知識と情報の違い
PだということをSが知っているのは、
1)Pが真であり、
2)PだということをSが信じており、かつ、
3)Pだということを信じる点でSが正当化されている
という場合であり、かつその場合に限られる。
その上で、従来の「どのような条件を満たす信念が知識なのか」という問いではなく、「どのような形で保持され使用されている情報が知識なのか」という問いを設定する必要があるとして、情報との関係を指摘している。
「知識は信念の一種である必要はない。信念を持つことができないと思われるような動物についても私たちは知識を語りうる」と指摘する。
要するに、世界は客観的に存在しても、それを視る私たちは、知識や経験のフィルターを通して世界を視ているのである。聴くこと、視ることは、私たちがもっとも多くの情報を得る経路である。聴いて記憶に取り込まれた情報、視て記憶に取り込まれた情報が「解釈されたもの」であるとしたら、それを基盤に習得される知識もまた「客観的な事実」ではありえないのだ。 最も役に立つ「生きた知識」とは、知識の断片的な要素がぺたぺた塗り重ねられて膨張していくものではない。常にダイナミックに変動していくシステムなのである。このシステムは、要素が加わることによって絶え間なく編み直され、変化していく「生き物」のような存在なのだ。 累加モデルではなく必要なときにいつでも取り出せるものが知識
知識の再帰的な特徴
情報・知識を獲得するにはその前提となる知識(スキーマとしての知識)が必要となるが、何かしらの情報・知識を獲得すると、その前提となる知識(スキーマとしての知識)も再構成される
知識と情報の違い
辞書
「情報とは人が知るものであり、知識とはその結果創られたものであり、つまり会得することによりその人の行為に結びついていくもの」
「情報は行為によってひき起こされるメッセージの流れ(フロー)であり、メッセージの流れから創られた知識は、情報保持者に信念として定着し、コミットメントと次なる行為を誘発するのである。この理解は、「知識が人間の行為と本質的に関係している」ということを強調している」 Davenport & Prusak(1998)
「フレーム化された経験、価値、コンテキスト情報、専門家の洞察、基礎的な直感(それらは、新しい経験と情報を評価し組み込むための環境とフレームワークを提供する)の流動的な組み合わせである。それは、知る人の心に始まり、適用されます。組織では、ドキュメントやリポジトリだけでなく、組織のルーチン、プロセス、慣行、規範にも埋め込まれることがよくあるもの」
まず1点目として、知識が、周囲の状況や各自の考えなどの文脈(コンテキスト)から独立したものではなく、極めてコンテキストに依存したものであること 2点目として、知識が形式的・暗黙的という2つの側面を持っているということ
3点目として、知識それ自身が、新しい経験を組み込むためのフレームワークにもなること
なぜナレッジや情報という言葉を定義するのか
結論から言うと、それは、先ほどの「温度」の例にあらわれているように、「言葉」=「概念」があることで情報や知識を獲得するフレームが頭の中に形成されるから、である。温度という概念を知らなければ温度を測ることができないように、「知識」と「情報」という概念がなければ、知識と情報を分けて理解することはできない。 知識と情報を主観・客観という軸で切り分けられるか?
筋が悪そうmtane0412.icon
人間が得ている情報は知識・経験のフィルターを通して得ている