子供が子供の文化を持っていき、親はすべての不幸から守ってあげられはしなくなる
子供が子供の文化を持つようになり、親はすべての不幸から守ってあげられはしなくなる
ちょっとタイトルは大げさだな。
子供が通信機能のあるゲームをし始めた。
とは言っても、生粋のオンラインゲームというわけではない。
下の子が、「あつまれどうぶつの森」で、学校の友達とインターネットを介して、お互いの村を行き来し始めた。
上の子は、これは1年以上前からだけど、「スーパーマリオメーカー」やマリオカートなどで、オンライン対戦したり、一般のコース作家のマリオコースを攻略したり対戦したりしているようだ。
一応、うちの家族はまだ極端な反抗期ではなくて、楽しそうに、今日何をしたてたのかご報告してくる。だから「ようだ」といっても「何をしたかったのか」については、かなり把握できている。
過失で変なリンクから誘導されなければ、安全にインターネットは使えるはずで、コンシューマーゲームの、それも年齢制限の低いゲームをベースにネットを使っている分には大丈夫なはず……、はずだ。
また、これらswitchや3dsは、本質的にはペアレンタルコントロールがあるし、インターネットにつなぐためのWIFIは親の管理下にあるわけで、要は葛藤の上で同意したのだ。子の意向に、親である私が。
それでも、家族というウォールの一角は崩れたわけだ。
画像やメッセージをやりとりできるということは、個人情報や連絡先を発信できるわけだし、関係がリアルの延長なら延長だったで、いじめなどのツールになってしまうリスクは残ってる。
そこに不安はある。
ネットでは、記録や、流出したデータは消せなくて残り続け、大きな傷になる可能性もある。
親として「いざとなれば守ってやれる」範囲でのみ子供を育てていられない、というのは心がざわつくものなのだ。
これは、歴史上のあれこれと相同するものだろうか。
例えば、昔の親は、子が「自分で本を読」み、自分独自の文化レパートリーを持ち、自分独自の思考回路を持ち始めるとき、そのリスクを想像したのではないか。
子供が学校に取られるとき(義務教育)、子供が自分の部屋を持つとき、子供が学生運動や政治活動に関わりを持つとき、そんなリスクと同形のリスクを感じていたのではないだろうか。
別に、「よく分からないから怖い」それで「不安だから駄目だ」「とりあえず禁止だ」と言っているわけではない。
「それが何か」分かっていたとしても、だ。親が子の行動に張り付いて、すべてを見ていてあげることができるわけではない。親には親のやることがある。
だから、自由度の高い行動を子に許可するのには覚悟がいる。
それは簡単なことではない。
楽なことでもない。
タグ 子育て
from 2020/07/01-2020/07/5
P.S. そういえば、こういう課題は情報技術だけじゃないな。
アメリカ風の、「レモネードの屋台」「クリスマスカードの販売」とか、あるいはもっと身近に「トレーディングカードのトレード」「その金銭トレード」とかでもそうだな。親として管理しきれなくなるから、それらもやはり、禁止していたい。
お金の経験