正義感と嫉妬で使う頭が一緒
前々から(揉め事などがきっかけになって)考えてたことではあるけど、any問題とかイートイン正義マンとかも出てきたので
自分が正義感を発揮する時、嫉妬と同じ感情の動きを感じることが多い
つまり根本は不公平感を感じたときの怒りと、そのはけ口を求めて感情を動かしたり、発言したりしているのだと思う
それをするときには、たいていの人間はエクスキューズを必要とする
感情的ではないとか、冷静を装いたがる
なぜなのか?
あるいは「ずるい」という言葉を使う人間もいる
「無知な自分を出し抜くのは悪いことだ」という主張
アフリカで援助で作られた浄水施設を隣村の人間が「ずるいから」破壊しに来るという話があった
「ずるい」は犬などの動物も感じる
社会性動物はおそらく共通して持っていそう
自分の疑問は、
「ずるい」という感情は社会維持でどのような役割を持っているのか
生得的に持っている「ずるい」という感情を、なぜいまさら隠蔽しようとするのか
誰かの卒論
アージ理論によると、妬みは「地位向上アージ」のためのもの
足を引っ張ることが地位向上の有効手段となっている
ただし自分と同等か下の相手に限る
おそらく反撃に合う可能性があるため
果たして現代社会においてそうなのか?
嫉妬は多くの宗教や教義で品がないとみなされている
これはなんのため?
一部の共同体や封建社会では性善説のほうが都合が良いため?
ボスが部下の嫉妬行動を抑制する
結論
人間は反射的に自分の立場を上げるための言動に及ぶ
妬み行動を取る人間はおおよそ下記の2種類の単純化された世界観を持つ
権威主義モデル
いわゆる体育会系
態度を問題にしやすい
敵味方モデル
権威主義モデルを取ると下位になってしまう人間が採用することが多い
数が多いほうが勝ち
あるいは一匹狼的な言動をする人間も多い
自分はどうするか
対抗せざるを得ない場合
権威主義的な人間に関しては、外部から認められるというのがキーになってくる
敵味方モデルの人間については、合理性を無視できないので、論破する場合は発言の逆用(言質)が有効
取り込む場合
「あなたのことは私がわかっています」のポーズを取る
周囲の評価基準から剥がして自分が評価する立場に回ってしまう
目上に対して過剰な要求を突きつけている部分を逆用して、部下に対して自分が要求しているような行動を取らせ、なおかつ見落としを指摘して規範を強化する
自分が嫉妬を覚えたときの道徳的対処
今の時代は法律があるのと証拠が残りやすいので、足を引っ張るという行為自体が難しい
公然と非難された場合は、相手より落ち着いて結論付けてしまうことで相手の影響力を削ぐ事ができる