ポパー
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ユートピア社会工学とピースミールな社会工学
取り上げたいのは、大規模計画の方法、ユートピア社会工学、社会秩序の改造にかんするユートピア工学あるいは全体計画の工学と呼べるプラトンの接近方法である。それとは対立する、そしてわたくしが唯一合理的と見なしている他の種類の社会工学が存在する。それはばあいばあいに応じて適用される社会工学、個別的問題を扱う社会工学、社会秩序の一歩一歩の改造を目指す工学、あるいはピースミール社会工学と呼べるだろう。 ユートピア社会工学はつぎのように記述することができるだろう。あらゆる合理的行為は一定の目的をもたねばならない。そうした行為は、その目的を意識sそれを首尾一貫して追求するかぎりで、またその目的に対応した手段を定めていくかぎりで、合理的である。としたら、合理的に行為しようとするかぎり、最初に解決すべき課題は目的の選択である。ほんとうのそして最終的な目的を注意深く確定しなければならないのであり、そうした目的とは区別されなければならないのが、最終目的へ至る過程での手段、あるいはその一歩としての、真剣に考慮すべき部分的目的もしくは中間的目的である。この区別を考慮に入れないのであれば、そうした部分目的が最終目的を促進しそうかどうかという問いもまた無視されることになるだろうし、したがって合理的に行為することもできなくなるだろう。こうした原則を政治的実践の領野に適用するならば、なんらかの実践的な行為を企てるまえに、われわれの最終的な政治的目的、あるいは理想国家を確定しておくことが要求されることになる。そうした目的が少なくとも大まかな輪郭においてであれ決定されるとき、言い換えると、追求すべき社会秩序についての建設計画が所持されるとき、そうしたときにのみ実現のための最良の手段とか方策を考慮に入れた、実際行動のプランを策定できるだろう。〈合理的〉の名にあたいするどんな実践的政治行動にとっても準備は必要である。とりわけ、それは社会建設そのものにとって必要である。以上、概略ではあるが、わたくしがユートピア的と呼ぶ方法論的アプローチである。
それに相対するピースミール社会工学の地平を素描する。
ピースミール社会工学の擁護者は、社会における最大のそしてもっとも緊急に排除すべき悪を探し回り、それらを除去しようと試みるだろう。かれは至高の善を嗅ぎまわりその実現を図ることはない。この間の相違はことばの違いといったものではない。それは、じっさい、最大級の意義をもつ。それは、人間の生活を改善するための合理的な方法と、試みられたならば人間の苦患の耐えがたい悪化をたやすく招く方法とのあいだの相違である。それは、あらゆるときに適用される方法と、採用されても事情が有利でないならば行動をたえず先送りする方法とのあいだの相違である。(...) なんらかの理想の実現を目指して戦うことにくらべたとき、ピースミール社会工学の擁護者は、苦患、不正、そして戦争と組織的に戦うことは、大多数の人間からの支援をえられやすい、と言って自分たちの方法を擁護できるであろう。社会悪が存在すること、ことばを換えれば、多くの人間がそのもとで苦しんでいる社会状態が存在することは比較的容易に確定できることがらである。つまり、苦しんでいる人たちは自分たち自身の経験からそう判断できるであろうし、そうでない人たちは、代わりたいなどとはほとんど言わないであろうから。
これはRoderick Ninian Smartが後に上記を指して負の功利主義と名付けた立場である。ポパーは本書の注釈にて下記のようにそれを補論する。 わたくしは、倫理的観点から考察するならば、よろこび(Freude)と苦患(Leid)、あるいは快(Lust)と苦(Schmerz)とのあいだには対称性はないと思う。(...) わたくしの考えでは、人間の苦患は直接的な道徳的訴え、つまり、助けてくださいという訴えを含んでいるのに対し、もともとうまくいっている人間について、その幸福あるいはよろこびを増大させよということにおなじような緊急性はない。(〈可能なかぎり最大の幸福を作り出せ〉という功利主義の公式にさらに批判を加えておこう。この公式は原理的に言って一種の連続的尺度を仮定しており、ネガティヴな幸福(negative Glück-Seligkeit)としての苦は、ポジティヴな幸福によって埋め合わせることができると前提しているのだ。しかしながら、道徳的観点から考察したとき、苦はよろこびによって埋め合わせられるものではない。とりわけ、人間の苦は他の者のよろこびによって埋め合わせられるものではない。最大多数の最大幸福の代わりに万人に対する回避可能な苦患の最小化を要求すべきであり、さらに避けられない苦患―たとえば、不可避的な食糧欠乏の時代における飢え―は、可能なかぎり平等に分たれるべきであると要求すべきである。) 上記を踏まえた上でピースミール社会工学の明瞭さ、或いはユートピア社会工学の複雑さを論ずる。
理想の社会について理性的に討論することははてしなく困難である。社会生活はきわめて複雑であり、大規模な社会的施策のための青写真の価値について、それが実際的であるか、じっさいに改善をもたらしうるか、それにはどのような苦患が結びついている可能性が高いのか、そしてその実現のためにどのような手段がありうるのか、といったことをただしく評価しうる人はおそらく皆無であろう。それとは反対に、社会秩序のピースミールな改造計画は比較的簡単に判断できる。(...) 現にある悪と戦うための手段については、理想的善やその実現のための手段についてよりも容易に意見の一致がえられる。とするならば漸進的改革という方法を適用すれば、どんな理性的な政治的改革にもつきまとう最大の困難、すなわち、いかにしてプログラムの遂行において、情熱とか暴力ではなく、理性が勝利するようにすべきかという問題を克服していけるだろう。
予言的方法という実質的歴史哲学
進歩史観に基づく社会学的決定論帰結による予言-宗教的性格の有用性
ポパーは「マルクスの歴史予言の根底にある論証は無効である」という。それはどういった理由にあるのか。まずポパーは「証明をなすにあたっての経験的根拠の欠如ではない」として、その起源を次のように論ずる。
マルクスは、当時の〈ブルジョア〉である進歩的産業家の信念、つまり進歩の法則の信念を共有していた。しかし、ヘーゲル、コント、マルクス、ミルに見られるこの素朴なヒストリシズム的楽観主義は、プラトンやシュペングラーのような悲観的なヒストリシズムに劣らず迷信的である。そして、それは、歴史的想像力を麻痺させざるをえないのだから、予言者にとっては非常に粗悪な道具である。 では、マルクスが共有していた「予言者にとって(...)粗悪な道具」たる「進歩の法則」は具体的にどういった誤謬を及ぼすのか。
当時の経済動向の観察から予言的な結論を導出しようとするかれの才気に富んだ試みは失敗に終わった(...)予言者としてのかれの失敗の原因は、まったくもって(ヒストリシズムの貧困)、すなわち、今日観察した歴史の傾向とか歴史の潮流が正確に明日もそうつづくかどうかはわからないという単純な事実にある。
つまり、マルクスが共有していた粗悪な道具たる「進歩の法則」は未来がすでに過去のうちに埋め込まれている、という「社会学的決定論」的な線型的歴史解釈を及ぼすのだ。
マルクスは、自分の特殊な使命は社会主義をその感傷的、道徳的、幻想的背景から解放することにあると見ていた。社会主義は、ユートピアから科学へと発展すべきであり、原因と結果の分析という科学的方法、また科学的予測に立脚すべきであった。そしてマルクスは、社会領域における予測は歴史予言とおなじであると見ていたから、科学的社会主義は、歴史上の原因と歴史上の結果の研究に、つまふところそれが実現するという予言のうえに築かれなければならなかったのである。(...)マルクスはわかいころに「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。大事なのは世界を変革することである」と書いた。こうしたプラグマティズム的な態度をもっていたから、かれは、科学の本質的な課題は、過ぎ去った事実の知識をえることではなく、未来の予測にあるというのちのプラグマティッストたちの重要な方法論的な教説を先取りすることになったのであろう。科学的予測の意義をこのように強調することは、それ自体としてみれば十能で高度な方法論的発見ではあるのだが、残念なことに、マルクスを誤謬に追い込んだ。というのも、かれは、科学が未来を予測できるのは、未来が前持って規定されているとき、つまり未来がいわば過去のうちにある、言ってみれば、過去のうちに含まれているときのみであると仮定していた-もっともらしい仮定ではあるが-からである。この仮定がかれを厳密な科学的方法は厳密な決定論に基礎をおかなければならないという誤った信念へみちびいてしまったのである。(...)物理学や天文学などにおける科学的な予測(Voraussage)と、大筋において社会の未来の主要な発展方向を予知する自信たっぷりの歴史予言(Prophezeiung)とが混合されていることにある。これら二つのタイプの予知は非常に異なっており、前者の科学性が、後者の科学性を支持する議論となるわけではないのである。
ただこうしたマルクスの誤謬に満ちた「歴史予言」を全く効果のないものだ、と切り捨てるわけでもない。ポパーは下記のようにいう。
19世紀の進歩的楽観主義のような信念は、強力な政治力となりうるし、マルクスが予測したことを実現するのにも役立つ。したがって予測がただしいとしても、それが理論を確証するとか、理論の科学性を証明するとして性急に受け入れられてはならないだろう。予言が的中したことは、むしろ、理論のもつ宗教的性格からの帰結として、また、それが人びとにかきたてた信仰の力を証明するものであるとも受け取れよう。マルクスの予言は、労働者たちに、かれらのもっとも深い貧困と汚辱のなかにあって、偉大な使命と、かれらの運動が全人類すべてに準備すべき未来への信仰を鼓吹した。(...) しかし、その成功は、科学的な予言を確証するものとして受け取ることはできなかったであろう。それは、むしろ、宗教運動の成果、つまり、人道的な目標を信じ、世界を変革するために理性を批判的に用いることの成果であっただろう。
つまり、進歩史観に基づく社会学的決定論帰結による予言とは、科学的には誤謬に過ぎないのだが政治的に「予測したことを実現するのにも役立つ」のである。それは予言に内在する科学的性格〔に基づく決定論〕ではなく「宗教的性格」に基づいて実現されうるのだ。逆にこれは予言の政治的可能性を指し示している。これはいわゆるカントのいう弁証論的仮象である(厳密に言うとマルクスはそれを科学と認識していたため、後から我々が見てそう認識しているだけだが)。実践の領野でのみ語られてよいのであり、それを実在論的に語る行為は「意図してつくり出した幻影にさえ真理らしい外見を与えるソフィストの技術」なのである。これは本書の結論部とも呼応する。 責任を歴史に、したがって、われわれをはるかに凌駕した悪魔的諸力の戯れに転嫁しようとする。(...) ヒストリシズムは自分の行動の合理性や責任への絶望から生まれた。それは、退化した希望、退化した信仰であり、道徳的な熱狂と成功の蔑視に基礎をおく希望と信仰を、疑似科学由来の確信でおき換えようとする試みである。(...)歴史は進歩するとか、あるいは必然的に進歩すると信じたら、歴史には意味があり、その意味は歴史のなかに発見されるのであって、歴史に与える必要はないと考えている人もおなじ過ちを犯している。なぜなら、〈進歩〉とは、一定の目標に向かって、すなわち、人間としてのわれわれが持つ目標に向かって、進んでいくことだからである。〈歴史〉がそれをなしうるわけではないのであって、それをなすのは、人間としての個人のみである。(...)進歩はわれわれにかかっているのであり、われわれの警戒心、努力、目標な明確な把握、そして決定にさいしてのリアリズムに依存している。この事実がよりよく理解されるにつれて、われわれは多くのことをよりよく成し遂げることができるだろう。予言者を装うのではなく、みずからの運命の創造者にならねばならない。
「予言者を装う」或いはそうした「社会学的決定論」というキリストから続く「われわれをはるかに凌駕した悪魔的諸力の戯れに転嫁しようとする」選択をとりやめ、われわれ自身こそが歴史を「進歩」させうると自覚すること。そして、ポパーは、そのもとに誰かの予言に己が運命を預けるのではなく、「みずからの運命の創造者にならねばならない」と前向きに未来を指し示してくれるのだ。だからこそ次のようにいう
世界の意味についての考察
わたくしは、世界史には意味がないと考える。(...) というのは、はっきりさせておきたいのだが、多くの人が語っている意味での歴史は端的に言って存在しないからである。そして少なくともそれが、歴史には意味がないという理由のひとつでもある。
そこで、まずポパーは〈歴史〉の起源を論ずる。それは「多くの人はどのようにして〈歴史〉ということばを使うようになったのであろうか」という疑念である。
かれらはそれを学校とか大学で学ぶ。かれらはそれについて本を読むことで学習する。〈世界史〉とか〈人類史〉といったタイトルの書物で論じられていることを知って、歴史のなかに多かれ少なかれ一定の事実系列を見ることに慣れていく。かれらは、そうした事実系列が、人類の歴史を形成すると信じるにいたるのである。
ただこうして学校で学ぶのは明らかに「人類の歴史」でありさらに「政治権力の歴史」なのである。「たとえば、芸術の歴史についてとか、あるいは言語の歴史についてとか、また食習慣の歴史について」は語られない。学校で「考えられるのはむしろエジプト、バビロニア、ペルシア、マケドニア、ローマ帝国などから現代に至るまでの歴史である」訳だが、そうした「政治権力の歴史」は「人間の生活のあらゆる側面にかかわる無数の歴史」のなかの「ひとつにすぎないのである」。「では、たとえば宗教の歴史や詩の歴史ではなく、なぜ権力の歴史が選ばれたのか」。ポパーは考えうる理由を三つ挙げる。
ひとつの理由は、権力はわれわれ全員に影響を与えるが、詩はわれわれのごく一部にしか影響を与えないということである。他は、人間には権力崇拝の傾向があるということだ。しかし、権力崇拝が人類のもっとも邪悪な偶像崇拝のひとつであり、人間が隷属していたことの名残であることに疑いの余地はない。権力崇拝は恐怖から、つまり軽蔑されてしかるべこ感情から生まれる。権力政治が〈歴史〉の核心にまで高められた第三の理由は、権力者が崇拝されることを望み、その願望を叶える手段をもっているという事実にある。多くの歴史家は、皇帝、将軍、独裁者に指図されて、またその監督のもとで執筆したのだ。