ライフログ
鈴木健が、Web 2.0*1の議論を拡張しつつ展開した、「Web 4.0」の時代における個人情報の運用予想図のこと。 図:4つのWebとデータの場所
とはいえ、そこで黙っていないのが世の中のハッカーです。セキュリティの問題も考えて、Web 3.0におけるデータの集中状況を遍在させる環境は可能ではないか、と考えるはずです。ここからWeb 4.0の時代になるのですが、そこでのデータ・プラットフォームはおそらくブログになると考えられます。いまブログには文章だけでなく、ありとあらゆる自分の情報を投稿するようになっています。ブログは「ライフログ(Lifelog)」化していくのではないか、と僕は予想している。すべての生活情報・個人情報を記録するライフログは、各人のブログ上に分散化されて管理されます。ただし、自分でサーバーを管理していくのはさすがに難しいので、これを管理してくれるベンダーと契約するようになるでしょう。そしてライフログ同士が連携をすることによって、Web 3.0のときと同じサービスが提供できればいいわけです。 そうなると、おそらく検索のアーキテクチャが全部変わることになります。これまでのRDB(リレーショナル・データベース)と同じようなやり方では、おそらく性能が出ない。そこで分散検索や分散与信のようなものができる。またブログに保存された個人情報に対して、自分でセキュリティ権限を設定して、公開範囲を設定すればいいわけです。「あるアプリケーションはアクセスできる/できない」「誰々は閲覧可能/不可能」というように設定すればいいということです。これを細かく設定するのは面倒くさいので、おそらく「適当に設定しておく」といったモードができて、便利になっていくことでしょう。このように、Web 4.0の時代には、「個人情報保護産業」のようなものがブログの上に乗っかってくると思われます。 ■ 自己情報コントロール権としてのプライバシー/身体の自己所有のリバタリアン この「すべての生活情報・個人情報を記録するライフログは、各人のブログ上に分散化されて管理され」るというモデルは、プライバシーを自己情報コントロール権とみなす立場の究極のかたちでもあり、同時に、身体の自己所有(権限理論)を理論的下敷きとする、(サイバー)リバタリアンの究極の夢であると指摘された。(isedキーワード「プライバシー」「サイバーリバタリアン」参照のこと。) 倫理研第6回:共同討議第2部(4): 配分的正義――情報社会のリベラリズムの居場所 (中略)個人情報をライフログ・サーバーに入れて、その運用が人生全体の資産価値を決定していく世界は、リバタリアンの夢としてあると思いますね。 (中略)ライフログの発想は、社会思想の言葉でいえば、ノージックの「権原理論」*2のスーパーハイパーバージョンですね。 北田:
そのスーパーハイパーバージョンは、リバタリアンも突き抜けて、リベラリズム的な思考一般を否定する方向に向かう。
ここでいう「ライフログ(Lifelog)」とは、ユビキタスコンピューティングの文脈で様々なプレイヤーが取り組んでいる、生活情報の記録に基づく仕組みやサービスを広く指す言葉である。 テロ対策としてのLifeLog計画 (DARPA)
米国防総省の『ライフログ』プロジェクト、一部修正してスタート あらゆる個人情報を記録する米国防総省の新プロジェクト
MyLifeBits 構想 (Microsoft)
FORGET ME NOT (PARC)
実世界インターフェイス (VR的文脈含む):相澤「ライフログ」/廣瀬「バーチャル・タイムマシン」のまとめ記事 森山和道の「ヒトと機械の境界面」:人生を記録するVR~記録と記憶、記憶は情報処理できるのか
■ 関連
特集 Web 2.0ってなんだ? - CNET Japan 鈴木健のブログでWeb 4.0 について論じられている。 PICSY blog: XMLの文体と新しい社会契約論(6):Web3.0