第13章から第15章までのふりかえり
ロシアとウクライナの件の前と後にそれぞれ読んだけど、重みが全然違う内容だった。。
民族や社会が違いをもっとよく知れば問題が緩和されるのではないか、と思われるかも知れない...
この章を読むと、「QA」と「開発」がお互いにコミュニケーションをとっていくことで相互理解がすすむ、みたいな話に対してあやうさを感じる。「QA」や「開発」という風にまとめている時点で、「リンゴとオレンジ」になっているのかも知れない。
物語を作るとめちゃくちゃな話でも受け入れられてしまう可能性があるし、事実でないことを混ぜ込むこともできる。。。自分のプレゼンで気をつけたい。
統一教会の話の後に読んだからか、これまた色々刺さる話だった。。何か大きいニュースがあった後に本を読むと視点が変わって面白そう。
ステレオタイプは好ましくないものだと考え、偏見をもたないと自負している人でさえそうである。
ステレオタイプが備わっているのは人間だから当たり前だとして、ステレオタイプを持っていることを好ましく思わない人たちは、持っているはずのステレオタイプをどのように押し込めているのか、持っていないふりをしようとしているのか、は気になる
動物を人間化することで実際的な見返りがある一方で(たとえばハンターは、シカの次の動きを予測するためにシカが何を考えているかをよく想像する)、人々がいかにたやすく、自分以外の人間を非人間化するかを知ると衝撃を受ける(5)
自分はよくやりがちなんだけど、たしかに自分より劣っているっていう文脈が入るとそれは社会性が低いってことか。まぁたしかにそれはそう。インテリ悪口っぽいもんなー。
自身の社会と他者の社会を、人間以外の種も含めて、階層に分けられるものと考える。これは、中世において体系化された、存在のおおいなる連鎖という概念だ
ヒエラルキーで考えがちなのはもうそうとしか思えないからいいんだけど、過度なヒエラルキーの適用に気をつけたいが、すでに人間の普通は過度な適用になっていそう。。。
子どもは、人間は動物よりも優れており、よそ者は、自分の属する集団よりももっと動物に近いと考えていることが研究によって示されている
これ衝撃的だな。生まれつきなのかーみたいな。
「すごい日本人」みたいな記事や番組が支持される理由がわかる。
「アジャイル実践している人」への支持が極端にならないように気をつけたいと感じた。この章の話を読むと、WFを対比に持ってきだしたりすると危ないのかな。。?
寒中禊とか久しぶりに聞いたけど、研究対象になるんだな。たしかに文化人類学的には対象になりそうだ。
人間と他の種ではちがいがある。人間はたいてい、そのもとに結集するための何か──たとえば旗──をもっている。ただし、奴隷を使うアリは動物のなかでも例外かもしれない。働きアリたちはフェロモンという旗を共有し、一団となって動き回り、新しい奴隷を捕まえるために行進をする
旗のようなものをもつのは人間が特有っていうの、この書籍で何度かでてきた。これもセンターというメガネを通すと、実は他の動物にも旗のようなセンターがあるかもなーなんておもった。(文化人類学とか生物学をセンターでみるのはおもしろいかもしれない。