2020/07/01-2020/07/5
念力主義
むしろ、その不確かな情報
先入観で
身を守ろうという
保身の感情こそが人間として俗悪で薄汚いとは思わんのか
旧日本体制の
統制性
負けたこと死んだこと
戦略的でなかったこと
これらは別個で、「統制なんかしたから、戦争になったし、人が死んだし、戦争に負けた」と言うのは必ずしも因果でつながらない。
統制は、人権の観点で忌むべきものだ。
でもそれは、人が死ぬとか、戦争になるとか、市民生活を不幸にするとか、文明社会ではやらないことだとか、そういうこととは直結しない。
民衆は戦争はしたがらない。するのはいつも権力者、というのはある程度正しいけど、それでも民族浄化とかされることが分かってたら、市民末端の一人一人でも武器を持って戦うかも知れない。
「2番目に好きなガンダムは?」
ガンダムのオールドファンに聞いてみたい質問は、
テレビシリーズしばりで、2番目に好きなガンダムはどれ? というものだったりする。
ファーストが別格なのは、見てみたら分かったよ。ところで……、というわけだ。
私の見るところ、「Z」と「X」の比較とかだったら、少なくとも勝負(バトル)にはなると思う。結局勝つのがZなのだとしても。少なくとも、「比べるのも失礼」というランク差ではないと思う。
さらにZZやXや逆シャアやF91になると、そこまでの別格感は果たしてあるか?
とんでもねーこと言うなら、負けて悔しいなら投票なんてするな!
とりあえず、「投票率は30%だったから、3分の2の人は支持していない」という言い方はやめてみましょう。みんなは、これでいいから投票しない。必要であれば行ける人たち。
投票しなかった人の全部と、得票総数の合計分の支持を現体制は受けている、まずはそう思おうよ。
その上で、「あ、みんなはそうなんですね。『このままじゃいけない』って思ってた自分みたいなのの方が少数派だったんですね。サーセン。いや、みんながそれを選ぶのなら、みんなの決定には従います」くらいの自分へのドライさが民主主義には必要。
自分への健全な懐疑。
権力者vs選挙民、じゃないんだよ。私達の反対側にいるのは別の選挙民なんだから。
その石をお前は、隣人に向かって投げられるのか?
まあ、そんなこと言ってる私からしてが、震災直後の石原慎太郎再選では吐きそうなほどのダメージを受けてたんですがね。
そこから抜けてきたのは……、「このままじゃ悪くなる、悪くなる」って思ってたし言われてたけど、それを十何年続けてきて悪くなってない、という経験的体感のおかげなのかもしれないけど。
トランプ大統領ですら、結果だけを見れば、そこそこまともに任期を終えようとしている。(随時のお騒がせはたくさんあったけど)
「選挙行こう」って著名人が呼びかけますよね。
そんで、体制派が順当に勝つと、「都民はその程度か」みたいなことを言う。
それが失礼になると思わないのですかと。
あなたの「選挙に行こう」を聞いて選挙に行った人が100人とかいるかもしれない。それで、行った人の6割が1位の人に投票してる可能性があるわけですよね。支持率で見たら。
それで悔し紛れの言葉を持つくらいなら、最初から「選挙行こう」ではなく「○○さんに票をください」って言ってればよかったよ。まあ、そうすると運動家みたいに見えて、誰も選挙に行こうとしなかっただろうけど。
となるとあと効果が計算できるのは有利な候補へのネガキャンテロたろうけど、それは自分と自分の陣営の品位を下げるから最大の悪手。
となると、あらゆる選挙期間中の活動は、やるまえから詰んでるんだよ。
まずそこの現状認識が大事。
何をしても、何もしなくても結果が変わらないなら、家で寝てるわ、というならそれでもいいし、変わらないなら、怒ったほうが気持ちいいから怒ることにする、というならそれでもいい。
そもそも、選挙に行かない人というのは、現状の体制か、選挙戦の情勢かに、問題が無いと思ってるから選挙にいかないわけですよね。
その意味では、1位当選の候補は、投票に行かなかった45%の有権者と、投票された55%のうちの得票率率0.6掛けで2割弱、その合計約8割の民意で支持されてる可能性すら高いわけです。
2位候補推しだった人、3位候補推しだった人、いろいろいると思いますけど、その人たちと同じ意見の人というのは、全体の7%しかいませんでした。そういう世界線ですよ、この世界は。
みんな無意識で、「私の意見は正しいから、みんなも私と同じ意見になるはず」と思っている。もしそれを面と向かって指摘されたら、「いや、みんなとまでは思いませんけど」と言うでしょうけど、違うんです。
同じ町に住むような人でも、同じような所得を持つような人でも、同性でも、同じ人種でも、同じくらいものを考える人でも、同じ職種の人でも、同じ趣味を持つ人でも、テレビを見る人でも、ネットを見る人でも、あなたと同じ意見ではないんです。あなたは7%なんです。
そして、あなたと日頃仲良くして助けてくれてる隣人に、8割の人はひしめいているんです。旗色を明かさないでくれているだけで。どうかその8割の人たちに石を投げないでくださいね。
あなたの願いは届かなかったかもしれないけど、あなたの隣人8割の希望はかなったわけですよ。それを祝ってあげましょうよ。
そんな迂遠な考え方をしていたら、平等とか、たった一つの問題を解決するのに何十年もかかってしまう。
それは受け入れるべきコストなんです。必要なんです、それだけの時間が。
理念として正しくても、すでに同的に動いていて複雑にからまっている社会は急には変えられない。
急に変えて見落としがあったら、その穴に吸い込まれてしまう人が出てくる。
住民票を出していないから支給されない人とか、
空席を作ったら営業しても赤字になるだけの事業でお金を稼いでいる人がいましたよね。
複雑な系って見落としが出るものなんです。
鉄道を止めたら、医療関係者も出勤できなくなるとか、保育園や学童を止めたら、住民票できなくなるとか。
だから、少し動かしては、見落としが、穴になり掛けるのに気付いて、その都度弥縫策でつないでいく。
弥縫策、弥縫策、弥縫策です。
それで最善で、そんなことが行われている状態で、出力の限界いっぱいまで社会は上手く回っています。
それより多くの幸せは、この社会からは作り出せません。
コミュニケーションを取りづらいとの声も聞かれる。
「人間のアイデンティティーにとって、顔以上に重要なものはない」とオレンジ郡在住のグレッグ・リップフォードさん(61)は話す。
「相手の顔が見えないと、その人と一緒にいる気がしない。人とのつながりが薄くなってしまう気がするので、一刻も早くマスクを付ける必要がなくなって欲しい」
⇒そういえば、西洋人は目を隠されるよりも口を隠されるほうが違和感があるんだったか。
男性の方がマスクに対して抵抗感が強いとの調査もある。マスクをするのに、「恥ずかしい」「ダサい」「弱さを示す」などの印象を持っているという。
アメリカでは日本に比べて、男性が「たくましさ」を重視する傾向がある。男は筋骨隆々であるべき、トートバッグや小さなバッグを持つのは格好悪いなどの偏見を持つ男性にとっては、マスクも同じように「女性的」だと映る。
ドナルド・トランプ大統領が断固としてマスクを付けないのも、弱々しく見えるのを嫌がるからだと言われている。
⇒ああ、やっぱりそれはあったんだな。
専門家による提言を広める立場にあって、なお我を張ってるから、何か受け止めにくい要素があるのだろうか? と思っていたけど。
また、アメリカで顔を隠すのは犯罪を連想させる。
顔を隠して黒人に脅迫や暴行などを行っていた白人至上主義団体クー・クラックス・クランを取り締まるため、公の場でのフェイスマスク着用を禁じる法律が定められた州もある。(医療用マスクやコロナ禍のような非常時は適用外。)
人種偏見も絡んでくる。
黒人男性の間では、マスクをつけていると、警察に呼び止められたり、店員や歩行者などに不審に思われたりするとの不安もある。
⇒こうなると被差別者はつらいな。
相手は「社会」に生きている人で、自分とは関係ないから、挨拶する必要を感じないのです。日本人にとって大切なのは、同じ「世間」に生きる人ですからね。 ただ、日本人が無視する「社会」は、欧米のようにいきなり襲ってくるかもしれない「社会」ではないと日本人は思っています。だから、スパッと無視できるのです。
逆に言うと、「社会」に生きる知らない人とのコミュニケイションが日本人は苦手なので、マスクをすることでシャットダウンできるという利点を感じているのではないか、ということです。
マスクが、対人関係のバリアになって、安心感を得ている日本人はいるでしょう。
基本的な読解力がない状態でたくさん本を読んだら読解力は身に付くのだろうか。
⇒そこに因果がなくとも(なんなら、因果が逆なのだとしてすら)、同時にやっていくしかないのだろう。「読解力が付いてから読書を始める」ってわけにもいかないから。
そうして、「子育て」や「教育」は、ごたまぜで、総花的で、大したコンセプトもないようにしか見えない、雑多なコンセプトで運営される。 それで最大限生産的で、現実は変えられない(=よく変えようとしても大したことにならない)ってことになる。
「アーカイブ」は、総数が大きいほど価値を発揮します。ロングテールの長いしっぽのイメージです。
「アクティブ」は、むしろ総数を限定する(私の言い方をすれば、閉じて動かす)方が価値を発揮します。人間の認知の領域下に置ける情報の数は限られているので、なんでもかんでもを「アクティブ」にしない方がいいのです。
⇒動かすなら限る
Scrapboxでは、情報が主役であるので、「私の注意・認識」で支配する必要がありません。情報が自律的になる──それはつまりオブジェクト的になるということ──のです。
Scrapboxに情報を保存すると、使用者のそのときの認知の枠組みに「捕らわれていない」状態で情報を留めておけます。
⇒と、いうことは、語られていないこととして、掘り起こしやすいアウトライナーであるRoam Researchですら、意識を向けて手綱をかわるがわるかけ続けないと、徐々にストックは仮死に向かうということか。
そういえば○○マネージャという変わった人がいたな → 具体的なエピソードは?
秀丸エディタを使い始めたのはいつだっけ?
「超」整理手帳はついての自分の感想をまとめて読みたい
ただ、この拾い読みだけではその当時の自分が置かれていた状況が完全には思い出せないために、拾い読みした内容を誤解する可能性があります。
「この日はどんな日だったんだろう?」という当然の疑問がわき、改めてその日の朝起きてからの流れを読み返したりします。
それでだいたい気が済むのですが、ときには「そもそも当時の自分はどんな感じだったのだろう?」
そうなると、その数日前は、その数週間前は、とどんどん遡っていき、
僕の頭の中で不意に発生する「検索要求」は、「このキーワードが索引候補になるのではないか?」という問いだったのです。
生存確率を上げるためのインデックス作り
でも、Scrapboxに転記することでEvernoteに留まるよりも活躍の機会が得られやすくなります(そのため、特にEvernoteに長く勾留されているノートたちはこぞってScrapboxへの転属を希望していますが、希望者多数のため現在かなりの待ち時間を要している状況です。転記担当がボトルネックになっているようです)。
なぜScrapboxでは活躍の機会が増えるのか?
これについては、倉下忠憲さんの以下の記事が分かりやすいです。
» Scrapboxは時間を超越する
教養っぽいものと教養の差って、選民的かどうかな気がしないではない。
⇒そして、その権威に脅されて強迫症になってしまう人たちのところまでセットで。
⇒とはいえ、完全に拡散的な消費が「真なる教養」とも言えないだろうな、とか考えたところで、4象限を構想する。