協働学習
協働学習: 同じ目標に向かって対等な関係でみんなが責任を持ち「子供たち同士が教え合い学び合う協働的な学び」(文部科学省, 2011) 追求すべき課題をグループ(原グループ)の成員の人数分に分け、一人が1つを担当し、それぞれが専門的にその担当内容を調べ、各グループの同じ担当内容のもの同士がカウンターパートセッションとして集まり学習をし、後で原グループに戻って教え合いながらまとめるという学習法
各自が担当内容に責任を持って学習を進めるため、意欲も学習効果も全体的に高まりやすい
文部科学省
新学習指導要領に基づいた児童生徒の資質・能力の育成に向けて、ICTを最大限活用し、これまで以上に「個別最適な学び」と「協働的な学び」を一体的に充実し、「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善につなげるとともに、カリキュラム・マネジメントの取組を一層進めるに当たり、留意することが重要と考えられる内容を新学習指導要領の総則の構成に沿ってまとめました。 223194573.pdf
https://gyazo.com/626493e6030a2c7b27de58ab97f1a635
https://gyazo.com/2bcb31c238c4211d2d8eba7c8f5b3bd4
定義はまだ十分検討されていない
協働学習はインターネット環境がもたらした新しい学習形態
https://gyazo.com/697b29debbdc01923758e33f073e4f06
森啓: collaborationの訳ではなく、「自己革新した行政と市民による協力」 森の定義では「自己革新」に重点が置かれる
北区のガイドラインの定義
異なった立場や組織にある人々が対等なパートナーとなること
明らかに英語の「collaboration」の意味が付加され、強調されている
1つの目標を共有すること
パートナーシップと協働はほぼ同義
パートナーシップ: 主体間関係に重点
協働: 行為・行動に重点
合作・共同行動→collaborationがより近いニュアンス
地方自治の協働は70年代の「参加」に代わって登場したパートナーシップを中軸にした理念
教育学では学校経営の分野で「協同(cooperation)」に近い
高野桂一の「協働」
「(個々の)教師の価値観・教育観の解放過程と組織化過程」であり、
「『協働』のプロセスは教師たちの 『協同学習』 の過程」 であるという。
吉本二郎
経営学の分野におけるリーダーシップ論の始祖として有名なバーナード(C.I. Barnard) に依拠
「協働」を「co-operation」として論じ、 学校を 「明確な目的の下で協働する人々の組織体」 として定義した
https://gyazo.com/6ee71f60ebacb7e242f0913bc2455e99
『コラボレーション・ハンドブック』では
協働(collaboration)」とは、一般的には一つの目標に向かって人々が一緒に働くことだと認めながらも、「協同(cooperation)」、「調停(coordination)」と比較しつつ、「協働」を次のように解説している
より持続性があり、普及力を持っているのが協働である。協働の担い手は、互いに別の組織に所属する人々に対して、共通の目標に向かって全力を傾ける一つの組織をもたらす。この関係には、あらゆるレベルで包括的な計画を立て、はっきり定められたコミュニケーション回路を用いることが必要である。協働組織は権威を持ち、リスクは協同や調停よりも大きい。なぜなら協働のパートナーはそれぞれ自分たちの資源力や評価を持ち寄っているからである。権力は一つの争点であり、不平等にもなりうる。パートナーは互いの資源力を維持あるいは共同で確保し、その結果や成果を共有するのである。
「協働」
「協同」や「調停」に比べてより長期にわたる関係であり、相互の緊張感が高く、それゆえにリスクも大きい
しかし大きな成果が期待される関係
「参加する組織のそれぞれのアイデンティティを維持したまま、ともに働くためのもっとも強力な方法」 『協働文化の創造 (Creating a Culture of Collaboration)』
2006年に発行されたファシリテーターのためのハンドブック
「おそらく多様化し、相互依存的となり、複雑化した世界に適応しようとする方策の中で起こったプラグマティックな変化を反映たものであり、さらに協働の土台になっている価値観や思想、信条といったものへの支持を意味しているのではないか」
https://gyazo.com/7073300fbea0dda6b5987d9d268a0e99
認知科学・教育工学では協調学習はcollaborative learningの日本語訳 教育学会でこの語が普及しないのは協調の語感の問題
利害調節の意味合い
工学の世界の「協調」を転用しようとした
インターネットを利用した協調的学習
三宅なほみは、1997年に出版した『インターネットの子どもたち」の中で、認知科学で議論されている「協調問題解決過程」や「協調作業」に着目することの重要性を指摘した。ここで指摘されている「協調問題解決過程」の研究とは、特定の問題を解決するために集団成員間の相互作用の過程に焦点を当て、効果的な問題解決の社会的環境を明らかにしようとするものであるが、三宅は集団成員のお互いの思考のプロセスが互いに見える形で共有されるならば、「インターネット上に作り出される世界が考える力や学ぶ力に結び付く道具にもなりうる」(11)と述べ、インターネットを利用した協調的学習活動の可能性を示唆している。 https://gyazo.com/2f0182ef261358ff25637117db4e11ae
このことはある種の技術決定論を反映しているといえるかもしれない。すなわちいまや学習者はより活発に相互交流できるようになったのだから、彼らは自動的にそうするという思いこみである。同じような思いこみから、参加者の相互交流を協働学習collaborative learning)と同じものとする仮定を立てることによって、ある種の相互交流の調査に協働研究(collaborationstudies)というラベルを貼ってしまう傾向がある。(18) https://gyazo.com/a690b4f8c291e84e90aeb30578deb75f
ポウラスの論文では「協働学習」をどのように定義しているのだろうか。
学習活動における「協同(cooperation)」と「協働(collabora-tion)」の違いを明確化しようとする。
「協同」という概念の背後に大量生産様式における分業システムを見ている
分業や業務の分割化、最終的な結果に対する個人の部分責任は「協同学習」を特徴づけるもの
「協働」はそれとは対照的である。
「調整された同期活動であり、それは一つの問題に対して一つの考え方をつくりだし、共有し、それを維持しようとする持続的な試みである。」
ロッセル(Roschelle)とティーズリィ(Teasley)の定義
「共有された創造過程、すなわち二人またはそれ以上の人数の成員が、以前に持っていた、あるいは自分自身に持ち得ていたそれ以上の理解を作り出し、共有するために、お互いの補完的なスキルを用いて相互交流することである。協働はプロセス、成果または企画についての共通の意味を作り出す」
スクラッジ(Schrage)の定義
「協働グループに形式的な役割は与えられない。論じられているように、協働はディスカッションを通じて多元的なものの見方が共有されるような個人の思考過程を自覚化させるがために、学習を進化させるのである。理念を見据えた学習に結びついた、意味の深い、持続的な対話は協働学習体験の鍵になるのである。」 よりわかりやすくするために、コンピュータによって支援されない「協働学習」を考えてみよう。
「CSCL」はCMCを利用することによって、遠隔学習者間に「協働」を可能にした。 しかし、ポウラスが指摘したように、「協働学習」は単なる遠隔グループ学習ではなく、異なる意見がぶつかり合うことを前提とした多元的なものの見方が共有される学習である。
「協働」という概念が本来持っている意味を見失ってはいけないのである。
ここでいう「協働学習」とは、異なる組織や地域、文化に属する複数の学習者が、対等なパートナーとして出会い、互いの違いや葛藤を乗り越え、互いの立場や価値観を尊重し、互いのスキルや資源を活用し、共有された一つの学習目標や課題の達成をめざすプロジェクト型の学習である。個人間で行う場合もあれば、小集団で行う場合もあるだろう。
協同学習については、数多くの理論や実践の歴史がある。
欧米では「バズ学習」(Phillips,1948)や「ジグソー学習」(Aronson,1975)、「協同学習(coope-rative learning)」(Johnson & Johnson,1981)といった学習方法が有名 https://gyazo.com/a3c8b1251a962077d8316f0e4be409af
日本においても1980年代から教育運動の世界で盛んに主張されてきた理念であり、現代でもその価値は変わらない。
協同とは同じ目的のために複数の個人が事にあたることです。協同して行う活動においては、個々人は、自分にとっての利益であるとともに、グループの全員にとっても有益な結果を追い求めます。協同学習とは教育において小集団を活用するもので、学生が、自分と他者の学習を最大限に高めるために協同して学習します。考え方は単純です。教員の指示を受けた後、小グループに分かれた学生は、全員が完全に理解し達成するまで、課題を通して学習します。(22) ここでモデルになっているのはビジネス界における「自己管理チーム」
彼らは「誰がもっとも成績がよいかを見るために学生たちを序列化する象牙の塔を脱して、大学教員も近代的なチームを基礎にした協同的組織構造の世界に入って「いくとき」であり、「大学卒業生のうちでもチームの一員として働くことができる者だけが、多くの近代的な企業に雇われることができる」(23)と指摘する。
先の引用とあわせると、彼らの「協同学習」は大量生産様式を前提としたフォーディズムやテーラー主義ではなく、小集団による自己管理チームを最大限に活用する、いわゆるトヨティズム的な労働組織を念頭に置いていることがわかる。 チームの一員である学習者は一つの組織の同質的な役割を担うものとして期待されており、学習集団は与えられた学習課題をもっとも効率的に達成するために、リーダーを中心にチームワークを最大限に発揮することが求められる
「協働学習」はこのような「協同学習」とはまったく異なるもの
第一義的には学習活動に「協働」を用いる学習形態
二義的には「協働」するための能力や学習者間の「協働」関係の形成を志向する学習も含んでいる
第一義的な 「協働学習」の成立には三つの要素が必要
1. 他の組織や地域、異なる文化に属していたり、多様で異質な能力を持った他者との出会いが前提
教室内に「他者」が存在する場合は教室の中での「協働学習」が可能になるが、多くの場合、教室外、さらには学校外の組織や地域、文化に目を向けることになるだろう。
2. 学習者の高い自立性と対等なパートナーシップ、相互の信頼関係の構築
一方が他方に依存したり、一方的に恩恵を与えるだけの関係では、「協働学習」は成立しない
また、互いに自立しており、対等であるということは、リーダーシップが絶えず問題となりうるということである 信頼関係があればパートナーシップとリーダーシップは両立しうるが、誤ったリーダーシップは不均衡な人間関係をもたらしてしまうだろう
3. 学習目標や課題、価値観および成果の共有
「協働学習」はプロジェクト型の学習であり、参加する学習者同士を結びつけるのは、共有された学習目標や課題の達成への強い意思に他ならない。
それは他者同士の出会いから生まれる矛盾や葛藤を止揚し、新たな共同体と価値観を創造することにつながる。
多様で異質な学習者が、お互いの能力やスキル、地域や文化的な資源を共有し、対等なパートナーシップと信頼関係を構築することで、同質的な組織内学習ではとうてい不可能な高い学習目標や課題の達成が可能になり、新たな「学びの共同体」と「学びの文化」が作られるのである。 しかし、同時に失敗のリスクも内包していることも忘れてはならない。
なぜならば、異質な他者との出会いが引き起こす結果は、学習活動をコーディネートする学習指導者にとっても未知なものであることが多いからである。このように見ると、「協働学習」とは「探究学習」の一形態であるということもできるだろう。 https://gyazo.com/1610c6f3c0b4a11b4af8a7dadd09b6b9
では、今なぜ「協働学習」が求められるのだろうか。
もちろん自治体やNPO、企業などさまざまな現場で「協働」という用語が注目を浴びていることがあげられる。
その背景には、同質的組織による開発や企画よりも異質的組織による「協働」が、それによるリスクを勘案してもより高い生産性を得ることが可能であるという理解が広まったからであろう。
この意味での「協働」は「コラボ」という言葉で表現され、広く流通するにいたっている。 一方、教育工学分野で「CSCL」が急速に普及した背景には、オープンソース運動に代表されるCMCを介した協働型生産様式ともいうべき「分散開発」の世界的拡大があると考えられる。 オープンソース運動では、「すばらしいソフトウェアを作ること」という目的とオープンソース運動そのものが持っている価値観を中心に形成されたコミュニティが重要な役目を果たしている。このようなオープンソース運動の存在が「CSCL」を現実的なものとしているのである。
しかし、オープンソース運動は一つの「協働」のあり方の現実性を示し、その高い生産性ゆえにCMCを介した「協働」の物質的な可能性を十二分に示唆しているといえるが、決して「CSCL」そのものではないし、モデルであるともいえない。
なぜならオープンソース運動は「協働」を目的にしているのではなく、「協働」はあくまでも本来の目的を達成させるための手段に過ぎないからである。
「協働学習」は学習課題達成の手段として「協働」を用いるのではない。「協働」そのものに「教育的価値」を見いだし、教育活動に取り入れるべき学習方法である。
「協働学習」は多様な価値観や文化がしばしば対立し、葛藤する世界を変革するための一つの教育的方策として理解することができる。
確かに「協働」は高い生産性を可能にするという点で、経済的価値を持ち、 CMCを中心としたICTがそれを世界的に拡大することを可能にするという点で、技術的基礎を持っているといえるが、それを教育の現場に取り入れる意義は、何よりも「協働」の技術と思想が世界的な対立や葛藤の解決の手段として不可欠であるという現実によるものであり、そこに教育的価値があるからである。
https://gyazo.com/4d7003f8d278697147b0a88cad4f4461