ロック(音楽)のどの部分を愛して継承するのか
例えば、ある音楽やミュージシャンが「ロックかロックでないか」みたいな話題が出たり、「最近のロックはうんぬん」みたいな話が出たりする。
「ロックってなんなんだ」
ってことは思い悩む。辞書的には、「R&Rは、R&Bに端を発し……」みたいに、コードとリズムのパターンで定義できるのかもしれない。
でも、それだけだと、最近のネットスラングの「誰々が何々してるの、最高にロックだ」みたいな転用が説明できない。
ギターじゃなければロックじゃないのか
バンドじゃなければロックじゃないのか
革ジャン着てなければロックじゃないのか
過激でなければロックじゃないのか
そういうのは、どれも部分的にはそうなんだろうけど、部分的には正解ではない。
こういうのは、それまでの文化になかったある種の革新を起こして、その価値観が多くの人に広がったり新しい時代を作ってしまったりした場合に起きるような気がする。
その「切り開いている姿勢」や「華々しいムーブメント」への憧れを込みで見てしまった場合、
憧れゆえに彼らの価値観を継承してしまうと、今度はそれは革新ではなくなってしまう。
価値観が入れ替わってしまえば、もうその新しい価値観は「弱者」ではなくなってしまう。 また、情報が行き渡ってしまえば、、同じことをやっても世界に満ちる熱気はあのときと同じにはならない。
「純文(学)ってなんですか?」
『太宰 三島 坂口安吾 遠藤周作 大江健三郎 村上春樹 が、純文よ』
「村上龍は? 川上弘美、平野啓一郎 金原ひとみは違うの?」(部長)
『じゃあそれも』
「神林に教えて欲しいことがあるんだけど
SFって何?」
「それは例のアレか? SFはサイエンスフィクションじゃなくてスペキュレーティブ・フィクションの略だとか、いやいや「少し不思議」だとか。じゃあガンダムは SFか否か的なアレがって、拡散と浸透がどうとか、ラノベがうんたらかんたら、 SFマインドがあるとかないとか、結局センス・オブ・ワンダーだとかなんとか云々…
ウンザリだよ!! 町田さわ子! オマエはそーいうのとは無関係だと思ってたのに……ガッカリだ!!!」