友達
こんなのがありました
「集まり」を作るのがgoodらしい
staさんの場合、たとえば小説を書いているので「小説書こう合宿」とかもできるし、ブログをやってるから「インプット合宿」をして後日アウトプットをみんなで見せあうとかもできそう
インプット合宿はよく見ているポッドキャスターがやってました
「マイクラ部」たちあげてオフ会をたまにやるとか
ありがとうございますsta.icon
集まりつくって呼ぶだけ、ならやりやすそう
自分から誰かに声をかける、みたいなことをしなくていい
場の力に頼れる感
そして「そもそも友人に夢見過ぎでは?」にもハッとしましたsta.icon
kana.icon
このあたりを読んでいて、やっぱりちょっと勿体ないなーと思いました。
というのも、「関係を進める」=性関係になる、と思いすぎている気がします
+1sta.icon
(異性相手の場合)とりあえずセックスするところをゴールとしている感じがある
ポケモンでいうと四天王倒すみたいな
性関係になることと、関係が進むこと(友達、恋人になること)はじつはぜんぜん違う現象であって、因果関係があったりステップの一つである、というわけではないと思います
実際、女性の友達にも男性の友達にも打診されたことがありますが、なんというか友達とそういうことになるのは違うなあ。と断りました
ところで、
本当ですねw 普通に書いてあるsta.icon
僕はなんでスルーしたのだろう
のあたりもスルーされているので悲しみって感じwwwww
「staさんが実はとくに、男女の関係なしでは友人関係を期待していない」なら別に間違いではないんですが、その場合もハッキリ断ったほうがいい
「苦手なんですよねーww」とか「そういう勇気はないです」とか「モチベが湧きません!」とか、そういう婉曲表現でもいいんですが
改めて気をつけようと思いましたsta.icon
手元でも考察中だがなあなあはよくない(実は別のスクボ友達からも同じことを言われた)
kana.iconの打診にかぎらず、わりと友達づくりのチャンスを棒に振ってる可能性もあるのでは?と思っている
意外と人って、「今度一緒に行きましょう!」とか「◯◯さんもxx好きなんですね!」とか、まあ別の言い方もありますがわりと人は「まあ会ってもいいかなサイン」は出している気がする
井戸端とかは(ROMってますがそんなにマメに見ていないので空気感とか完全に把握しているわけではないですが)、あくまでオンラインコミュニティって感じがしますが、個別で仲良くなった人とかオフラインで会う人とかはってかんじです
気づいてないだけでありそうな気がしてきました。。。sta.icon*2
たとえばkana.iconの友達で、クリスマスの予定の話になって相手の女性が「クリスマスは◯時まで仕事なんですよね〜」と言ってきたが、これはクリスマスを一緒に過ごしてもいいという誘いだったのか?と意見を聞きにきた人がいた
kana.iconは、「クリスマスを一緒に過ごしてもいいという誘い」と断言はできないと思う
具体的に「◯時まで」と言っていたとしても、必ずしも暗に誘い待ちをしているというわけではない
でも、ここで、どっちとも取れないがとりあえず「仕事終わったらどっか行きます? あんまクリスマスっぽいのもあれですし、まあ(リーズナブルな大衆店、お酒なしの任意の店)ででも」と言うことは可能だと思う
嫌だったらたぶんそこで、「一応夜は家族とすごそうって計画してるんですよね!」とか「友達の家にいってケーキ食べるって約束してるんですよー、すみません」とか(嘘でも)まあいいかんじに断ってくると思う
そうじゃなければ、普通に食事だけして解散すればいいと思う(ここ重要)
クリスマスだからって、恋人になってくれるかもとか期待してはいけない
お酒に酔わせてチャンスを...とか考えるのもいけない
だがしかし、「なんとなく食事に誘えて、まあ恋人になれたらなれたで嬉しいよな」とか、(セクシュアリティに合致しないため恋人になりたいとまでは思っていないとしても)「まあ誘ったら来てくれるよな、友達になれそうだな」いう相手を一人確保できたことが重要なのだ
恋人になれたらあれしよう、これしよう、とかセックスしたいとか考えはじめたらさすがに気持ち悪いですが、一般に「まあ恋人になれたらなれたで嬉しいよな」程度に考えているだけで、かつ変な行動していないのであれば問題ない範疇だと思う
でもそうか、かくいう僕自身、はっきり誘うというより間接的に仄めかす感じで言うし、普通はそんな感じなのだろうsta.icon
ちゃんと汲み取らないといけないわけか
「じゃあ行ってみます」的な踏み込みも大事かsta.icon
勇気出せなくて僕はこういう行動は絶対にしない(いけない)
ラノベのヒロインみたいに半ば強引に誘って振り回してくれることを期待しているきらいがあるsta.icon
痛々しい妄想なのだろう
>親しい友人を作るにも時間と積極的な努力が必要です。質問者は「今週末に遊びたい(出掛ける、食べる、飲む、など)のだけれども、付き合って欲しい」と声を掛けた時に応えてくれる友人を何人お持ちでしょうか。5人いると、毎週一人呼び出して一月を過ごすローテーションが可能になります。
正直かなりハードル高い状態だなと思いました
もちろん、「パートナーを作らない前提」だと休日に人とすごす予定を作ろうとするとこうなるよ! というただの一例ということはわかるのですが「週末会わん?」で会ってくれる友達を別々で5人作る(5グループ作る)のはわりと大変そうだなと思ってしまいました
そもそも月1であう友達をつくるのが難しい
kana.iconも、継続的な友達はいるけどお互い忙しいのもあって3か月に1回会うくらいのペースになっていたりする
月1で、「前々から予定を会わせて」「一日じゅう、何らかの目的のもと(飯食うとか映画見るとか)」集ることをクリアしたとして、「今週末」「パッと」会える友達をつくるのは難しい
友達にも予定があるはずだから「すでに土日は約束あるんだよねー」となることもあるだろうし、そうでなく「えっ急すぎる。心の準備できてない。ダルいなー断ろ」となるかもしれない。そこで会ってもらえるということは
急に会うということもOKで、その場合たとえば「昼は予定があるから夜ちょっと飲みにだけ行く?」みたいな「気軽な遊べる関係」であることが必要である
気軽じゃない遊べる関係ってなんだよって感じですが、体感だけど一日空けておいて「これやろう」というと「いいね」って集まってくれる友達でも、「夜1時間くらい飲みにいかね?」で来てくれるというのはこちらのほうが難しいと思う
物理的な距離が近くないといけないという制約がわりと厳しい
フル出社の社会人であれば「電車で30分ならよゆー」かもしれないけど、まあkana.iconの友達だとたとえば首都圏の郊外に住んでいたりするからパッとは会いにくいし、大人ならそもそも転職などでもっと遠くなる/近くなるは頻繁に発生しうるということもある
2週に1度会う友達を一人つくるほうが実はラクだったりする説もある
しかし、一人の友達に依存していると、その友達が結婚したり転勤したらつらい
kana.iconさん基準でもハードル高いんですね……sta.icon
じゃあ僕には無理だぁ……
思えば会社の同期達も疎遠になるというし、そんなものか
わりと最近疎遠ですねー。。。誘ってみるかあkana.icon
先日勇気出して同期用のチーム(Teamsのチーム。Slackでいうワークスペース)をつくりました、たぶん全員集められたsta.icon
これだけでも結構嬉しくなる
が、(僕含め)誰も何も行動はしていない。静観しているのか、忙しいのか……
すごい!!!kana.icon
久しぶりに飲みませんかーとか、忘年会時期にぜひ...
ぜひ……sta.icon
(実は俺以外の人達で裏で連絡取り合ったりしてるんじゃないか、とかマイナス思考してしまう……)
唐突に思いついたフレーズ
大人はそれなりに忙しいものだ。ガキの頃とは違えんだ。
ほんとそれだなと思いますkana.icon
みんな子育てなり趣味なり家事なり仕事なりに忙しいので、そもそも友達と遊ぶことに使えるリソースは少ないだろうと想像できますし、自分たちにしたって、元気あるときで週一、元気ないときは月一くらいしかプライベートで人とあわないでしょうという。。。
だからこそ、趣味に使いたいよーって時間をだれか友達に使うことで「友達関係を維持していく」ことが重要かつ難しいよという話なのかもしれないですが
共同体的なものが失われたのは大きいだろうなkana.icon
+1sta.icon
地域のつながりなどは希薄になってきている
し、もし仮につながりある地域でも一軒家とかでもないアパートに一時居住する新参者が入っていくというのもなかなか難しい
会社も必ずしも昔のように、「部活の延長」のようなノリは少なくなってきていると思う
いや、昔もそうだったのかもしれないけど、今は経済成長していないからか「生産性」を求められすぎた結果、「家族のような」職場は失われていたり、福祉や相互扶助としての機能が失われているのでは
それこそ社員寮がある会社とかも減ってきているだろうし
共同体的なものは現代社会の未解決テーマだと思ってますsta.icon
もっと人類頑張れよ。俺たちを救ってくれよぉ
sta.icon
毎週末誰かと会うを安定させるには一体何人の友達をつくればいいのか……w
それこそ100人とかになりかねない気がしてきた
sta.icon
そう考えると「職場の人と仲良くなる」「遊ぶ」「飲みに行く」が実は理に適っているのかもしれませんね……
僕は利害関係絡んでる相手と親しくなるなんて絶対嫌ですけど
そんなの素直に楽しめない。どこまでも打算になる
信頼関係あると違うのかな。そんな世界は僕は知らない
スタートアップで最初から一緒に頑張ってきたメンツ、とかならありえるかもしれないが
たしかにkana.icon
同じチームの人、とかはkana.iconもちょっと嫌ですね。利害関係あるので
あとは仕事ができるできないとか勤務態度が友情に響きそうなのは普通に嫌だ
わかりますwsta.icon
同じ職場だけどぜんぜん違う仕事やってる同期とか先輩と話せたらそれが一番いいんですかね
メンター制度(まったく違う部署の先輩がメンターとして一人付く)が取り入れられている会社があるみたいですが、そこでうまくメンターと仲良くできればいいのでしょうかね...
kana.iconstaさんの友達の定義めちゃくちゃシビアじゃないですか!?
kana.iconの場合だと
友達とは?
定期的にプライベートで会っている人はすでに友達
会ってなくても会話を楽しくできて、したいと思えるならすでに友達
インターネットのオタク友達も友達にカウント!
二人で会わない相手は友達か?
友達。
三人では会うけど二人で遊ぼうとはならない相手、はkana.iconにはそこそこいるけど、それは三人でひとつの友達関係ということなんだなと認識している
kana.iconとA, Bそれぞれが二人で会わないだけでなくてたぶんAとBも二人で会ってはいない。というか「せっかくなら三人で集まろうよ!」 となる
sta.icon「三人でひとつの友達関係」、この着眼点なかったです。なるほど
損得が存在する場合は友達か?
これは場合と程度によるかも
休日の大半を割けることが必要か?
割くことにたいして「時間がもったいないな」 と思わない、という気持ちの部分では重要だけど、仮に平日の夜に定期的に集まるよーみたいな関係も友達でOK!
友達だよね! ね! ってなればもはや友達
sta.icon僕は無駄にピュアというか理想が高い?んだろうなぁ(童貞マインドっぽさがある気がするw
あとは傷つきたくないのもあるかもしれない
軽い定義にしておくと、こっちは友達だと思ってるけど相手はそうでもないが生じるので傷つく
キツイ定義にしておくと、友達がいないのは単に難易度が高いからなんだと自分を正当化できる
軽い定義にしておくと、こっちは友達だと思ってるけど相手はそうでもないが生じる
キツイ定義にしておくと、友達がいないのは単に難易度が高いからなんだと自分を正当化できる
kana.iconこれなんですが、逆にキツイ定義にしているから「自分って友達いないな」 と思ってしまうような気がするのですがどうなんでしょ
例
自分は「二人で休日に会える相手」を友達だと思っている。そういう相手はいない→友達いない→ショック、落ち込む
軽い定義にしておく(kana.iconのように、ネットでちょっと喋れば友達じゃね?にしておく) →自分友達たくさんいるじゃん! → 精神的にあんていする→友達認定した人に気軽に声をかける→一般に人はアプローチ待ちだから、わりと相手してくれる→そのうちもっと仲良くなれる→Happy... 相手がそうでもないと思っていたら傷つかないか?
傷つかない。定義の違いだなと思う
例) kana.iconはsta.iconさんを友達だと思っているけどsta.iconさんはそうでもない
なぜなら、sta.iconさんは「二人で休日に積極的に遊びたいと思」 うまで友達ではないという定義を採用しているから
なら仕方ないな!
end
sta.icon私もkana.iconさんは友達だと思ってます
というとsta.iconの定義と矛盾してしまうな……
さてどうやって辻褄を合わせようか
(ここでちょっと苦戦しているなうsta.icon)
逆にキツイ定義にしているから「自分って友達いないな」 と思ってしまう
sta.iconそうかもしれないです
無駄に自分に厳しくしているというか、そういう自分に酔っている(悲劇のヒロイン)ところがある 「僕はこの歳になっても友達がいない」 ← これの自虐使えるのが本当に気持ちいいんですよね
あと「友達いない人」ってそうはいないので、俺は少数派になれる。一種の承認。
他に頑張ってることがあれば「俺はその分もこっちに費やしてきたんだ」みたいなストーリーも演出できる
最近こうしてスクボで遊べていて本当に楽しいです
でも非凡でありたい、何者かになりたいsta.iconはそれを許さないところがある
友達を認める=人付き合いの価値を認める=既に友達や恋人や家族がいる人達、が俺より上になる=悔しいぃぃぃぃ
ぼっち歴の長かったsta.iconのここまでの生き様は何のためだったんだ、となってしまう
単に行動しなかった自分の落ち度ということが露呈してしまう
それは嫌だ
で、変に理屈こねて自分を騙し続ける……
が、この悪循環を少し止められたかもしれない
kana.icon
友達を認める=人付き合いの価値を認める=既に友達や恋人や家族がいる人達、が俺より上になる
これは普通に自分もそうだったのでめちゃわかりますねー。
白黒思考ぎみだし、バランスを取るということができないので何かに全ツッパしてしまう→なにかを100%重要と考える→それがある人は無条件で上→悔しい と思ってしまう。 ただ最近思ったのは、重要度をどの程度の割合で考えるのかは人によるのかなと思いました
100%重要ってものは存在しない
「自分にとって」 どの程度重要か
ほかの人たちも、その人の状況や状態によって変動する重要度パーセンテージを持っている
kana.iconの例なんですが、自身が外見をよく見せることの価値を認めると
外見がいい人たちを自分より上だと思って認めたりリスペクトしないといけないか
あるいは負けたと感じたり劣等感を持たないといけないか
→どっちもxですね
外見がいいことに対しては認めて、たとえばyoutuberならメイク動画をみて学ぶことは重要。
でも、それ以外もすべて素晴らしいということではない
そして、その人は外見で稼いでいるのだからとうぜんかなりのリソースをそこに割かなければならない。(その分別のところにリソースは割けない。)
kana.iconはまったく関係ない生活をしているのだから、最低限のリソースをさけばよい
sta.iconmemo: 「やらなければならない世界の人たち」ではないのだから、彼らが出してくれてるノウハウなどをしめしめと拝借して少し良い思いをすればよい
劣等感100%を感じてそれを全くしないのはもったいない
そういう人たちは周囲にヨイショされているのでうらやましいか?
kana.iconはうらやましくはない
もし羨ましいと感じてしまうのであれば、ほかの方法で承認を模索してもいい
モテたいなら美男を目指す方法もあるけど、容姿の足切りにひっかからない程度に身だしなみを整えてトーク力で勝負してもいい
→配分の問題
すでに友達や恋人がいる人たちは、リソースを人付き合いに割いたのだからsta.iconさんが割いている別のことには割いていない
音ゲーはstaさんよりできないだろうし
もし音ゲーがstaさんよりうまいうえに友達や家族がいる人がいたとしても知的生産はしていないだろうし
...
四天王みたいなすべて持っているように見える人たちはそもそも「効率がよかったり時間の使い方がうまかったり体力がバケモノであったり」 という技能をつかって両取りしているのだと思うので、それを目指すなら
気にしない(目指すのを諦める)か
体力
時間の使い方の習得
のどちらかしかない気がしますねー。
sta.iconそのとおりだと思いますsta.icon
地道に集める路線はたぶん見込みがない(すでに人並以上には実施してて、それでも今のsta.icon程度ですし)と思う
「気にしない(しすぎない)」 これを身につける必要性を改めて感じましたsta.icon*3
ぼっち歴の長かったsta.iconのここまでの生き様は何のためだったんだ、となってしまう
単に行動しなかった自分の落ち度ということが露呈してしまう
これは別に、今までがまったく無意味だとか、努力しなかったから当時も得るべきであったものが得られなかった、というものでもないんじゃないですか?
当時は、あまり重要だと思っていなかった(だから必要もなかったし、もっと重要なほかのことに力を注いでいた)、でも今は重要だと思うので、リソースを割いている でいいのかなと。
たとえばお金・収入にしても
今まではあまり必要としていなかったけど、(子供ができたから/老化などでメンテナンスが必要になったから)もうすこし稼がないとなー。スキルアップしよう! となるだけで
もちろん「もっと前からやっていればこんなことで悩んだり不安にならなかっただろう」 という意味での後悔はあるかなと思います
「いま収入が少ないのはお前がやってこなかったからだよね?」 →それはそう
だからといって今後も収入を上げなくていいというわけではない。自分にとって必要になったからそのために今からでも頑張っている
→これで普通にカッコよくないですか?
sta.iconそうか、これまでの自分を否定しなくてもいいし、「今から頑張る」自分を褒めてもいいんですね
僕は自分についてかなり自罰的になっていたのかもしれない(全然自覚なかったですけど)
(このオタクも自罰的な側面がある)
kana.iconは絵を最近始めたのですが、それまではやろうとも思っていなかった→いまはやっている
やはり、それこそ幼稚園児から絵が好きで云々、みたいな人とはかけている時間が段違いなのでとうぜん大きな差は感じますが、比べなくてもいいものなので、それによって辛くはならないですね。
もちろん、やっぱり絵がかけたり言語化が上手い人のほうがコミュニティでの友達が多いなと感じるので羨ましくもありますが、すぎたことをどうこう言ってもしかたないので。。。
コミュニティでの友達を得る方法はほかにもあるし、そもそもそんなにたくさんの人と濃ゆく関わりたいのか?というのもある
kana.iconの場合は緩い繋がりはほしいけど、いつもリプライを飛ばしあって絡む のは疲れる。
炎上もしたくないからあまり人に見られたくない
sta.icon私もそっちサイドですね。現時点でもTwitterしてないくらいですし
あとは運動もそうですね。
運動習慣の重要性に気づいていなかったし、オタクキッズにありがちなとおり、人付き合いや部活動をするくらいなら映画や漫画を見ていたかったw
でもそのときに映画や漫画をみたのはそれはそれで悪くなかったし、今は運動習慣が重要と思うのだから映画をセーブして運動に時間をあてる
そうしたら、「健康で体力もある、映画にそこそこ詳しいkana.icon」 になる
当然、「めちゃくちゃ映画に詳しい人」 とか「スポーツ万能な人」 はすごいけど、能力の組み合わせを活かすほうもありそう
ちょっとズレるけど、映画好きな人∧コンピュータに詳しい人 の割合を考えると、ソフトウェアエンジニアとして映画ドメインに関わる、とかはこの世でかなり競争率が低い分野になる
sta.iconありがとうございます。言われてみると、意外と道がひらけそうというか、別にそこまで卑下しなくても十分もうすでに色々あるやろって思えてきました