2025/4/11
朝巡回
昨日のうちあわせcastで、Cosenseのウォッチリストから、更新のあるプロジェクトの確認ができることを知った こういう細かいディティールの話って案外記事とかでは出てこない。
あるページを起点に、1 hop linkや2 hop linkを1ファイルにまとめてexportできる
以前自分が作った、Cosenseから他のツール(たとえばWorkFlowy)にコピペするためのUserScriptの代替になる?
あとで調べておく✅
Cosenseは、書くのが心地いいので、スケジュールやタスクはmdファイルでObsidianで管理してるけど、そういった手帳的役割もCosenseに任せたいという気持ちがふつふつと。
ところで、なぜCosenseは書くのが心地よいのだろうか。
同様の感想を多数見かけている気がするし、自分もまったく同意だがそれはどの点に特徴があるのだろうか。
授業やテストによる一律の扱いから離れて、自分の主体性に基づいて行ったときに初めて勉強のおもしろさ、記録や振り返りの楽しさがわかった。
たしか村上春樹さんも、学校での体育は大嫌いだったが大人になってジョギングするようになって体を動かす楽しさを知った、という話を書かれていた
「自分の知識をベースに自分のペースで学習できる」という点が、つまりそのような自主性がモチベーションにも強い影響を与えるし、そもそもとして楽しみにも影響を与える。
たとえば、マインクラフトというゲームがあるとして、それを教科書に書いてある通りにプレイして、それ以外のことをやったら怒られる、という状況でプレイしたら楽しいだろうかを考えると、行為の中身そのものよりも「形式」が重要だということがわかる。
極端なことを言うと、僕たちは「勉強」が嫌いになるように訓練されているといってもいい。
実際、「勉強」という語感に何かネガティブな感じがするが、そこで行われる知的な対象ではなく、ある「させられ方」にネガティブさを感じているのだろう。漢字も「勉めて、強いる」だから強制のニュアンスが強い。でも、実際の勉強はもっと広い行為なのだと思う。「学習」と言い換えてもいいが、言い換えることで対象から目を逸らすのではなく、むしろ直視した方がいいのだろう。
手書きノートのよさは何だろう?
書くという行為にモードがあるとする。仮にそのモードを帽子としてたとえておく
文章を書くときには、「書き手の帽子」をかぶることになる。0→1や、1→2、といったベクトルを持った営みを行う。
文章を整えるときには、「編集者の帽子」をかぶることになる。150→100といったベクトルを持った営みを行う。
二つは反対のベクトルを持っているので、両方の帽子を半分ずつかぶるとスペックががた落ちになる
パソコンで(しかもかしこまったツールで)文章を書いているときに、そのような両方の帽子をかぶるような状態になりやすい
その点、手書きノートにラフに書き出しているときは、「書き手の帽子」だけをかぶる状態になりやすいのではないか、という仮説。
ブックカタリストにて、「庭の話」の話を拝聴。非常に面白くて、通勤途中に聴きながら、感想・思索したことを書きたくてしょうがなかった。
覚えるために書くのではなく、自由に忘れるために書く
レシートを家計簿やおこづかい帳につけるように、発想メモを位置づけていく
現状朝にその日の日ごとページを各種SNSに投稿しているのだけども、以降は基本的にここに書いているわけで、間接的ではあるけども「一箇所に書いて、複数のSNSに投稿している」という感じになっている。もちろん、それぞれのSNSにおいてこのページへのリンクをクリックしてくれた人にだけ届く「投稿」なわけだけども。
あとでチェックする
Kindleのセール。『ライフハックの道具箱』も対象になっているらしい
カードの色分けは4色くらいが限界だろうと直感的に思える。
少なくとも、256色の色分けが機能しないだろうことはわかる
一方で、僕たちは256個以上のハッシュタグ(言葉分け)は容易に機能すると思ってしまう
この違いはなんだろうか
ヨルシカの「晴る」のジャケットがよき
https://gyazo.com/eb8f10c9c647c8323e05d32a3c07f61e
最近の色分けについて少しまとめた。
→「カードの色分けは4色くらいが限界だろうと直感的に思える」という話も合わせてもう少し考えたい
これはいかに「情報整理するのか」という話とかかわってくる
オブジェクト指向において、オブジェクトはアトミックであるとは限らない。
たとえば「学生」というオブジェクト(のリスト)を持つ「教室」というオブジェクトがありえる。
このとき、学生というオブジェクトはアトミック・オブジェクトと言え、「教室」というオブジェクトは、アグリゲーション(あるいはコンポジション)オブジェクトと言える。
アグリゲーションは言いにくいので、アグリと略すか集約と日本語で言うか。
お昼はかつとじ丼
https://gyazo.com/f31628f21909ad41044c1d36db4d181a
買った本
https://gyazo.com/22f4cb958022aec31817d8b9079254c1
メモの書きかたの相違
一番大切にしたいのは、どれだけメモが快適に書けているのか、という点
『ステータス・ゲームの心理学: なぜ人は他者より優位に立ちたいのか』が気になっている
読む中で、支配的管理と指揮者的管理という二つの概念が浮かんできた。後者にルビを振るなら「マネジメント」となるだろう。
表現を対応させるなら、支配者的管理と指揮者的管理の方がいいかな。
ちょっとやりたい
https://gyazo.com/4bad81d0323aa11faa10423228aa7075
Gemeniと相談しながら、まずは基本セットを揃える
DISTANCE.media#99 黒板はなぜ楽しいのか from 山本貴光(★)
それからもう一つ、私にとってはこちらがさらに重要なのですが、黒板を使うと、消さない限りはここまで書いてきた文字や図が残り続けますから、それまでの何十分かで検討してきた思考の動きが痕跡として目に見えるわけです。すると、その痕跡全体から刺激を受けてものを考えることができますし、話を進めたあとで、少し前の話題につなげ直したり、先に話したことを補足し直したりするのもやりやすくなります。それなりに時間をかける必要があるようなややこしい話題では、板書を話し手と聞き手が共有している状態はいろいろと便利だと感じています。
RSSフィードとSNS(★)
グローバルなのにローカルというグローカル、という言葉を考えた(★) history:
2025/4/12 一通り読み返して処理した