それぞれだから
人それぞれ意見あるから、とか
そんな話をして何が嬉しいのかわからない
意見への意味が限りなく0に近くなる
皆の意見を尊重するべき、と言っても、全部を尊重したら結局尊重の意味がなくなる気がする
意味がないよりは収集がつかなくなって現実的な効果がないくなるのが問題かなwogikaze.icon
これも問題ですねbiwa.icon
どの意見も十分に検討すべきくらいならわからなくもないけど、その上で良し悪しの判断は行うべきでしょ
どんなに頑張って書いた意見も、どんなに筋がいい意見も、適当な意見や筋の悪い意見と同列になるというのは許せない
わかる久住哲.icon
その人が色々語った後に、「まあ、人それぞれの意見だから」とか言うと、もっと自信を持ってくれと思う
意見と意見が衝突した時に、「人それぞれだから」とか言われると、僕の意見は聞くに値しないのかなって思ってしまう
というか先ほどこれで言い争ってしまった
途中で面倒くさくなって辞めてしまったが、今後同様のことが起きた時のためにここに整理しておく
自分(biwa.icon)の方が明らかに筋の悪い意見を言っていた
ココの時点で筋悪ポイントを指摘したほうが建設的Summer498.icon
僕が、そういうの「なよなよしいし、あなたの意見に自信がないように見えるから、辞めてくれ」と言った
相手が「いや、私のその意見の真意としては、biwa.iconの意見も尊重されるべきって話で」
多分、あなたにとって悪くない話なんだよ、ってことを言いたかったんだと思う
この時点で色々面倒くさくなって会話をやめた
なぜ、みんな違ってみんないいが嫌いか整理しきれていなかったから
この人と話しても、それが整理されることはないと判断したから
主な理由としては
私の意見をちゃんと聞いてないように見えるから、
そんな浅い気持ちで意見を言っているのかと思い、悲しくなる
ここ他人に期待してるなSummer498.icon 特に相手がオタクっぽければオタクっぽいほどに
面倒臭いほどに意見を貫き通してほしい。そこで変な社会性を発揮しないでほしい
オタクのくせに社会性を発揮するな
でも、こういった発言も普段はしないです。社会性を発揮してしまうから。
例によって、本気そうなものと本気でなさそうなものを挙げて、帰納的に概念を攻めていくのがいいかな 実行不能の場合や、他の心理的理由で行動してない場合もあるから、「ならば」は成り立たない。
あくまで有言不実行な事例の中に、本気でなさそうだったものがあった気がするというだけ
意見 A を曲げないのは意見 A に対する本気感があるSummer498.icon
なんなら、論理的な間違いを指摘されたらそこを修正した上で A' を主張し始めるまですれば更に本気感ある
たしかに本気感あるtakker.icon
固執まで行くと今度は「論理的な間違いを指摘されて、修正すると意見Aが破綻する段階になったら世界の方を否定しだす」ぐらいまで行きそう
Summer498.icon
目的Xの実現のために手段Aをやるべき、という意見の人が「手段Bの方が良い」と主張されて、「確かにそうだな」と思ったら「手段Aが良い」をあっさり手放すnishio.icon
これ目的Xの達成に本気だよね
「目的Xのために〜」と口で言ってるくせに手段Aに固執する人は本気ではない
+1biwa.icon
もっとプライドを持って意見を持ってくれないと、その程度なんだと私は思います
ちゃんと考えぬいての意見であれば、しっかり自信を持って欲しいです
自信を持ってないということは、そのくらい考えてない意見なんだと思ってしまう
争いを嫌うポーズをしながら、受け入れやすい否定しづらい主張をするポジション取りがイヤSummer498.icon
みんな違ってみんないいを否定したら印象悪く見えるのを利用されてるように見える
というか、みんな違ってみんないいを言いつつ暗にこちらの意見を否定するケースがあって、その時は普通に不愉快になるね
あー違うんか。上のを見てるとこちらの筋悪な意見を否定せずに度量の広さを見せつけるムーブをしてくるのがムカつくかもしれん
度量の広さとかより、考えてなさ、真剣さのなさ、であるような気がしますbiwa.icon あ~それも透けて見えてムカつくのかもしれないSummer498.icon
「こっちは真剣なのに、あなたはその程度なんだな」ってbiwa.icon
これ以上話しても平行線だから、話すのはやめようか
こういうことなの?biwa.icon
だとしたら、僕は平行線でもいいから俺の意見を叫び続けるbiwa.icon
会議でこれ言われたら、じゃあこれは何のための会議なの?ってなるbiwa.icon
やるべきは、意見の整理じゃなかろうか
感情としては似てるというか、ほぼ一緒だbiwa.icon
もう少し個人のScrapBoxで整理するか。
すごく興味あります…yuki_minoh.icon
わかりしかない
そういえば、ずっと前に書いたエッセイがすごくこの話題に関連しているなと思ったので、リンク置いておきます
テレビ番組を題材にしたエッセイです。
番組の中身:まひろ「みんな社会的・政治的なことにもっと関心を持つべきだよ!」 → 一同「えぇー」
わりと独りよがりにかいたので、わかりにくいかも
文が長くて読むのに時間かかるけど、興味深いので後で読むbiwa.icon
わーい読者だyuki_minoh.icon
未だ読んでおらずbiwa.icon
読んだけど、イマイチ関連がわかんなかったやbiwa.icon
誰もいない世界で一人何かを叫び続けるみたいなところは似てるのかな?
https://gyazo.com/64deca5bb2039979bc3135f682f2adb2
この図は割といい図かもしれないのでこっちにも貼る
これ以上話しても平行線だから、話すのはやめようか
suto3.iconがよく使うフレーズ
これ、平行線なら話すのをやめるは飛躍している気がするbiwa.icon
やるべきは議論の方法を変えたり、話の整理なんじゃないのかな
一旦別な話をしようという意味なら分かる。金輪際この話題はやめようという意味なら分からない久住哲.icon
めんどくせーからもう話したくない、という意味だと思ってる基素.iconnishio.icon
これは理解できるbiwa.icon久住哲.icon
「めんどくせー」を別の表現にすると「掛かるコストの見積もりが、得られる価値の見積もりを超えたから、辞めるのが合理的」nishio.icon
上記の「平行線だからやめよう」も「この話を収束するまで続けたり、議論の方法を変えたり、話の整理をしたりするコストが得られるものに見合わないからやめよう」の意味
とてもわかるyuyuko.icon*3
議論の場でこれを発言することはほぼないが、似た意味の言葉を言うことはあるcman.icon
「多分これ、お互いに“譲れないところ”まで行ったな」ってとき
合意形成が目的じゃない場合「オッケーです。多分そこはわかりあえないですね」ってなる
合意形成が目的だとしても「ここはわかりあえないし合意が取れないので別のところで取りましょう」となる
「この話たぶん決着つかないんでやめません?」とかも言う
感性の話であるとき
感性は人それぞれであることは自明なのだが、あらためて思い出すために「まぁ人それぞれですからね」と言う
諦めのためでもある。「そうかー、オレはコレすきなんだけど、まぁ人それぞれだからな~」
「互いに理解できないこと」が理解できたね、という着地のために枕詞として使うこともありそう
あるyuyuko.icon
いい話基素.icon
まあ人それぞれだから関連のbiwa.iconのお気持ちが概ねわかる〜!!.iconなんだけど、途中で分岐があるなSummer498.icon 全力を尽くしてわからせようとして、それでもなお相手が理解できなかったら、お前は何もわかってないと言いたい
ココで分岐する
Summer498.iconはこの辺で違いの解像度が上がってるはずだから満足する
そこまでの「人それぞれだから」のポーズをされるのがイヤなのは分かる
コレ少年漫画で言語化されてそう
Summer498.iconの場合ココで一発グーでいきたくなるんだけど、それ込みで漫画で言語化されてそう
漫画に落とし込むというのは正確には言語化の域を超えているなはるひ.icon
確かに動作が入ってるしSummer498.icon
文章のかわりに漫画をかけば表現の幅が広がるかもしれない…
台本を渡したら漫画が出力されるLLMがそのうち来るだろうから、将来漫画で表現する時代が来るかもしれないSummer498.icon
まあ、概念のかんたんなイラスト化なら/nishioなどでよくみるはるひ.icon こんな場面を想起する
who1.icon「まあ人それぞれですから」
who2.iconがwho1.iconを殴ってふっとばす
who1.iconキョトンとした目
who2.icon「何いい人ぶってんだよ!」
who2.icon「お前はただ理解を放棄しただけだろ!」
who2.icon「人間が十人十色なんてことは先刻承知の上なんだよ!」
「人それぞれ」がうまれたのは、もしかしたら人間が十人十色なんてことは先刻承知の上ではなかった時代だったのかもしれないtakker.icon
みんなから違うことを非難される時代
今も複数の場面でそうだったりする?
しかしここではそれを前提とした上で、さらに次の段階へ踏み込みたいのだろう
Summer498.iconはそうだと思って書いてた
途中でbiwa.iconがオタクの本気について語り始めたのでついていけなくなったけど ついていけなくなったのでココにとどまりつづけている
……と思ってた(自分だったらそう解釈する)のだが、絶望あたりの記述をみる限りそうではなさそう
who2.icon「本当はただ面倒くさいだけだろ?」「嘘ついてねえで正直に言えよ!」
(ココ上手く繋げたいけどいい感じのが思いつかない)
who2.icon怒って去る
who1.icon最後までキョトンとした目
who1.icon「まあ…こうするのも人それぞれですから」
漫画の世界ではそれでいいとして、現実では殴った時点でアウトです… suto3.icon
who1.icon「まあ人それぞれですから……でも、暴力はいけませんね」
(ここから修羅場)
殴った時点でアウトなのもわかってるけど、殴らないと気が治らないから殴るbiwa.icon
現代の道徳水準では殴った時点でアウトだということを踏まえた上で、現代こういう場合に殴る的な選択肢が封じられていることには課題があると思う久住哲.icon
殴った時点でアウトなので、殴られるまで煽り倒したら勝ちになるな~って考えることがあるSummer498.icon
殴られるまで煽り倒したら勝ちになるのをぶち壊したいみたいな気持ちはある
殴ったことはないけど
殴られたことがあるけど、結局、双方が気まずい思いをするだけで、良いことは何一つ無かったよ suto3.icon
(あまり思い出したくない)
物理的に殴り返されないから安全だと思ってSNSで誹謗中傷をして、開示請求をされて泣いて謝る人たちがいるnishio.icon
このケース、誹謗中傷する側が殴る側に見えるなSummer498.icon
誹謗中傷したら開示されてアウトになる = 殴ったらアウト
法的なアウトとか知らないから。アウトなことを知った上でやらなきゃいけないこともあるbiwa.icon
多分共感できるんだけど言語化した文が過激なので一瞬引くSummer498.icon
「殴られるまで煽り倒したら勝ちになる」のをぶち壊したいみたいな気持ちはある
共感の根拠はこの辺
殴るという余計なファクターを追加することで新しくお気持ちをざわつかせて議論を紛糾させている気がするSummer498.icon
別の場面
who1.icon「まあ人それぞれですから」
who5.iconがwho1.iconを殴ってふっとばす
who1.iconキョトンとした目
who5.icon「何いい人ぶってんのよ!おにーちゃんなんて大っきらい!」
who5.icon「おにーちゃんはただ理解を放棄しただけでしょ!」
who5.icon「人間が十人十色なんてことは先刻承知の上なんだよ!」
who5.icon「本当はただ面倒くさいだけでしょ?」「嘘ついてないで正直に言いなさいよ!」
who5.icon怒って去る
who1.icon最後までキョトンとした目
なぜか、ふーこwho5.icon だったら許してしまいそうsuto3.icon
なんかいい感じの文言が浮かばないな
やっぱセリフ思い付く人凄いな~
who2.iconに「Aして」「Bして」「Cして分かり合おうとしてんだよ!」みたいなセリフをリズミカルに言わせたいんだけどいい感じの動詞のセットが浮かばない
想起する場面が、僕の中にあるそれと完全に一致したbiwa.icon
「何大人ぶってんだよ」みたいなことを言いたい
ちょっと近い場面があるのを思い出した
自分の言葉で話しなさいよ!しか一致してない気がするけど
個人的にはまあ人それぞれだからよりは「この話時間かかりそうなので一旦XXしません?」みたいに (なんか議論するのダルくなってきたな)Oo. というお気持ちを正直に伝えてくれる方がスッと入ってくる yuki_minoh.icon
僕のスタンスは、わかりあえないのが大前提として、わかる努力は惜しみたくないなぁって感じですね
わかり合うのが「得がたき理想」で、話し合いはその実践の問題
実践の問題に時間や労力や疲労や諸々が関連してくるのは、この話題に限らず当たり前
方法論の常。
そもそも、すでに議論をしているのにも関わらず「わかり合うのが理想ですよね」に同意してくれない人間に対してはかなり軽蔑する
そういう人と友人としてはつるみたくない。
とはいえ、関係を切るというよりは、知り合いとして、相互理解を深める対象。。。て感じかな 対話の次元ではなく、体験・発見・目撃の次元
オンラインなら多分不可能
リアルで時空間と体験を共有していることが前提
適度な距離感、大事。
ここの部分に共感するnishio.icon
「すでに議論をしているにも関わらず」=リソースを注ぎ込んだのに
「人それぞれ」=つまらないリターンしか出てこない
諦めないでほしいbiwa.icon
感性の話なので、「諦めずにわからせようとする」方がよくないなという個人的なスタンスですcman.icon
花のことをどうしてもきれいと思えない人に花の美しさを説明して、それでもきれいだと思えないな、と言われたらまぁそうだね、じゃあ仕方ないか。となる。
もっと卑近な例だと、トマトが嫌いな人にトマトの美味しさを説明しても解消されないだろうし、別に解消する必要がない
逆に言えばコレは、“花とかキモいだろ”という感性を押し付けられないための防衛でもある。
押し付けられたくないから押し付けない。
説明はするけども。
そういうスタンスの方がお互いにとって良いってことは分かってるけど、その上でなお否定したいbiwa.icon
なぜだろう?(これは「裏に何かしらのモチベーションがあると思うので、それが知りたいな」という問いかけ)cman.icon
僕もわからないので、僕の中に浮かんだ欲求を書き出しておきますねbiwa.icon
どれが真に言いたいことかは、探し当ててくれると嬉しい
きっと分かり合えるはずだと信じて、わかり合おうとして、それでも分かり合えずに絶望したいbiwa.icon
諦めとかは生ぬるくて、絶望がしたい
少なくともここの言語化が最高だったので「はいサイコ~~~~!!!オッケーオッケーそのままでいこう!!!最強!!!」となり、心のざわめきは無に帰しました。thx。cman.icon
その絶望って会話相手も同様に感じるタイプ?kumatako.icon
(前提:kumatako.iconはやや諦め派)もしそうだったら普通にムカついてしまうな
なんかここの言い方キツイな 「私にはわからん考え方が言語化されてておもしれ〜」と「それで諦めないことを強いられたらいやだな〜」の心がふたつある〜 同様に感じるタイプだと思いますbiwa.icon
そこは考えてなかったな
ここの絶望って徹底的に議論した後の疲労感を伴った状態で「結局…、俺たちは分かり合えないんだな…。」ってなる感じだと思ってたSummer498.icon
相手への絶望というより「分かり合えないということ」への絶望
分かり合えないことへの絶望、諦め派は常にうっすら感じている気がして、わざわざ徹底的に議論してこの気持ちを深めなくてよくね?と思ったkumatako.icon
そんな感覚では足りないからbiwa.icon
そしてたまに分かりあう時もあって、その時に感じる達成感も異常なわけですよ
絶望/絶頂を常に求めている
ニンニクマシマシじゃないとラーメンを美味しく感じられないみたいな感じ
お、おうマジか……takker.icon
予想外のことが起きたとき、そうきたか面白いと感じることと、ええ……(困惑)となることとの2通りがある
今回は後者
アーティストだなーと思っているSummer498.icon
アートの原動力になりそうな感じするもん
単純にマゾなだけだという説もあるbiwa.icon
自分の方が正しいと思っていたいbiwa.icon
人それぞれだからだと、自分の正しさの証明にならない
多くの人が正しいと信じて初めて正しくなる
でも別に多くの人が正しいと思わなくても、僕はずっと僕の方が正しいって思い続けるけどね
実存主義の話になってきそうだtakker.icon 諦めを人それぞれだからとかで片付けたくない
全力を尽くしてわからせようとして、それでもなお相手が理解できなかったら、お前は何もわかってないと言いたい
相手を悪くしていきたい
最悪だけど
分かり合えなかったとしても、合わなさの原因の答え合わせもしていきたい
これはわかるtakker.icon
どこから僕たちはすれ違っていたんだろう
ずっと地団駄踏んでたいな
そのこだわりについて自分は正直どっちでも良いので、大抵はその意見を緩やかに肯定し、そのこだわりのある人の意見を取り入れる事が多い ここで相手になんて言うかだな
自分はそこにこだわりがないです、意見がないです。とまずは表明するかな
そんなに良いなら一つ乗ってみます と言えると良いかも
便利な言葉
この機会に切り出した
ぼくは「人間がわかり合うことなど当然できない」という姿勢で生きているなcman.icon
というか、「おまえはぼくのことをわかりきることなどできないだろうし、だからぼくもお前のことをわかりきることなどできない」かなぁ。
だから常に選択肢に“わかりあえなかった”という着地点がある
それは着地点であり、結論なので、そこから別に深掘りしようと思わない。特に会話では。
創作してるからっていうのもあるかも。
本当に“わからせたい”と思ってるならぼくは会話をせずに小説や作品を書くと思う。
そして、それすらわかられないなら、あぁ、きみはこれのことをわからない人間なんだね、と思う
太宰治『自作を語る』みたいな
私がAと言う作品を創る。読者が読む。読者は、Aを面白くないという。いやな作品だという。それまでの話だ。いや、面白い筈だが、という抗弁は成り立つわけは無い。作者は、いよいよ惨めになるばかりである。
いやなら、よしな、である。ずいぶん皆にわかってもらいたくて出来るだけ、ていねいに書いた筈である。それでも、わからないならば、黙って引き下るばかりである。
これは作品性についての議論だと思ったyuki_minoh.icon
アーティストの友人は議論以前にコミュニケーション自体に前向きでない
アーティストはコミュニケーションから回収できることが少ない
そもそも多弁なやつは損をする世界
前提が僕yuki_minoh.iconと違う可能性がある
どういうたぐいの議論をどういう動機でしているときの「まぁ人それぞれ」なのか、そのへんの想定に乖離がありそう
「まあ人それぞれだから」という言葉をcman.iconがそのまま言うのは感性の防御/尊重場面くらいなので
このわかり合うことあできないというのは、全ての事柄においてですか?biwa.icon
cman.iconが言う「わかりあうこと」というのは非常に高いレベルを求めているので、「ほんとうにわかりあうことは、すべての事柄において出来ない」という表現なら近そうcman.icon
少なくともそういうスタンスでコミュニケーションをする
非常に高いレベルとは、「青空だなぁ」と言っただけでぼくが感じているものをほとんどすべて感じ取って受け答えするレベルのことを言う
これが出来るのはなんかもう魂の片割れだと思うんで、少なくとも通常の空間に存在してない
書いてて思ったけどコレ言い過ぎかもな。
そもそも「わかりあう」ということにはグラデーションがあると思うんだけど、その点について自分の中の解像度が低くて適当言ってそう
「わかりあった感じ」が出たときは運がよかったね、と思う
たまたま魂が近くて運がよかったですね~(まぁ全部はわかり合ってないけどな)と思う
対立してる人とわかり合った経験はないですか?biwa.icon
上述の通り「わかりあう」のことを高いレベルで見積もっているので、対立している/していない関係なくほとんどありませんcman.icon
意見として相手の言っていることの意味がわかったとしても「人間がわかりあった」とはあまり思わない気がするなぁ
この空間に2つの論があるね、と思うかも
湿度のある諦めは、許容に似ていて、さびしさと愛情が並行した夜の海みたいな触感がある。
“諦めないでほしい”にちょっとした反発というか、心のざわめきがあって書いたのは、それもあるんだろう
ぼくの人生において諦めは大きな部分を占めていて、「死ぬのを諦めた」から生きてるみたいなところがある。
仕方ないから生きていこうね、とよく思う
だから反発するんだろうな~
これもわかるなyuki_minoh.icon
僕のスタンスはやっぱり「諦めないでいこう」なんだけど、「はーしんど。。。」的な感覚はけっこう好き
頑張ったのにわかりあえなかったり、進めないと行けない仕事の関係とかで距離がとれなかったりして辛酸をなめつつ、そこで一旦中断したり関係解消になってしまったあとの気持ち???
決して諦めではないが、諦めに近い
あと単に距離をうまくとろうとするのは結構好き
近づきすぎないでいこうね的な
でもちょっと違うかな。孤独を愛してる感じかな
興味深い👀Summer498.icon
諦めないでほしい人と諦めないでほしいに反発を覚える諦める人の両者を観測した
しかも両者共に心のざわめきがありそう
なんとなく想像している争いの火種のモデルケースみたいな正面からのぶつかり方だ
でもcman.iconは諦める人なので「いやぁ、まぁ、諦めないでほしいって言いたいならそれで良いと思うけどなぁ」と思っています
それはそれとしてぼくは諦めるがcman.icon
「いやぁ、まぁ、…と思うけどなぁ」この考え方好きSummer498.icon
諦め側が諦めに関する意見のぶつかり合いでも諦めを貫き通してるのが好き
諦めのことが好きいい言葉nishio.icon
「諦め」にネガティブなニュアンスがあるけど反対に「執着」を持ってくるとどちらがいいとも言えなくなって良さそう これも似た感じ
わかりあうことと諦めに関しては、また違った考え方をしてるなぁnishio.icon
人生は大雑把にいって30億秒なので、地球上にいる人みんなとわかりあうために平等に時間を使うなら一人あたり0.5秒しかない
なので対話を「わかりあう」ための手段として使うのは筋悪
自分のことをわかってもらうことと、相手のことをわかることは区別すべきで、前者は「文章に書いて発信する」という手段でスケールさせられる
後者は今のところスケールさせられない(今後AIの支援によってスケールするようになる可能性はある)
だから、大部分の人に対して「相手のことを理解するための時間が足りない」の状態になるのは仕方がないこと、という感じの諦めがある
自分もあまり後者をスケールする話は考えていない気がする、会社の同僚とか、利害関係のある人を想定していたinajob.icon
生活費を稼がないといけない状況だと、限られた「相手のことを理解するための時間」は顧客に対して優先的に使われる
家族に対しても優先して使われる
(このバランスを失敗して家族からヘイトを貯めてる人もいそうだが)
そうなると利害関係のない人に対してはあまり時間が割かれなくなる
Summer498.icon
諦め、意外と人の心の根っこのあたりで価値観の違いを作り出してそう
諦めたくない人と諦め(たい|てほしい)人はお互いの考えを見ると心がざわつきそう
政治と野球の話は禁止みたいな半分ことわざっぽくなってるやつがある
真に言わないほうが良さげなやつは諦めの話みたいな心の根っこで価値観の違いを作り出してそうな話題では?
コレ系のストックは溜めておいたほうがいいと思う
無用な争いを避けられる
「分かりあえない人たち」みたいな小説書きたい
分かり合うことそのものに対して登場人物全員の価値観が違っている話
今のところ「書きたい」が「文を書くのめんどくさい」に負けている
gpt-4.iconnishio.iconここまでのまとめ
"まあ人それぞれだから" のスタンスへの反応:
このセリフは、人々が争点や疑問について違った意見や考えを持っていることを受け入れるものです。
しかし、このセリフに対する意見や感想が複数示されています。
一部の人々は、このセリフを使って本質的な議論や対話を避けることに反感を感じているようです。
「みんな違ってみんないい」という考え方が、すべての意見を等しく受け入れるということになり、それが議論や真剣な考察の場での問題点として浮かび上がっている
確かに、「みんな違ってみんないい」と言うことで意見の深堀りを避けたり、その場をやり過ごすことは、議論を進める上での障壁となる
しかし、逆に考えると、この言葉は「争いを避けるための言葉」として使われる
日本の文化は、和を尊ぶ文化として知られ、対立を避けることが美徳とされてきました。
そのため、「人それぞれ」という表現は、相手を尊重するという意味合いも持ち合わせていると思います。
議論やディスカッションの場では、確かにこの考え方だけに頼ると、意見の対立や深い考察が避けられがちになり、真の意味での理解や合意形成が難しくなるかもしれません。
「議論の方法を変える」という提案は、非常に有意義
相手との意見が平行線になってしまう場面でも、方法やアプローチを変えることで新しい視点や合意点を見つけることができるかもしれません。
漫画を用いることで、感情や思いをより具体的に、そして視覚的に表現することができるという提案があります。
議論のスタンスや価値観についての反応:
「わかりあえないのが大前提」というスタンスについての意見があります。
人間同士の完全な理解は難しい
議論をする際には、双方の意見を理解し合うことが理想
コミュニケーションの重要性や相手を理解しようとする努力の価値
人とのコミュニケーションや理解において、限られた時間やリソースの中で選択をせざるを得ない点は、納得できる。
しかし、相手を理解する努力を放棄すべきだとは思わない。
たとえ完全な理解が難しくても、少しでも相手の気持ちや考えを理解することで、より良い人間関係を築くことができると思う。
感性の違いを尊重するスタンス
花の美しさやトマトの美味しさなど、特定の物事に対する感じ方は人それぞれであり、一方的に他人の感性を変えるのは困難であるとの認識が示されています。
"諦め"に関する感じ方
ある人は「諦めないでほしい」と願い、
またある人は「諦める」というスタンスを取ることで心の安定を得る
諦めることとその考え方には、人それぞれの価値観が反映される。
価値観の違いを受け入れることもまた、人間関係の円滑化に寄与すると感じる。
kumatako.icon
「わかること」と「わかるコスト」の重みが人によって違って面白い わかることや、結局わからなくてもその過程に労力を注ぎ込むのが苦じゃない人がいる
nishio.icon
「議論をする以上はわかりあうところまで諦めずにやるべきだ」は理想の押し付け
相手がそれに合意していないから「人それぞれ」と言って終わらせようとしている
このページは「人それぞれ」を言われた側の視点で議論が始まった
なので「人それぞれ」という回答で議論が終わらせられるのは生産的ではない、となった
しかし逆に「人それぞれ」をいう側の視点で考えてみると、たぶんそれ「この議論を続けても生産的ではないから終了しよう」の意味だよね
議論を継続することの有益さに関して当事者間での見積もりが異なっている
Summer498.icon
議論が混迷している
多分議論のためのリソースとかオタクとしての矜持とか、そういうの全部両者が自分の論を補強するための肉付けなんじゃないかと思っている
「諦める」か「諦めないか」すらどうでも良くて、多分いい感じの言葉で提案したら「諦めたくない」側も議論を中止すると思う。
「会議時間押してるんで、一旦休憩しませんか?」
「すまん!集中切れてきたから、また今度!」
「まあ人それぞれだから」のセリフで議論を止めてほしいことを察してしまい、正直に議論を止めてほしいと言っていない相手にムカつくのでは? まあ人それぞれだからのセリフからエミュレータが「もうウザくなってきたから議論やめろ」を吐き出す (察する)
ついでに「もうウザくなってきたから議論やめろ」と思ってるくせに、妙に反論しづらい (わりに情報量の低い) 意見でまとめようとしてくるところに反発を感じるところがある
最後に良い方のポジションを取って終わろうとしているように見えている
このページのSummer498.iconの書き込みは大体これで説明がつくと思う
議論に対する熱量の違いを感じて、いろんな感情が起こってそうに見えるkumatako.icon
「諦める派」は議論より大事にしたいものがある
「諦めない派」は議論を大事にしている
「諦めない派」から見ると、まあ人それぞれだからによって自分が大事にしている議論を軽んじられたように感じる?
「諦める派」はまあ人それぞれだからで穏便に収めたつもりだけど、「諦めない派」にとっては穏便に収めようとすることが嫌なのかも?
いい言語化Summer498.icon
Summer498.iconの場合は「諦める派」が「まあ人それぞれだからで穏便に収めたつもり」になっているのが嫌
「良いことを言って、紛糾しそうな議論を止めた」というポジションを取りに行ったように見える
穏便に収めようとすることが嫌ではない
多分まあ人それぞれだから以外の言い方をすれば穏便に収まるし、それは嫌じゃないと予想している
確かによい収め方じゃないなあkumatako.icon
私の中の諦める派エミュレータは「穏便に収めたい意図」を感じるけど、Summer498.icon内のエミュレータは「議論を収めたつもり」になる
こういう齟齬が大きくなるような言い方はコミュニケーションのミスっぽいな
良い収め方じゃないなぁと思ってるから会議時間押してるんで、一旦休憩しませんか?みたいなのを提案しているSummer498.icon
上の提案もだけど、いい止め方だと思うkumatako.icon
これをやると「休憩終わったんでさっきの続きなんですけど」をされるなcman.icon
cman.iconが言う場合は「おまえの言いたいことはわかったが、これ以上オレの操作をしようとするな」か、「おまえがこれに同感を示さないのはわかったので、これ以上の説得はやめておく(オレはこうだと思ってるけど)」なんで、目的が果たされない
でもこれは想定場面が狭いな。ナシ。cman.icon
感謝Summer498.icon
おそらく前提が全然違うような気がしてきたtakker.icon
今見たら不足してるところあるな
とりあえずコピペ。あとで書き直す
議論のやつ、ヘーゲルの弁証法で全部統一できるという考え方と、そんなことない完全に理解し合えるなんて不可能だしむしろそうして無理やり一つにすべきでないという実存主義以降の考え方との相似性は指摘されてないな (ここで書いた対比もおかしい。実存主義はそういうことではない)
この話してる時に、僕も止揚という単語が頭をチラついてたbiwa.icon なんかヘーゲルの弁証法と関連づけて話すことできるかもしれない
ちょっと興味ある
自分はこのあたりの思想の流れを学んで、同じ理解に到達すること自体は重要ではない、重要なのはお互いのスタンスを知ること、仮にスタンスを理解できなくとも理解し合おうと対話することが大事だと知った。 土木工学科の生物でやった、自然と人工とのせめぎあい、土木事業者と環境保護派との対立の折り合いの話を通じて、それは更に強化された(が、話の重要なところは忘れてしまった。当時のノートを読み返せば思い出すだろうか……)
おそらくびわちさんもそう思っている気がする
んで相違が出ているのは、これのことではない
もう少し前提条件を明確にして場合分けする必要がありそうな匂いがする
"議論"についても、色々あるからそこの分類分けも必要そうだbiwa.icon
場合によってルールが違いそう
土木事業者と環境保護派との対立
これは、お互いに本気
適当にアニメ作品とかの解釈を語り合うのは、半分本気のプロレスみたいなもの
アニメ作品じゃなくて、プログラミングの話でもいいよbiwa.icon
これで解釈違うと、この人とは一緒に仕事できないなって思うけど
でもその本気度合いの違いによる摩擦も生まれそう
何か道具使わないと、この話題で、これ以上の何かが生まれそうにないなbiwa.icon
コレだと思うものを見つけたので貼っとくSummer498.icon
このルールいいね。漠然と僕の中にあったルールと合致するbiwa.icon
それだけ素朴な概念なのかもしれないけど、良さそう。
表題のような台詞を遠回しの拒絶として使ってることがあるってわけかsta.icon