第10章から第12章のふりかえり
狩猟採集民のバンドには闘争すべき階級は存在しなかった。
これ読んだ時に意外だなあという気持ちになった。どのように狩猟をするべきか?というリーダーみたいな人がいそうな気もしていたけど。
なんだか想像がつかない。お互いを信用できないから役割分担(専門化)とかしないのかなと思ったけど、そうだとすると支配しそう。関係性はどんなものだったんだろう。
それでも、寄り集まることによって、共通の目的という概念が人々のあいだに広まったにちがいない。
最も大きな問題は、これほどたくさんの個性が~人間はささいなことでしょっちゅうけんかをするからというものだ。
このあたりが面白い。ここを深掘りした本(章?)が読みたくなった。
集団における人間行動の社会心理学的考察
社会の破綻が要因となって、社会の大きさが一定していたのだろう。たとえばいくつかのブッシュマン社会にあるバンドは、二世代か三世代ごとに大きくなりすぎて機能不全に陥った
集団が大きくなると機能不全に陥りやすくなるのは人間の特性なのかな
大規模な人数で開発したかったら人間やめるしかない笑
人間でさえリーダーを必要とはしないということをこれまでに見てきた。狩猟採集民のバンドでは、日々の活動から長期的な計画まですべてのことは話し合いで決められた。しかし、数十人もの人々が長く一緒に生活していると、こうした平等主義的な方式は維持できなくなった
狩猟採集民時代はやはりリーダーはいなかったと想定されているのかあ。でも、そのやり方だと維持できなくなったんだな
バンド社会で暮らす何でも屋たちも物品の交換に頼っており、それによって人々の連帯がいっそう強化された。
人との関わりは価値の交換という気がする。交換だけじゃなくてプレゼントするだけでも繋がりを感じるけど
赤ん坊の時から人の基本的な機能は身につけているのすごい
機能ごとに身につけるまでの速度が違うのって、何から生まれているんだろうな、というのも少し気になった。
機能の使用頻度みたいな話ではなさそう?
私たちは身体的な違いを頭の中で誇張しがちな傾向にある
わかる
生まれて即座に判断できるようになるの面白いなー