目的・戦略・戦術
タスク管理は、戦術な感じがしています
ある本によると、企業に余裕がなくなると、「うちには、戦略が足りない」など戦略という言葉を使い、余裕がある場合、ビジョンと言ったりするそうです。同じ概念を違うことばで表示されると理解するまで時間がかかってしまいます…
玄武.icon余裕のある、なしで同じ概念を違う言葉で前者をビジョン、後者を戦略と表現する。なんとなくわかるような気もします。
ビジョンには、あまり時間の概念が含まれてなくても成り立ち、戦略には時間(期限)の概念が含まれているように感じられる?
玄武.iconそういうと、タスク管理という響きも余裕がない気がします。余裕のあるタスク管理を表現する言葉とは?(自問)
rashita.icon戦略という言葉の響きには(当人がどういう意味合いで使っているかは別にして)、「ある困難な状況を打破するための効果的な方法」というものがあり、ビジョンにはそういうものがあったりなかったりする、という印象はあります。
ちなみにこの二つは、『良い戦略、悪い戦略』ではまるで別物として扱われています。rashita.icon
デジタル版があれば読んでみたいですぷーあるちゃ.icon
rashita.icon発売されてないっぽいですね。
ぷーあるちゃ.icon残念
玄武.iconその人がどこまでをタスク管理(システム)として設計・運用しているかによるような気がしました。
ぷーあるちゃ.iconタスク管理に長期な視点が持ち込まれると戦略っぽいですね
玄武.iconGTDでいえば高度モデルの最高度(高度5000メートル)が目的、その下に位置する(高度4000メートル)のビジョンが戦略に、その下の高度3000メートルのゴールが目標にあたりそうです。
戦術寄り
戦略と戦術の中間?
目的・戦略寄り
タスク管理を目的・戦略まで含めて大きく作るか、含めずに小さく作るか。
大は小を兼ねるように大きく作っておけば、小さくも使えるのかなとも思います。
目的・戦略なき戦術は、果たして妥当な戦術と言えるのかどうか(自問)
rashita.icon目的・戦略なき戦術は、それが適切か(妥当か)どうかを決めることはできない、とは言えそうです。
玄武.icon目的・戦略なき戦術を考えて思い出したのは「かけ間違えたハシゴに効率よく登るようなもの」といった例えです。この例えが出てくるのは7つの習慣でしたかね。 いや、少なくともハシゴをかけている以上は目的があるのだから目的・戦略なき戦術とは少し違うような気も…
とはいえ、別なところからは「効率よく登れば、早く違う場所だと気づけ、また別の場所に登ることができる」ようなことも見聞きします。
「どっちやねん」という感じですが、こういう時に臨機応変(ケースバイケース)という便利な言葉を思い浮かべます。
そしてデジャブ
「かけ間違えたハシゴに効率よく登るようなもの」→「望んでいる結果」に問題の原因がある人に向けての進言
「効率よく登れば、早く違う場所だと気づけ、また別の場所に登ることができる」→「次にとるべき行動」に問題の原因がある(行動がとれない)人に向けての進言 ぷーあるちゃ.icon自分が置かれている状況が固定的ということは、少ないと思いますので、目的・目標を見直せる戦略は必要だと思います。
本では、目的のしたに目標があり、そのしたにまた目標があるという階層構造の概念が説明されていましたが、ふと思ったのが、目的のしたの目標が、並列にならんでいる場合もあるのではということです。いかがなものでしょうか?
rashita.icon並列にならんでいる、あるいは人間の認知として並列に並んでいるように感じられることは十分あるように思います。
PMBOKの本に良さそうな図がありましたが、そのまま引用は問題がありそうなので自分で作ろうと思います 玄武.iconPMBOKは手元の第3版でそれ以降の情報を更新していないのですが、今は第6版まで出版されているのですね。
Amazonのレビューを見ると内容はともかく書籍のあり方として酷評されておりますが…
私は第5版を購入しました。
たぶん、私が見た図は5版で改訂されたもののようです
玄武.iconなるほど、そうでしたか。朝、ペラペラとめくってみたのですが、良さそうな図があったかなと頭をひねっておりました。
PMBOKは読み込むのに苦労した覚えがあります(内容が抽象的なのと、物理的(大型本で分厚い)なのと両方の意味で)
第6版のKindle版に惹かれましたが、値段に引きました。
図描きました。
https://gyazo.com/7f80dffaedc8d1da906de12443236278
この図で見るとタスク管理は戦術ではないですね
玄武.iconタスクは「活動」で納得ですが、GTDでのプロジェクトの定義は、複数のアクションの集まりであり、直接実行することができないという考えに染まっているため、プロジェクトが「活動」に含まれていることに若干の違和感を感じてしまいます。
それはともかくとして、果たして「タスク管理」はどこに分類されるのかということが気になります。
単純にタスクを管理しているよと「プロジェクト」に分類される
いやいや、タスク管理でいろんなプロジェクトも含めて管理しているよと、「プログラム」に分類される
といったようにやはり人によって様々な場所に位置しそうです。
作業生産性向上のため、タスク管理を全社に導入するプログラムだと、戦略になりそうです。
玄武.iconうーん、どうでしょう、作業生産性向上のため、タスク管理を導入する場合では、タスク管理はプログラムとして「戦術」なのでは?と思ってしまいました。
ぷーあるちゃ.icon戦術の誤りです、すみません。
図を眺めていると、これって組織そのものだなぁと思えてきました。
また、タスクより上は、概念的だし、分類でもありそうで、固定的というよりは、可変可能で、とても柔軟なものに思えてきました。
プログラム、プロジェクト、複数のプログラムを管理することをそれぞれプログラムマネジメント、プロジェクトマネジメント、ポートフォリオマネジメントと呼ぶようですが、いづれにしても基礎の部分にはタスクがあるわけで、どのマネジメントにおいても、タスク管理は有用だと思います。
また、目的または戦略なきタスク管理であっても、合致する目的が見つかれば、適切と呼ぶことも可能かなと思います。
玄武.icon本人が意図しない、たまたま別の目的・戦略に合致するタスク管理が行われているとして、本人にしてみれば意図していない訳ですから、人から「適切だよ」と言われても、「違うよ、自分はそれを目的にしていないんだよ」という客観的には適切と呼べても、主観的には適切と思えないということはありそうな気がしました。
例えば「運動する」というタスクを管理していて、ダイエットを目的として運動しているのと、健康維持を目的で運動しているのと、運動負荷が違ってくると思います。
ダイエットを目的として運動しているつもりなのに、実際は健康維持ぐらいの運動負荷でしかなったとして、人から「健康維持には適切だよ」と言われても、「違うよ、自分はダイエットがしたいんだよ」ということになりそうです。
rashita.iconこういう図を見ても思うのですが、「経営効率向上」という目的を見定めたり、そこから戦略を策定したりすることも活動(タスク)なんだよ、ということがまったく抜け落ちている印象があります。上の図自体に間違いが含まれているというよりも、非常に平面的(一面的)な切り取り方な気がします。ぷーあるちゃ.icon耳がいたいσ(^_^;)です もう一枚図を加えてみたいです
玄武.iconなるほど、すでに出来上がったもの、もしくはどこかの誰か(世間一般や社会といったものも含むて)作ったもの、作るものという考え(思い込み・バイアス)が根底にありそうです。
ぷーあるちゃ.icon図には相互作用、ダイナミクスみたいなものが足りない感じですね。かと言って、ウォーターフォールモデルみたいなものでもない。
rashita.iconいや、論点がずれているな。「タスク管理は、戦術かどうか」という論点で言えば、タスク管理は戦術として始まるし、そのまま戦術で留まる場合もあるが、つきつめていくと、タスク管理が要請する戦略があり、またそれによって見出される目的もある、という表現が自分的にはピッタリきます。
玄武.iconなるほど、先ほどの例で考えるとしっくりきます。
「違うよ、自分はダイエットがしたいんだよ」という目的になり、「じゃあ、そのために今よりもっと運動負荷の高いことをしよう」と戦略を考え、「でもこれ以上運動をするのはちょっと大変だから、少しづつ運動負荷を高めていこう」と戦術をとる。
タスク管理そのものは戦術であるが、タスク管理をしている(タスク管理ができている)という状態は、目的ー戦略ー戦術ー活動の一気通貫した状態を維持できているということに他ならない。
これは、タスク管理の対象が粒度(「タスク」という粒度、「プロジェクト」という粒度、「戦術」という粒度、「戦略」という粒度、「目的」という粒度)の違いであるのかもしれません。
タスク管理という戦術でありながら同時に、そのタスク管理の対象は、戦術より大きい戦略や目的をも扱うという矛盾を兼ね備える?
rashita.icon「タスク管理」が狭義〜広義まであるのが、この話をややこしくしていますね。
狭い意味のタスク管理でタスクを管理していても、「これってなぜやるんですか? 必要ですか?」「どっちを先にやったらいいですか?」みたいな疑問は当然発生して、それを解決するためには(裁量があれば)プロジェクト管理が必要となり、結局その構図はどんどん上まで登っていく、という流れがあります。
目の前のやることは、必ず何か大きな目的とつながっている(はず)
それは、アウトライナー本で言うところの、今日という一日は人生という大きなものの一部でもある、という話に呼応する。
労働者に最低限の裁量しか与えない企業の場合は、労働者は一番狭い意味での「タスク管理」しかできない。それ以上の管理は別の人の仕事。知識労働者は、そのような単純な切り分けを難しくする。
硬直的な組織の場合、上から降ってきた「やること」は絶対であり、それを現場の工夫(あるいは苦労)で乗り越える、というのが「仕事の仕方」だった。その文脈におけるタスク管理では、プロジェクトの目的を問うといったものは一切必要とされない。
しかし、人生における「やること管理」はそのようには進んでいかない(あるいは進めようとすると痛い目にあう)。
前者は文字通りタスク(だけ)を管理する狭義のタスク管理、後者は広義のタスク管理
さながらミクロタスク管理とマクロタスク管理(ちょっと違うように思えますが)
ぷーあるちゃ.iconここまでの議論を振り返ると、タスク管理というものがかなり広さを持っていることがわかりました。タスク管理に興味を持ち始めたときは、狭義のタスク管理もしくはタスク管理の技術にしか目に入りませんでしたが、文脈によって意味するところが変化する印象を受けました。戦略、プロジェクト管理、タスク管理はそれぞれ独立して書籍が出ていますが、全てを総括したものは、ないように思います。捉えがたいタスク管理について、そろそろタスク管理概論的な書籍もあってもいいかなと思いました。
ここでの議論は
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