2020/06/27-2020/06/30
言いたいことが大きくなっているのか、たまたまテーマがないせいかしているのか、それとも簡単に言える部分はだいたい言い尽くしたからなのか。
思索の枝が広い
哲学書そのまののように重厚なものより、こういう筆致の方が、読んでいてこちらの思考の枝が広がる。
本の中でも言及のある、朝日新聞の記事は読んでいたので、情報としてはそれほど想像を超えるものは、想定通り、入っていなかったと思う。
受講生は自分たちで選んだ指導者に従っていると感じているが、実際には教師の指示だから従っている。これを見透かされると体験授業の効果が半減するので、(位置1336)
日本で授業をおこなうのだから、天皇制ファシズムを体験させたほうがいいのではと思われるかもしれない。(位置1259)
なんて記述もあるくらい、自己内省が行き届いていて、
Obsidianとかも気になるけど、
iPhone⇔iCloud⇔Windowsアプリ
がスムーズに連携できるかどうか?
「培養肉とかが普及したら、肉用に牛とか飼う必要なくなるかもしれないけど、そうなったら家畜は絶滅レベルまで減るから、結局彼ら死ぬわけだけどどう思いますか?」ってそういう運動の人に聞いたら「苦痛を与えずに済むから絶滅させればよい」って答えだったので、世界観が違うなって思った。
⇒個体ベースで考えればそれほど間違っていないと思うが。生まれちゃった個体が苦痛を味わうのは残虐だけど、種が絶滅しても苦しむ自我はいない。
オタクの必修科目であるどころか、過剰摂取で飽き飽きすらしている「正義の反対はまた別の正義である」とか「人は正義に酔った時、最も残虐になれる」とか「私こそ正義とか言い出す奴が一番信用ならない」とかを
普通の人は履修してないのかもしれない……
世の中にはしょっちゅう怒る人と全然怒らない人がいて、どっちが幸せかというと後者だと思うけど、怒りが不要な感情だとは言えないはず…怒り…怒りとは?とか考えてたら混乱してきて「怒り 意味」とか入れてGoogle検索してしまって自分でウケてしまった、ヒットするかそんなもん😩 一応、知ってる範囲で、
共同体を守るために、フリーライダー野郎に対して強い憎しみを感じる、とか 今後も継続的に搾取されることを防ぐために、「カモ」という評判を防ぐ必要がある場合に、誰かに軽々しく扱われたときに強く感情が動く というようなことは起こると思う。
不条理みたいなものは、自分にとっての単なる不利益や不快を超えて怒りを呼ぶんではないだろうか。
因果関係を探す回路のせいで、「何も悪いことしてないのに、嫌な目にあった」というときにも怒りはわくのだろうな。
これらはたぶん、二次的な感情として、「悲しみを分かってもらえなかったから」とかとは違う次元の乾いてかつ延焼温度の高い怒りだと思う。
>日記の魔力
そういうものが書かれるときに、「メモにできる7つのこと」をコントロール群(プラセボ対照、みたいな意味で)的な位置づけにした上での差分がどれくらいあるのか、みたいな語り方をしてほしい気持ちがあったりする。
『バレット…』の前半なんかも、その差分のところだけ書いてくれよ、ってなる。
「言及した人」は容易に可視化できますけど、その逆は難しいですからね。でもって、だから「言及ゲーム」が始まってしまう。
SNS自体が「回数多く」「断定調」「反論無視」「自分を強く見せる」「内容なくてもふわっと共感」に最適化してるので、その全てにおいて逆の賢い人がみえないのは必ずしも探せていないだけというわけでもないという
まあ、うっかりつぶやくやらかし王国としてのツイッターにも多分に魅力はあるわけで、それはそれとして慎重な人たちの言論も見たいという話として、ですね
誰かと「あるある」で盛り上がっているときというのはゲラゲラ笑って面白いわけですが、その根底には「分かってくれる人がいて、うれしい…」
なぜ「うれしい」と感じるかというと「いちいち前提をイチから説明しなくても済む」からです。
脳は常にラクをしたいようです。
すべてをにRTしたり、言及している人がそれです。その時点では不確定さが大きすぎて結論が出せないことであっても激しい議論がオンラインでやりとりされているのもよくみかけました。
逆に心配しすぎたためか気持ちが反転して「そんなに重大であるはずがない。みんな何を騒いでいるのだ」と、わざわざ心配している人の投稿にコメントしにゆくひともいましたが、
何が正解で、どのような未来になるのかという結論が出せないものについては、意見は意見としてもったまま、結論を宙に浮かせて静止させるという離れ業が必要なときもある
私自身、1月から4月にかけての自分の情報摂取のしかたや、投稿の仕方には多分に Doomscrolling をしていた自覚があります。それ自体は悪いことではなく、その自覚が、どこかで私の正気を守ってくれていたのです。
⇒「自分もまた恐怖に取り憑かれている」というメタ認知が自分を救う場面もある、ということ。
着眼点が面白い
over1000
⇒着眼点が面白い、とは嬉しい評価
それ以外に評価のしようがないとも思うが
それゆえにこそ、「いっき日記的に」scrapboxを公開するのは、「何者でもない者」にはおすすめだと思っている
なんか、不要なことを論じているような気もしてきた。
全体的にカミソリの仕事という感じ。もうちょっと太いものを切っていきたい。
⇒細部にとらわれすぎない。
だから講演会とかに行って、講演者がパワポのスライドを提示しつつ、詳細を口頭で説明、そしてスライドを印刷したハンドアウトが配布されててメモ書きOKなら「視覚優位/聴覚優位/体感覚優位」のどの人の「得意」もカバーできてるわけなんですよね。