2020/06/21-2020/06/26
自分の子供が、自分の知らない、コントロール不可能な世界を持つこと
僕だけではない。
線が見えるのは変なことではないんだ。
このことが僕の心をフッと軽くした。
このテレビを見たのが7年前らしいが、僕はそのときをピークにそこからは段々と線の主張が弱くなっていった。
どんぶり勘定・ワーカーホリック・頼まれると断れない、
で、考えてみると、この三要素はある根源を同一に持っている気がする。
⇒なんだろう?
アニメやゲームに身が入らず、井之頭五郎の快食っぷりを眺める我が身を悲しく思う。そんな疲弊に包まれていても視聴でき、それなり楽しめてしまう『孤独のグルメ』には感謝するしかない。
ふと、うまいものでも食べに行きたくなったが、ディスプレイのなかの井之頭五郎のようにはバクバクとは食えないだろうと思い、諦めた。
⇒食べることすら、上手くはやれない、という文学のようなリアリティー描写。
―― 沖縄が観光を再開するが、どうすれば持ち込みを防げるか?
無理です。防ぐことはできません。先日、観光事業者との話し合いの場にて、私は次のように申し上げました。
「いかに水際対策を強化しようとも、それでウイルスが持ち込まれなくなるとは思わないでください。観光を再開するならば、ウイルスが持ち込まれることを前提として、それをいかに早期に発見し、拡大させないかをそれぞれの事業者で考えていただければと思います」
まず、大前提として、最善の感染対策というのは人が集まらないことなんです。ただ、やっぱり私たちが生きていく以上は、そうしたイベントが必要なんだと思います。
たとえば、沖縄県では観光を再開しますが、ウイルスを持ち込ませないことは目標となりません。持ち込まれることはあっても、地域で広げないための対策を取ることになります。観光の従業員は感染することはあるかもしれませんが、地元の人には広げないということが重要です。とくに、沖縄の高齢者を守っていくことを最終防衛ラインとしています。
⇒観光客はいい思いをするが、従業員はリスクにさらされ、その周辺の接触者たちは自粛行動をを強いられる(かもしれない)。でもそれが目標。
私自身は、リスクのないイベントはないと思ってます。人が集まるところには、新型コロナに限らず、インフルエンザやノロウイルスなど感染症のリスクがあります。それでも、私たちは人間ですから、集まってイベントを開催するのです。
「人はたとえ夫婦であっても絶対に分かり合えないし、揉め事は解決しない。何も変わらないけれど変わらないなりに、うまくやっていく方法はいくらでもある」
こういう「前向きな諦め」ができるようになった時、上の方にあげた「キラキラ言葉」が真実になるのです。
この段階を吹っ飛ばして、いきなりキラキラ言葉に惑わされてしまうから苦しいのです。
あ、ただ別にそれはレイさんが弱いとか悪いとかそういう意味ではありませんよ!強いて言えば、そういう甘い言葉を蔓延らせている世間が悪い(まあ世間にも世間の理屈があるんですがね)。
⇒▼と▽の違いが、説明を読んでいていまいちつかめなかったんだけど、でも、現物のリストの中で見たらわりとすぐわかった。
「ミニプロジェクト」と「テーマ」みたいな違いなんだな。(外から観測すると。主観的には違うかもだけど)
「AIがどんな投稿に対しても優しくリプライを返してくれる平和なSNS」のディストピア感がすごい。
⇒精神的に健康で、文化的な生産の可能になる、最低補償給付的リプライ。