お前らは壊すことしか能がないのか
お前らは壊すことしか能がないのか
何の話しをするかというと、ガンダムWです。
全話を見たわけではない。で、私が見た当時、富野由悠季監督ではない、宇宙世紀ではなくってからのガンダムが(テレビシリーズの範囲で)、G、W、Xと出て、他方で∀も出てきたころだった。 で、そうなったときに「GWX」の評価は低いものであった。アフターガンダムというくくりもあった。
今で言うけもフレ2的な、企業のやり方に対する反感もあったのかもしれないけど、それ以上に「『ロボットのある世界』を文学に高めようという気概が感じられない」「戦争を描いていないと思う。明るかったり、男くさくなかったり」とか、そういう要素もすごくあったのだろうと思う。
で、本日の「W」ことウイングである。
イケメンがぞろぞろ出てきて、「女性ファンに向けたガンダム」という見られ方は、私が見ようとした当時からあった。で、彼らの行動原理がハチャメチャで感情移入がしにくいせいで、なおさらそういう風に見えた部分があったと思う。
でも、私が思うのは、あのシリーズの主人公はヒイロではなくリリーナ様なのだということだ。(そうなると、シャアなのはゼクスというよりドロシーなのだ)
箱入りのお嬢さまだった少女が、出会いをきっかけに世界と関わり始め、彼の見ていたものに対して自分なりにできることを探していく。それでも、どこかで「自分のやっていることはきれいごとで、机上の空論で、だから世界に対して影響を与えることはできないのではないか」という不安や迷いは抱えたままで。 だから、スピーチ直後に殺されるときにも「いいでしょう」という姿勢だった……、でもそうではなく、そのスピーチは世界を動かし、ゆえに思い人も「お前のやりたいようにやってみろ」と認めてくれる。
ガンダムそのものが、命のやり取りとしての戦場や、ひどい目に遭う民衆としての戦場を書くことにどちらかというと視点が置かれるせいで、外交や生産や戦略レベルの視点が描かれることがまれだというのがあるとしても、完全知性派の主人公としても新鮮だなあと感じたりしていた。
それがハイパー出ているのが、なぜかシリーズの途中でとつぜん学園物になる数週間のところである。、そこでドロシーとリリーナ様とが、エレガントと理性的な態度を仮面にして、互いの信念を言葉にのせて舌戦するシーンがある。
あれがねー、一発の銃弾も飛び交っていないのに、最高に熱かったんですわ。
あれを見ちゃうと、表主人公のヒイロ君なんて、「おいお前、戦うことしか能がないのか」って感じだった。そもそも彼らのやっている戦闘は、テロやゲリラであって戦争ではないから、補給の概念がないんだよね。
何かを生み出せる未来を感じない。
まあ、そんなわけで、リリーナを主人公と思って見ると、まあ一時中だるみはあるにせよ、かなりおもしろいテレビシリーズだったはずだよ、と私は当時思ったのでした、という話でした。
まあ、手紙を開けてしまうという行動や、「殺しにいらっしゃーい」という迷言のせいで、リリーナさんにすら感情移入を阻む要素はかなりあるのだけど、それは言うまい(笑)