2020/07/06-2020/07/10
「手を動かそう」と思ったと思ったタイミングより先に、手を動かす神経電位が先行する。
……、という話がある。
しかしこれは、
思考・決断・運動・内観、という4つの働きがあったとき、内観が運動より遅れているということにすぎないのでは?
という流れと「内観」があったとき、内観の自覚が動作より遅れたからといって、そこに思考や検討や迷いや葛藤がなかったということにはならないのではないか?
内観≒意識≒理性≒意思
とまでは言えないのではないのか?
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私には、克服とか超越というベクトルが自分の中に拭い難くあって、もちろん自分だけが克服して競争優位、ということも考えるんだけどそれだけじゃなくて、本当は「間違っている」「愚か」ということが死ぬほど嫌なんだと思う。
家族を人質(というか盾)に取られたら、引き金を引けなくなるヒーローとか、小さいころ嫌いだった。
お前ノーモーションで撃てるやろ、針の穴通すようにコントロールもできてたやろ!
だから、実務に生かすということや、社会に貢献したり親切にする、ということよりも、「どんなときにどんな風に人間は誤りがちか、それは自分にも言えるのか、どうすればそんなとき自分は誤らずにすむのか、ってことにアンテナを張るのがたぶん好きなのだ。
その意味では、商売とかクリエイティブとかネットサービスの今後の勢力図とかは、わりとどうでもいい。
いや、どうでもよくはないんだが、「興味を持たずにすませたい」。
「気になること」というか「気にしたくないこと」なのだ
ただ、私の最表層意識に、「人生の目的は何ですか?」と聞いても、「間違えないことです」「人間が間違えないための方法を探すことです」とはたぶん答えない。
私の中のそのベクトルは、「意識」にとっては当たり前の乗り物だから、普段は意識されることはない。それは前提として世界を生きている。
「仕事術です」とか「選挙や高等教育にかかるお金についてです」とか答える。
話すように書き、書くように話す(美談ではなく、しゃべりかたが堅苦しいとか他人行儀という話)
gofujita notesの
しかし、現実や現状からの踏み出しかたとしてはかなり似ている気がする。微分。
究極的には、「inbox」の焼き直しなのかもしれないとしても。 物言い、共感する姿勢
⇒そういう精神的なものを政治に求めていた人は、「パフォーマンスばかりで中身のない政治だった」とか言ってはいけないと思う。
弱者の政治
⇒の正義性ははたしてどこまで自明か?
⇒景気刺激策は、たいてい格差を生むとか、
⇒過剰な補償支給は勤労意欲を下げる方向にナッジしやすいとか。
選挙で政治は変わらない。
でもそれは、
ロビィイングをしようとか
署名を集めて届ける活動をしようとか、
そういうことではありません。
どちらかというと、
普段から身の回りで政治の話をしようとか、
それプラス、個々の政策についてはネット世論で補おうとか
その程度のことです。
彼らは生産者(労働者)を生産することで利益を発生させている。あたかも、資本家であるかように生産することで。
それによって本来労働者に対して与えるべき庇護が消失し、それが余剰価値として現れる。 ⇒これは芸能界とかスポーツとか、興行ビジネスに昔からあった感覚に近い感覚ですかね。スターにはなれるかもしれないけど、スターになれない人は扱いが最低になる。 深く見えるだけかもしれませんよw
⇒これ結構本気で言っている部分があるのではないかと思っていて、一度「言葉」を使って考えているから、その表象的な操作で『言っていないことはないか?』『裏も考えられるのではないか?』みたいなところへ思考が進めやすい。
だから、「裏側に注意したい」「逆について考えてみたい」と最初に言った段階では、まだ思考そのものはそこまで追いついていないことがあったり、また言葉を使わない世界線では、立ち止まり欲求がその深さまで到達することはなかった可能性もあるのではないか。
上に書いた、ジョイスの『若い芸術家の肖像』という作品の感触のことなど、ネット上では炎上も拡散もしないだろうけど、そこには、人気のユーチューバーの動画よりも大切なことが確かにあると、私には思える。
人には誰でも少し偏屈なところがあって、そこにこそ魂の故郷があるのではないか。ネット時代にはそれが置いていかれている。
⇒言葉の選び方が少し分かりにくい。「人の偏屈な部分」。
「簡単に言葉というコンテナに切り出したり、多くの人に共感してもらえる見込みのない思考や、人生の断片」みたいな意味よね。
「人間はすぐ気難しく(≒機嫌悪く)なる」とかそういう意味じゃないよね。
女性の価値が年齢と共に減っていくと思わないし、女性の価値が体の価値でしかないならそんな価値要らない。
⇒いや、そこまで趣旨を読み取れないものなのか。「 〜だからつらいですよね」という話をしているのに?
なぜか?
これは僕の意見ですが、時間が無限にかかるイメージがあるから、だと考えています。
「(馴染みの薄い仕事は)時間を無限にかけないとうまくいかない」という幻想があるのです。
「午前中の方が認知リソースが多く使える」もまた幻想なのではないかと考えています。
午前中にやろうと思っていたことができなかった途端には「今日は…もう…ダメだ…」と落胆してしまう。あるいは「早起きできない自分はダメだ…」とか。
「午前中」に期待しすぎではないでしょうか?
⇒おお?
もし、まっすぐ前に進むうえで毎回工夫が必要になるとしたら、そのルートには問題があることになります。
多くの仕事術は“運転技術”を磨くことで、どんな悪路でも走りおおせることを志向している雰囲気があります。
ここでは、しかし、運転技術を磨くのではなく、走りやすい道を整備することを志向しています。
記録は記憶のインデックスになると考えています。
恐竜の骨が残っていれば、元の姿に復元することができるのと同様に、インデックスという骨組みが残っていれば、元の記憶に復元したときの再現度が上がるという理屈です。
インデックスがなければ、記憶は文字通り骨抜きになってしまうでしょう。
⇒くそうw
どんな準備をしたいと思ったのかを記録に残していけばいい」
「図書館に行きたいが図書館は花屋の隣にあるのを覚えているので花屋への道を聞く」みたいなことをしてはいけない。これは私が人生から学んだ数少ない教訓です。なぜなら、「図書館にはどう行けばいいですか?」と聞くと「今日は図書館は休みですよ」という情報が手に入ることがあるからです。
⇒これが「例」というより「比喩」だとするなら、よく分かる。身につまされるというか、若いころはそうでした。
こちらの意図や俗な欲望を他人に知られるのが嫌だったし、人に頼らなきゃいけないのが恥ずかしくて仕方なかった。 後に、子育てで、手が回らなくなり、実行の抜け漏れすら出るようになり、やったことすら相手の要望基準に到達しないこともちょぼちょぼ出て、それでも守らなきゃいけない生活のラインは高く、なりふり構わなくなって恥の概念は随分減ったけど。 でも、“もっと速い馬”じゃなくて、自動車を紹介してあげたいと思ってオープンマインドで待ってくれている人だって、世の中にはいるんだよな、ということ。 まあ、「人間味はいらない、データでだけ答えろ」というパーソナリティーの、すごく痛々しい形での発露、と見ることもできますね。
「この問題の答えは何か」という質問はよく受けますし「この単語の意味は何か」という質問も受けます。しかしそれだけではまだ十分ではなく、むしろするべき質問は「なにがわかれば次は自分で解けるか」です。でもそういう話をすると「次の問題を解きたいから黙ってくれ」という態度をとります。
いくら釣りの仕方を教えようとしても、彼らは「魚を取ってくれ。取ったらどっか言ってくれ。俺が欲しいのは魚であって、そんな変な棒は要らないんだ」と言います。「釣竿が便利だと教えられるのが真の教育者だ」などと言わないでもらいたい。
「質問はないか」と聞くと、生徒の多くは「大丈夫」と答える。これは彼らが「質問はないか」を「腹痛はないか」のように捉えていることを示している、つまり「質問はない」ことが「問題ない」状態だと考えているのだろう、と思っている。1時間授業を受けて質問がないことの方がはるかに問題だ。
「さあ! 行きたまえ!」
行きたまえじゃねえよ。お前の頼みで仕方なく行くんだよ。
英語版:I give up. I see no point in living if I can’t be beautiful.
『めだかボックス』という漫画を読んでいて、台詞や言葉の唐突さが印象的な漫画だな、と思うわけなんだけど、