2025/4/27
本日は日曜日
少し肌寒い
Amazon musicで「Best of 水樹奈々」を流しながら作業
今日作ったページ
夜寝る前に読了した本の記録をどちらの日付に書くのかが少しだけ悩ましい
出来事の発生と、記録の実行日がズレている場合
「解説する」というのがどういうことなのかについての理解が、模範解答まんまに述べること、となっているのではないか
どうしたら解説したことになるのかがうまくイメージできていない?
2025年春アニメ
ざつ旅
テレビ番組の旅企画をそのままアニメにしたような作品
とりあえず第一話だけ見た。
ドラマ性は薄い。漫画家の新人賞をもらったばかりの女性が、ひょんなことから一人旅をする。新幹線にのり、町をぶらつき、飛び入りでホテルをとって、温泉に入り、寝る。そして朝食後、観光。ちょっとしたハプニングがあるくらい。日常系旅漫画(旅とは非日常なのでこの表現はおかしいわけだが)。
にもかかわらず面白い。というか、旅企画を面白く見れるならこの作品も面白いという感じか。
一ヶ月前の記録を読み返してみる(皆さんもどうぞ)
おそらく思考ログを役立てるには、さらに上段階のメモの体系化やネットワーク化の整備が必要です
一つ上のメモ(ノート)を作ることが大切というのは間違いなさそう
問題はそれがどういう形であればよいのか。
着想系メモであれば、それぞれのテーマのページを作り、そこにリンクを置いていくという形になるだろう。たとえばツェッテルカステンについてのメモであれば、ツェッテルカステン(の研究)みたいなページを作り、そこに書く。
もう一つ、「このようなことに取り組みたい」「今後こんな風に生きていきたい」のような大きな指針も、個別の日ごとノートに書いたあと、後々処理して、一つ上のノートに書いた方がよいと思う。リンクでもコピペでもいいから、そうしたものを一つの場所にまとめて、その内容を整理していく(できれば文章の形で書く)。
そうした処理ができたら、個別の日ごとノートの重要性は減るはず(日記的な面白さだけが残る)
一つ上のノートについては改めて検討する =>あとで考える
一ヶ月前の日ごとノートの読み返しの感想
読み返しやすさ、にくさに違いがある
他の人の日ごとノートへのリンク+自分の考えをダラダラ書く、というブロックは非常に読みにくい。書くときはこの形が書きやすいのだけども読み返したときに結局何が書いてあるのかが判別しにくい
一行目で概要、二行目以下で内容という形は(ごく当たり前のように)読み返しやすい
日記的なもののグラデーションがあると気がついた
「カレーを食べた」などは日記性が極めて高い。ある着想などはそれが低い。日付に紐付いていて欲しい感覚の高低に違いがあるという感じ。
中間地点に、連続して読んでいる本の記録などがある。
書く際にはこれらをぐしゃっと混ぜて書くのはよいと思う(書きやすいから)。しかし、その後処理したほうがいいのではないか、という気持ちはある。
着想メモのほとんどを覚えていない(そりゃそう)
キーワードにリンクがついているものは後から拾い出せる可能性はあるが、そうでないものはお手上げ
そうしたものはコピペして別の場所に移動させるか、こんな感じで一ヶ月くらい経った後で読み返し、面白さの強度が十分保たれているものは別の場所に移動させるか、まあ忘れちゃってもいいやと放置するかの選択肢がある
たとえば、上記の記述(スクショで残しておく)
https://gyazo.com/22698967583992dbb18a8237af96ae43
ある記述から連続的に進んでいる。実際私の脳内ではこれらが連続的に起きているのだからそう書くのは当然。しかし、インデントが深くなり、話題が入り交じってしまっている。
よって、書き出した後で整える。
https://gyazo.com/973eac677233fd6a3ef4019678e16b13
二つを別のブロックに分けた。これだけでもずいぶん見通しが良くなった。
で、必要に応じて一ヶ月前の日ごとノートの読み返しの感想を新しいページとして切り出せばいい。
その場合は、分かれさせたブロックを統合すればいいだろう。つまり、
https://gyazo.com/21edfcc5aade417315dc93ccd36c13e7
という形にする
これで読み返しやすさはかなり担保されそう。
卓越しないというのは、あんまり良いものじゃない
一つの価値観ではある。しかし、別にそれでいいんじゃね、という価値観もある。
「何か得意なことがあったらいいよね」というならばそう。
得意と卓越の違い
ところで、上を逆にすると卓越するというのはわりと良いということになるわけだが、卓越するとなぜ良いのだろうか。
ダーウィン
チャールズ・ダーウィン(1809年2月12日 - 1882年4月19日)はイギリスの生物学者で進化論の提唱者。
それまでの考えでは生物は個別に発達してきたと考えられてきたが、彼は生物の観察から「すべての生物は共通の祖先から、時間をかけて自然選択で進化してきた」という考えを打ち出した。これが進化論。
今ではもう生物学では当たり前の考え方。しかし、当時からするとかなり大胆な見方で、生物学で当たり前に受容されるようになったのは彼の死後であった。
べージに切り出せない、あるいは何もキーワードがリンクできない着想メモは、Cosenseにはまだ早い状態(若い状態)だと考えることもできる。
「あらためて考えるためのノート」のような場所に移動させておく?
infoboxで拾ってもいいのだけども、どうにもそれは違うような気がしてならない
この記事には朗読版もありますが、それは全部で6分47秒の時間がかかります。読むのにも、同じ程度の時間がかかりました。そして、著者がおかれたアンビバレントな状況を理解するには、どうしてもこのニュアンスの門をくぐりぬけなければいけないのです。
使用できる長さとニュアンスの比例関係
コンテキストを複雑にするためにはテキストの量が必要。
行間は、行と行の間にしか存在しえない。
いいね!=> "タイトル(仮):ふざけたタグを使うべきである or デジタルノートはもっとふざけて使うべきである"
タグはふざけててもいい
タグをふざけてつかう
ふざけるとは何か?
ふざけたタグを使おう / ふざけたタグを使いましょう
ふざけタグ
タグは何をtaggingしているのか? 何をtaggingすべきなのか?
タグは客観的、中立的なネーミングにしがちだが、はたしてそれは機能するのかという問題提起
感情を表現する
何を書き留めているのかといえば、そのときの自分の心動き
アイデアは思いついた瞬間は自分でも天才なんじゃないかと思うことがある
たしかに。
天才的なひらめき
この感覚を非言語的に表すと、💡になるのだろう。
#アイデアや#着想と表すよりも、より「いいことを思いついた」感が出てくる
#天才的ひらめきという書き方がそれに迫れるか
キュウリの酢の物をセッティング
Evernoteの自分の歴史を振り返ってみると、「自由に」タグ付けをするとそれこそテンデバラバラなネーミングになる。それぞれの「そのときの気持ち」の言語的表現が揺れるから。だから、■hogeのような接頭辞をつけて、それを入力することでサジェストを促して、つけるタグを定型化する。それでタグは均一になる(タグの分布図が安定する)。でも、はたしそれはどれくらい好ましいことであろうか、という問題提起はできる。
買った本
https://gyazo.com/18224b9915a7ca9fcf6de655a7e6abd0
4月の日ごとノートに#ロギング日報を付けて回った
https://gyazo.com/8713889c4a1106959cfa372b831c6369
一つのページに複数のinfoboxが表示されているのはなかなかクールなように思える
視覚的にこれくらいのブロックが「ちょうどいい」サイズに感じられる(内容はさておき記述量として)
https://gyazo.com/0feb04e901af0bcaf8ccb32fee150e0a
現状はロギング日報というページでinfoboxを管理している
このまま使っていくと強烈にこのページが長くなってしまう。処理速度や負荷もちょっと心配
4月ロギング日報というページを新しく作るか、4月の月ごとノートにinfoboxを入れるか
4月の月ごとノートにinfoboxを入れるのはなかなかよさそうだが、リンク的問題が生じる可能性
つまり、3月の月ごとノートに次の月のナビゲーションとして4月の月ごとノートへのリンクを貼ったら、それがinfoboxの対象になってしまう。これはあまり嬉しい動作ではないだろう。
デイリーしか目にしていなければ、視点の高さは一日に限定される。
「上のページ」は、視点の高さを変えるものであることが望ましい
メモ的、カード的に書いていくのと並行して、一つ上の記述も行う
その記述は、メモ的・カード的でよいのか、ノート的・マップ的なものを目指すのか
メモ的なものが一覧できればそれだけで「一つ上の記述」になっていると言えるのか
操作出来たほうがいいのか、それとも箇条書きリストでは力不足だろうか
着想につけるタグ
これスゲー!という感情
これは後からもう少し考えたいという感情
ニュアンスが異なるな。#着想というタグは上記を包括するし、その分どのようなアクションを採っていいのかわからなくなることもありそう
今気がついたが、interaction って inter-acitonなのか
相互的なアクション、そうだな inter-acitonって新しい言葉としてどうだろうと思いついた瞬間に、いやそれってinteractionなんじゃねえの、と気がついてしまった。
そもそも次の日へのリンクはどこまで適切か
利便性においても、構造的にも前後の日付へのリンクを置くのは自然に思える。
しかし、それは意味的に「関連する」と言えるだろうか。
どちらかといえば、ナビゲーションのため、という意味合いが大きいのではないか。そういうものをナビゲーションリンクと呼ぼう。 ナビゲーションは、意味的な関連性よりも、操作的な簡略化が目指される。
よって、そのリンクでグラフビューをみても嬉しいことは少ない。
月ごとノートの中に日ごとノートが並んでいるのは一応「親子関係」とは言える。
前後の日付も「兄弟関係」ではあるが、それは買い物リストや本の章立てほどの強い絆があるわけではない。
実際倉下は、Obsidian のデイリーノートはショートカットキーで移動するので、前後の日付のリンクは書いていない。
本文として「これを読み切ったら、次の日を読もう」という文があり、そこにリンクがあるなら意味は強まる。
https://gyazo.com/9686f02fec1a95d0e202a62a865ecc1d
ページのタイトルと項目が同じなのはちょっとダサイ気もする
つまり、どういうことだってばよ
汎用的なキーワードでピックアップを発動させ、抽出は複数の項目で?
たとえば#hookで拾い、「考えたいことがついていれば、それを抽出」というのを複数個設ける
しかしそうなると空っぽの項目が出てくるな。
「もし該当する項目がなければ、表示欄そのものを表示しない」という命令が効くならばありではあろ。
難しそうなので、いったん廃棄
ページのタイトルそのものを変更した。静的なラベルづけのタグではなく、後からのアクションを促すものには=>の記法を加えることにする。
https://gyazo.com/0762a60f7de707035abe56dfa94b0906
〜〜〜以下、思考の断片メモ〜〜〜
「結論がでない」ことを引き受けるということは、「結論がでない」ことを引き受けて本当に良いのだろうかという迷いもまた引き受けることだろう。
タグづけとレッテル貼り
終了がなくなったかわりに、唐突の切断が遍在する環境
永遠に続くかのように運営され、唐突に終了が告知される。
終わりのない世界の終わり
〜〜〜ここまで〜〜〜