知的生産の技術とタスク管理の螺旋構造
スタート地点をタスク管理(の技術)と定める。
タスク管理を始める上で、まずメモを書き残す習慣が推奨される
GTDなら「気になること」を書き留め、それをワークフローで処理するわけだから、「気になること」を扱わなければならない。 その「気になること」は、多くの場合、直接的な行動ではないものも含まれる。
「〜〜する」ではなく、「〜〜したいが、どうすればいいか?」(問題提起)、「〜〜がどんな仕組みになっているか気になる」(アイデアの種)
玄武.icon「気になること」というと私の場合、大半がいわゆる「心配事」「決まっていないこと」のネガティブなほうに寄るのですが、確かに「興味」「好奇心」といったことも「気になること」ですね。
当たり前なんだけれども、なんだか目から鱗でした。
こうしたものの扱いに使える技術がある。
問題提起に対しては問題解決が役立つ
発想法は、知的生産の技術に含まれるノウハウ。
アイデアの種は、広く言い直せば、知的好奇心ということ
それが著しく低い人はいるかもしれないが、だいたいの人が持っている
その対象は、別に学術的なものに限らない
カードゲームでうまく立ち回りたい(戦術研究)
上手に買い物したい(価格比較、交渉戦術)
パチンコで勝ちたい(データ分析)
これらの解決にも、知的生産の技術に含まれる、研究ノウハウが役立つことが多い
もっと実直に、「やるべきこと」の中に(知的)成果物を作成する、というのが含まれることもある。
企画書を書くとか、なにかそういうの
これはダイレクトに、知的生産の技術が役立つ
ということで、タスク管理を起点にして、知的生産の技術へと興味がつながっていく、という流れは想定できるように思う。 では、そこからのフィードバックはどうか?
知的生産の技術の知見が、タスク管理に役立つ(あるいはその興味を拡げる)ことはどんな形が想定されるか?
たとえば、「分類」についての考え方や、ボトムアップアプローチの親和性、ということはあるかもしれない。
他にはどうか?
自分はどうだっただろうか?
自分の場合は、ここに心理学(行動経済学)の知見も入ってきて、より整理が難しくはなっている。
私(rashita.icon)やTak.さんのように、知的生産行為からのフィードバックが強いと、既存のシステム(たとえばGTD)のようなものは崩れやすくなるのかもしれない。
玄武.iconここが個人的には気になりました。例えばGTDでは(ワークフローが)固定的といった点から、崩れやすい方向になるということかな、と想像しました。
rashita.icon知的生産というのは、新しい情報の創出であり、それは極論すれば「情報の新しい分類軸を見出す」ということです。そこまで言葉は強くなくても、「既存の分類軸に沿って情報を整理しているだけでは、面白い本は書けない」というくらいは言えます。だから、「気になること」を固定的に扱うことに、心理的な距離感を覚えやすくなるのではないか、という仮説です。もちろん、単に私やTak.さんの性格の可能性は大です。
玄武.iconなるほど、どうやら私には「気になること」を固定的に扱うことに距離感を覚えるより、むしろ「気になること」を速やかに適切に固定したいという思いの違いがありそうです。
この違いに気づけたことを面白く思います。
少し話はズレますが、GTDの高度モデルではどうにも身動きが取りにくいような(窮屈といった感覚でしょうか)を抱くようになってきました。
rashita.icon個人的に気になるのは、一度設定された高度における目標(大雑把にそう呼んでおきます)が、どのくらいの頻度で変更されているのか、ということです。一度決めたら、もうほとんど変更されないというならば、やはり窮屈感は強まるのではないでしょうか。
玄武.icon確かに固定的ではあります。上述したとおり「気になること」は早く固定したいのに、適切に固定すればするほど変更されない期間が長くなってしまうと窮屈感が強まるのはありそうです。
上手く変化を加える必要がある気がしました。
そういった時のためのナチュラルプランニングだとも思うのですが、どうも上手く機能させられていない感じがします。
GTDのナチュラルプランニングの立ち位置にあるものを知的生産の技術と絡めてテコ入れできないかなと思っています。
この辺は、もう少し検討したい。
よくある形(たとえばノート術の導入)で考えてみてもいいかもしれない。
ref: