「ネクストアクション」の解釈の違い
玄武.iconフリーなライティング
ネクストアクションはどこから来るのか
すでにあるネクストアクションから
未だないネクストアクションから
すでにあるネクストアクションは、コンテキストや「四つの基準で現在の行動を選ぶモデル」などからすくい上げる
> とあり以下の章中で紹介される、「四つの基準で現在の行動を選ぶモデル」に「1日の仕事を三つのカテゴリーで評価するモデル」、「六つのレベルで仕事を評価するモデル」を加えて選択肢を整理した上で「(行動を)選択する」際の「直感」ですね。 未だないネクストアクションは、GTD本では望んでいる結果だけの状態のものからネクストアクションを考えたりとあるが、これだけではない
過去の記録や日記を読み返すことでもネクストアクションは出てくる
その他もろもろの方法がありますが、どちらかというと発想法に近いものを感じます。 発想法は、知的生産の技術に含まれるノウハウ。
GTDでは"望んでいる結果だけの状態のものから次にとるべき行動(ネクストアクション)を考える"ことが発想法
話はズレますが、ネクストアクションは、ネクストアクションリストにあるネクストアクション、ネクストアクションリストの中から選択されたネクストアクション、ネクストアクションリストの中から選択されたなかったネクストアクションもありそう。これもまた一つの「ネクストアクション」の解釈の違いかも ネクストアクションリストの中から選択されたネクストアクションをどうしていったらいいのかが、いわゆる実行の部分でここについてはGTDがサポートしていない(触れていない)
GTDしか考えない私にしてみると、実行中もまた小さなGTDの積み重ねに思えます。
粒度の小さい瞬間瞬間の望んでいる結果と次にとるべき行動の繰り返し。
このままタイピングするのか、ノートに書いてみるのか
タイピングするならGTDと入力しようとしてネクストアクションとしてキーボードのGを打つとか
そして、ネクストアクションリストの中から選択されたなかったネクストアクションを保持する
どこにどんなふうに記録しておくのかといった面がある。
すでにあるネクストアクションというのはネクストアクションリストにあるもので、未だないネクストアクションはネクストアクションリストにはない
ただ、そうはいってもひたすらネクストアクションリストにないネクストアクションを考えているばかりは時間を浪費するだけなので、どこかでネクストアクションを選択する必要が出てくる
なんとなくうちあわせCast「第五十九回:Tak.さんとトップダウンとボトムアップについて」にあった自分でコントロールできない時間によって、トップダウンとボトムアップの入れ替わりは時間によって区切られるといったことを思い浮かべました。 すでにあるネクストアクションリストから選ぶのはボトムアップ
未だないネクストアクションに思いを馳せるのはトップダウン?
うーん、ちょっと違うかも
すでにあるネクストアクションリストから選ぶは、すでに書かれたことに対してボトムアップとトップダウンを考える
未だないネクストアクションに思いを馳せるのは、まだ書かれていない・書いていない続きのことを考える
これに近いかも