人はなぜ憎しみあうのかのふりかえり
『人はなぜ憎しみあうのか』の目的は、人間社会をはじめとする動物社会の性質を調べることによって、こうした幅広い現象をできるかぎり理解することである。私の主張は、人間の社会は、私たちがあまり信じたくないほどまでに、社会性昆虫の社会に似ているというもの
本書の目的あらためて理解
社会の一員であることとは、人種や民族などと並んで自己意識を構成する特定の要素、すなわち同じものを優先させ、同じ感情を引き起こすことのできる帰属感であると(特に最後のほうの章で)考察している
これまで読んできて社会やアイデンティティについて理解が進んだ気がする
長年にわたる帰属感から愛や忠誠心がどのように生まれてくるかだけでなく、そうした帰属感がよそ者との関係で語られるとき、どのように憎悪や破壊や絶望を助長しうるのか、ということだ。
序章のこの言葉がめっちゃささる。いま自分の仕事として、「部署への帰属意識をあげる」っていうのがあるんだけど、それは「憎悪や破壊や絶望を助長」するのではないのか。。。っていう観点はつねにもたないといけないな。。。
このあたりは動物の行動事例がたくさん出てきてめちゃくちゃ面白かったなー
このへんのアリで説明される匿名社会とか社会の複雑さみたいなものはあらためてよかったなー。ダンバー数に頼りすぎた議論の危うさとかもこのへんで認識できた気がする。
しるしとアイデンティティに関する話。しるしをうまく使って帰属感を高めていきたい
ステレオタイプは進化とともにあったことは想像に難くないんだけど、これでヒエラルキーがうまれるっていうのはなんともだなーっていうのとか、戦争を身近に感じて、生物全体の性みたいなものを感じたなー。
実際には何の根拠もない否定的なステレオタイプにしがみつく傾向が人間にはある
これ仕事でなにかを評価するタイミングが増えれば増えるほど向き合っていかないといけなんだよなー。そういう意味だと、タレントマネジメントシステムとかチェックリストとか手法ってつねに世の中のバイアスやステレオタイプとちょっとずれたところを狙う必要がありそうだ。。。
人々は、変化を食い止めるか変化に順応することができる。ただしそれは、社会のなかで情報が効率的にやりとりされている場合に限られる
これ、アジャイル開発とかリーンスタートアップでは中心的なトピックだと思うんだけど、情報の効率的な共有ってよくよく考えると、ある程度は定式化できそうなわけだから、もうすこし真面目に考えてみたいなってあらためておもった。
ほとんどの国家は、相互に依存していることを認識し、現代的な紛争にかかるコストを嫌がり、ただちに互いを征服しにかかろうとしなくなっている。まさしく、世界中の人間についての知識をもっていることで、めずらしいものがふつうになり、集団間の接触がまれで限られたものだった時代には到達できなかったような日常的な現実が生まれている
人間でよかったと思えるような内容だし、そんな本だった