内化と外化の往還
教授パラダイム: インプット重視→アウトプットに時間が割けないはうまくいかない 学習パラダイム: アウトプット重視しすぎてインプットがおろそかになるとうまく行かない うまくいっている例を分析するとインプット→アウトプット→インプット
森(2017)
理論編と実践編がある
内化-外化-内化の学習サイクルを提起する一人は、森(2017)である。森は、アクティブラーニング型授業の多くは、十分に思考する間もなく外化が求められ、形だけのアクティブラーニング(外化)になってしまっていると指摘する。内化を十分にとった外化が重要である。また、外化をおこなって「わかったつもり」となる問題点も指摘している。「わかったつもり」から、既有知識の修正や新しい理解をふり返り等で確認し、「わかった」にする外化から内化のプロセスも重要である。こうして、内化-外化-内化を往還させる学習サイクルが提起される。 松下(2015)も内化と外化の往還・学習サイクルの重要性を説き、カント(注2)の有名な句を言い換えて次のように述べる。 「“外化のない内化”がうまく機能しないのと同じように、“内化のない外化”もうまく機能しない。内化なき外化は盲目であり、外化なき内化は空虚である」(p.9)。
同テーマの公開論文
chatGPT.icon
アクティブラーニングは、学生が深い理解を得るための重要な教育方法であり、知識の習得や定着が必須である専門教育の基礎でのアクティブラーニング導入を推奨しています(ページ2)。
アクティブラーニングは、知識の習得だけでなく、その知識を活用するコンピテンシー(能力)の育成にも寄与します。そのため、アクティブラーニングの導入は専門教育・教科教育において基礎学力を担保しなければならない授業こそに必須であると主張しています(ページ5)。
しかし、アクティブラーニングがうまく行かない場合もあり、その課題を外化(知識のアウトプット)と内化(知識のインプット)にまつわるものに分けて整理しています。特に、グループ学習に関する問題(例えば、フリーライダー問題)が深刻であると指摘しています(ページ3)。
最終的に、アクティブラーニングを導入することによって、深い理解が促進され、学生は教育という守られた傘の中において、より主体的に社会に出る準備ができると述べています(ページ8)。
仲間の功績にただ乗りするフリーライダーの存在,またそれを避けるために導入されたグループ学習の過度な構造化が引き起こす自分の担当箇所以外への無関心さ,またそもそもグループ学習に適切でない課題提示などが挙げられる(森、2015) フリーライダーには 2つのタイプ
意図したフリーライダー
活動と思考,双方ともにグループ活動に参加しておらず,教員からもその参加していない状況は目に見えてわかりやすい 無意識なフリーライダー
より深刻
グループ学習は往々としてリーダーシップを発揮する数名の学習者によって進められる場合がある
一斉授業からアクティブラーニングへの転換で乗り越えたと思っていた学習の格差は,アクティブラーニングにおいてもこのような形で残存しており,アクティブラーニングでは理解が深まらないと漏れ聞こえるの根拠はまさにここにあると著者は考えている アクティブラーニングの課題の 2番目にあたる内化の不足 外化するためには,外化したい内容が不可欠であるはずが,そこが十分ではないことで,思考と活動とのかい離が起こってしまう
この状況を松下(2015)は,「「外化のない内化」がうまく機能しないのと同じように,「内化のない外化」もうまく機能しない.内化なき外化は盲目であり,外化なき内化は空虚である」と表現している アクティブラーニング型授業において学習が活性化しているケースには,実は2つの共通点があった
①思考を深める内化と外化の往還
教える(インプット)に重点→演習(アウトプット, 時間が割けず任意とすることも多い)
アウトプットに重点→今度は外化に多く時間を取られてしまい,内化不十分のまま授業の終了時間を迎えるといった事例が多い
コンピテンシーの育成のみならず,成績の向上がみられるアクティブラーニング型授業の共通のデザインは,必ず最後にもう一度,内化の活動を含んでいることが明らかになった(森、2016a、b)
内化1
まさに思考をアクティブにするための事前知識や素材をインプットすることを目的とするものであり,それによってまずは学生個々人の「わかったつもり」を作る 外化というアクティブラーニング
自分の「わかったつもり」を持ち寄り,他グループメンバーの「わかったつもり」に触れる.そこで自分と他者の思考の違いを認識することを通じて,自らの「わかったつもり」に混乱や躊躇,藤といったゆらぎが生じ,まさに認知的学習論でいう「なぜ?」が想起するのである.言い換えれば,ここまでが学習の準備段階だ.でも多くの授業がここで授業を終えてしまっているのだ.そうすると外化における言語活動や議論のすり合わせを通じてコンピテンシーが育成されるので,コンピテンシーのみの育成を促したことになる
内化2
理解も伴うためには,外化で生じた疑問を教員が吸い上げ,学生の思考よりも一段高い認知レベルにおいて解説,総括,さらには「教える」を行うことによって,学生は,「わかった」にたどり着くことが可能になる. 内化1→外化→内化2
自分の「わかったつもり」を作る→グループの「わかったつもり」にふれ、なぜ?→わかった
https://gyazo.com/d9f81d9cb5556f2c29d8874f10552a53
Schwartz&Bransford(1998)は,既有知識を発達させる方法について,いくつものバリエーションを用いて実験した結果,学んでから教える形が,一番理解が進んだことを報告している まさに外化と内化2が,学んでから教えるを具体化していることになる
学生は,自分でなんとなく「わかったつもり」をまずは作り,グループ学習において他のクラスメイトの「わかったつもり」と比較検討しながら学習を想起させ,それをすり合わせていくプロセスにおいてコンピテンシーの育成や思考を深め,そして最後に教員による再内化の活動によって,再構築された「わかった」を得る
このプロセスには知識再構築型の学習観が表出していると言えよう.
②個人の思考を基盤とした個人とグループの往還
著者が参与してきた授業研究において,グループ学習が活性化し,コンピテンシーと知識の獲得が視野に入っているアクティブラーニング型授業においては,実はフリーライダーを産み出すメカニズムを回避するために,個人の活動を基本としていることが分かっている
まず課題に個人で取り組み、自らの「わかったつもり」を作る
グループでシェアするグループ学習→1つの最適解を作る統合作業
いろんなレベルのわかったつもりが回答のバリエーションを生む
回答は一致しても、そこにたどり着いた思考のプロセスはみな違う
シェアするにとどめてしまうと,自分の意見を言うだけの,言いっぱなしグループ学習になってしまう
意見のすり合わせ
考えを発信するだけでなく、傾聴、共通性、差異を明らかにする
グループでの「わかったつもり」という最適解を,個人の「わかった」に落とし込む作業
例えば,その課題を自分一人だけでもう一度取り組んでみる,また小テストなど類似の課題に個人で向き合うなどである.いったんグループ学習によって共有知となった新たな理解を,もう一度,自らの既有知に結び付けて新たな理解を産み出す行為である.そうすることによって,アクティブラーニングにおけるグループ学習も,グループ学習そのものが目的ではなく,当初の個人の「わかったつもり」を個人の「わかった」に再構築する装置という手段として位置づけることができるのだ. 知識はたくさんの中から取捨選択するものであり,知識は知っているのみならず,それらを活用し,組み合わせによって新しい概念を産み出すことこそが新たな賢さとして社会的に求められている これまで学習と言えば,浅い知識を幅広く学習し,知識量を増やす累加(増えること)が中心であった すべての知識を保持するのではなく,必要であればいつでも取り出せるように配置するべきものとしてその価値が変容している