信頼
独立した二方向から同じ情報がくると人は信用してしまう
不信の事例
ベルギーの公共放送局「RTBF」が「有名ソムリエに最悪と評価された激安ワイン」のラベルを貼り替えて国際コンクールに出品する実験を行った結果、高評価を得て金賞を獲得してしまう事態が発生しました。
Gilbert & Gaillard International Challengeにワインを出品するには参加費として約50ユーロ(約8000円)を支払ってワインを発送するだけでOK。参加条件には「専門機関でワインのアルコール度数などを測定する」という項目も含まれていましたが、ランダムな数字を記入するだけでも通過できるとRTBFは述べています。
審査の結果、Château Colombierは金賞を受賞しました。金賞を受賞したことで、RTBFは金賞ステッカー1000枚を60ユーロ(約9500円)で購入するはめになったとのこと。
ソムリエが「最もまずい」と評価 400円ワインが国際コンクールで金賞に
「Stadia」終了で準備が水の泡に…『ダンジョンに捧ぐ墓標』無念の開発者にその心境を聞く
月600円で容量無制限のクラウドバックアップが可能な「Dropbox Backup」がローンチ
定義
Mayer 1995
能力(ability)
善意(benevolence)
誠実さ(integrity)
信頼する当人にとって重要な行動を相手がとるという期待に基づき、その相手を監視または管理する能力に関わらず、当人が相手の行動に身をゆだねようとすること」
信頼 未知のものとの確かな関係。
信頼とは、バーナード・バーバーの定義では、「自然的秩序および道徳的社会秩序の存在に対する期待」とされている。
このうち「自然的秩序に対する期待」とは、たとえば「目覚まし時計がちゃんと鳴ることに対する信頼」といったものである。
安心社会から信頼社会へ
知と無知の中間状態に位置する媒介的社会関係
ある期待される将来の事象のために,それ以外の事象の可能性を制限して行動するというリスクを引き受けること
ある事象や帰結に関して人やシステムを頼りにすることができるという確信のこと
相手が自分を搾取する意図をもっていないという期待の中で,相手の人格や相手が自分に対してもつ感情についての評価に基づく部分
ある問題に関し自身にとっての利益が相手方の利益のなかに内包されていることに関する確信
自然的秩序
道徳的社会秩序
期待に応えて裏切らないという動機に対する期待と、能力に対する期待の二種類がある。
信頼概念
https://gyazo.com/1d287b949550a499c9656ab9158e76d2
機会Cは機会コスト
第2章 信頼概念の整理
信頼の多義性 日常で使われる信頼や信用がどのような意味で使われているか
二つの信頼 p35
相手の能力に対する期待(相手の専門性等)
1.社会関係や社会制度の中で出会う相手が、任務を遂行する能力をもっているという期待
相手の意図に対する期待(説得者の意図についての信頼性)
2.相互作用の相手が信託された責務と責任を果たすこと、またそのためには、場合によっては自分の利益よりも他者の利益を尊重しなくてはならないという義務を果たすことに対する期待
相手の行動傾向についての知識にもとづいている
我々が飛行機に乗るときには、パイロットが飛行機を操縦するのに十分な能力を持っていると考えている。これが能力に対する機体としての(パイロットに対する)信頼にあたる。これに対して、夫は浮気をしていないと信じている妻の場合には、夫に浮気をする能力がないと考えているわけではないだろう。
例
能力に対する信頼(能力への信頼)
昨晩、以前に治療してもらった歯が痛みました。かなりの金額をかけて治療してもらったはずなのにと思うと腹が立ってきます。この歯医者はもう信頼できません。
過去の実績に対する信頼(能力と意図の信頼)
これからは研究室だけではなく家でもコンピュータを使って仕事をするようにしようと思い、自分専用のコンピュータを購入することにしました。カタログや雑誌の宣伝を見ていると、これまで名前を聞いたことのないメーカーが、高性能でしかも低価格のコンピュータを通信販売で売り出していることを知りました。これに対して、信頼できる大手のメーカーの製品は、性能の割には価格が割高です。信頼できる大手メーカーの製品を購入すべきか、それとも通信販売で購入すべきか迷っています。
大手メーカー カテゴリー的信頼、安心
新興メーカー 能力に対する信頼
人格に対する信頼(意図への信頼)
娘が結婚したいと言って、相手を家に連れてきました。話してみると誠実で信頼のおけそうな人柄なので、安心して娘をまかせることができるのではないかと考えています。
信頼(trust)の広義の定義
(Barber,1983)
自然的秩序および道徳的社会秩序の存在に対する期待
世の中には秩序ないし規則性があって、そういった秩序や規則性は簡単に破れることがないと思い込んでいる状態
(Luhmann,1979)
ルーマンにとっては、信頼は認知科学者が「認知的けち(cognitive miserly)」と呼ぶ、情報処理の単純化のひとつのメカニズム
信頼と安心
安心が提供されやすいのは信頼が必要とされていない安定した関係においてであり、信頼が必要とされる社会的複雑性の高い状況では安心が提供されにくい
p50
安心の定義
相手が自分を搾取する意図をもっていないという期待の中で、相手の自己利益の評価に根ざした部分
信頼の定義
相手が自分を搾取しようとする意図をもっていないという期待の中で、相手の人格や相手が自分に対してもつ感情についての評価にもとづく部分
一般的信頼と情報依存的信頼
一般的信頼 p42
他者一般に対する信頼
デフォルト値(他に判断材料がないときにもちいる値)
情報依存的信頼 p42
特定の相手についての情報にもとづく
人格的信頼
相手の一般的な人間性
人間関係的信頼
相手が自分に対してもっている感情や態度
相手にとっての誘因構造
信頼と安心を区別する(ハリセンボン装置)
信頼と信頼性
信頼性とは、信頼される側の特性
相手が実際に信頼に足る行動を取るかどうか、相手が実際に信頼に値する人間かどうか
信頼とは、信頼する側の特性
不完全な情報をもとに相手の人間性についての評価を下す際の人々の特性を反映するもの
出典
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信頼の薄いシグナル
説得が必要なうちは信頼は浅い。説明は必要だけど説得がいらなかったら信頼されてるといえるかもしれない。
相手の経験を推測して考えるといい。話が通じないのは相手の理解が浅いからかもしれない。
企業組織における信頼
Google re:Work
実力の証明
・技術力
・コンテキストを把握する能力
技術はあってもコンテキストを理解しない企業
乗用車用のエンジンを、燃費を犠牲にして最高速度の向上を目指すような開発をすること。技術力は高くても、2020年においては多くの人達からは信頼を得られない
不祥事を引き起こしながらも、他社にはできないアウトカムを実現してきたUber
Uberはセクハラ問題など数々の不祥事を引き起こしてきたが、2019年9月の時点で月間アクティブユーザー1億人に達している。人々は不祥事を気にしてはいるが、それでも利用しつづけているのは、ユーザーのニーズに応えているからである。確実な配車はUber以前は成し遂げられていなかった。
Uberのサービス開始は2009年だが、2007年にはTaxi Magicが先行していた。ところがTaxi Magicを利用する運転手は途中で他の客を見つけては載せてしまっていた。他にも配車サービス企業は現れたが、「確実な配車」を実現したのはUberのみだった。
幅広いステークホルダーに利益をもたらす
企業には様々な立場の異なる人達が関わっている。オフィスやチャットツールを見れば、同僚、上司、部下、隣の関連部署の人達がいる。窓の外を見れば顧客、株主、協力会社、行政がいる。家に帰れば家族がいる。
私たちはそれぞれに異なる信頼を寄せているし、自分自身にも多様な信頼が寄せられている。仕事を通して、これら全てのステークホルダーからの信頼に応えられるように活動しなければならない。ほのめかされた期待であったり、締め切りといった約束など様々な形がある。
しかし多くの場合、全てに応えることは難しく、トレードオフや、見過ごしやり過ごしで信頼に対する裏切りを隠蔽している。「約束を破ってしまったのはアクシデントがあったから」と他責を使いがちになる。
上司に対して「納品に間に合わなかったのは発注先がトラブルを起こしたから」
家族に対して「帰宅が遅くなったのは上司から急に依頼されたから」
組織的な相互信頼を構築する
情報の透明性
どのような情報を入手し、どの程度公開しているか
チームへの公開、他部署への公開、顧客、協力会社への公開
ネガティブ情報の公開と隠蔽のバランス
意思決定の透明性と公正性
どのようなデータに対して、どのようなプロセスで意思決定しているか
意思決定に対して、どのようなフィードバックを能動的に受け入れようとしているか
※CMを打つと問い合わせ窓口にたくさんの連絡が入ってしまう。大きな影響を受けるだろう問い合わせ窓口からフィードバックを意思決定に取り組んでいるだろうか。
機会の透明性と公正性
組織活動の中では誰がどのようなチャンスを与えられているのか、その機会の配分には大きな偏りがある。
特定個人ばかりが贔屓されているように感じれば、自分のためにがんばろうとする人は少なくなる。
どのような機会があり、どのようなプロセスで機会が与えられるのか、その透明性と公正性を高める必要がある。
負担の透明性と公正性
組織活動の中では大変で苦しい負担の大きな仕事もある。たとえばクレームを受けるサポート部門は負担が大きい。組織活動全体を通してみれば楽な仕事、きつい仕事は偏りがある。
楽な仕事、キツい仕事の偏りが大きければ、それだけで軋轢の原因になる。
負担という観点で、どのような仕事があるのか、どのように分担しているのかを明らかにし、公正さを実現することが大切。
結果責任への対応
裏切り
2017年 ユナイテッド航空機「オーバーブッキング」、警官が乗客をボコボコにして引きずり出す(動画)
事件が起こり、隠蔽する。SNSで拡散され、評価は地に落ちる。
信頼をセグメント別に対応してはならない
新聞は偏向報道を行い、判断できない人を誘導する。しかしインターネットからの批判は無視する。
読者の知識に合わせて自社に都合良くセグメント対応している。
リーダーの信頼
リーザーにはリーダーではない人がもたない様々な権限を持つ。私たちは、自分のリーダーとしてふさわしいか、厳しく見ている。単に自分の上司だからという理由で、上司の考えを尊重したり、上司からの依頼を熱意を持って仕事をする人は非常に少ない。リーダーとして認められなければちょっとしたことも成し遂げられない。
リーダーとしてのふさわしさ
関係者を裏切らず、利益をもたらす動機への期待
組織の中で利益やチャンスをどのように扱うのかは見極めなければならない。自分の利益しか考えていないようであれば、すぐに信頼は失われる。
状況を打開する能力への期待
リーダーとしてのふさわしさの度合い、正統性
ふさわしいキャリアを獲得してきたのでなければ、「お手並み拝見」という非協力的な態度や、好奇の視線を浴びせつづけられることになる。
顧客への信頼
https://gyazo.com/2e7836f6dd9d13807999807a5031b0a8
製品と信頼
金融庁 氷見野良三
「たとえば、信頼の1つの要素は、対面での会議です。顔合わせる会議は相手側に対する豊富な情報を提供し、そして、そのような情報を解釈する、私たち自身が持つ動物的本能や直観に一定の信頼を寄せている。しかし、コロナ禍においては、G20の会議から、小規模の飲み会まで、あらゆる会議がオンラインコミュニケーションになっている」
「今日のような分裂と地政学的リスクが増大している世界では、人々は政府による信頼に替わる選択肢を維持し、政府のある行動によって、彼らの信頼の源をすべて排除されることがないよう、望むかもしれない」
「考えられる可能な選択肢としては、ピアレビュー(査読)、透明性、改ざん防止のタイムスタンプ付き記録、そして効率的な検証プロセスが含まれる。それらが果たす役割が大きくなると、世界は確かにサトシが示唆した方向に進むかもしれない」
「顔に細かい刻印が入った大量の紙幣や、仕立てのよいスーツを着た豪華なオフィスにいるビジネスパーソンたち、見事なデザインのプレゼン資料、高級レストランでの接待、広告に登場する映画俳優、スマートな表紙のきれいに印刷された本、色男が渡すバラの花束、大聖堂での挙式を思い浮かべて欲しい。これらは紙幣や、洗練されたビジネス、書籍、愛や結婚といった本質的な価値とは関連しない。数兆トンものCO2が排出され、それに見合った金額が使われているのは、真剣さの表明や信頼性を生み出すためだけに行われている」
「サトシ・ナカモトの夢は、今こそより意義を持つ」=金融庁の氷見野長官
権威ある百科事典エンサイクロペディア・ブリタニカで情報を得る場合、書かれている内容は編集者が保証してくれていると考えるだろう。だが、Wikipediaを見るときには、私たちは匿名の筆者を全面的に信用する訳ではなく、参照するリンク先を見て情報を検証する。検証コストは下がったが、私たちは自分で信頼できない情報を検証しなければならなくなった。
金融庁の氷見野長官、ビットコイン発明者の「夢」への再考を促す
信頼は「きれいごと」ではない
ビルは信頼できない相手とは付き合わなかった。だがもしビルが誰かを信頼し、相手も信頼を返せば、信頼が二人の関係のすべての基盤になった。
もちろんどんな人間関係でも信頼は大切だが、仕事上の関係ではほとんどの場合、信頼は個人の価値観の追求やギブアンドテイクといったさまざまな考え方の一つのように見なされている。
だがビルにとって、信頼はつねに最優先かつ最重要の価値観だった。それは彼のスーパーパワーのようなものだった。彼は信頼を築く達人であり、一度築いた信頼を大切に育む達人でもあった。ビルはグーグルのアラン・ユースタスとすごした最期の日々にこう言った。「わかるだろう、君のためなら何でもするって」。彼は本気だった。二人の信頼がそう言わせたのだ。
信頼とは多面的な概念だが、ここで言う「信頼」にはどういう意味があるのか? ある学術論文は、信頼を「相手の行動へのポジティブな期待に基づいて、進んで自分の脆さを受け入れようとする心理的状態」と定義する。
信頼とは「約束を守ること」だ。ビルに何かをすると言ったら、それは守らなくてはならない。ビルも同じだ。彼はいつでも約束を守った。
「建設的」な意見の不一致
信頼がビジネスの成功の基盤だという考えは、いまさら言われるまでもない、ありきたりなお題目のように聞こえるかもしれない。だがこのことはこんにちの多くのビジネス書から欠落しているし、現に私たちが前著『How Google Works』のリサーチや執筆を行ったときも、グーグルの成功要因として一度も挙がらなかった。
これは重要なことだ。信頼とは、つねに意見が合うということではない。むしろ、信頼している相手には異を唱えやすいのだ。この二人のほかにも、ビルと仕事をした人たちから同じような話を数え切れないほど聞いた——ビルは信頼できる。彼の成功の原点はここにある。
信頼はあらゆる関係の基盤である。たびたび引用されるコーネル大学の2000年の論文は、チームにおける「課題葛藤」(決定に関する意見の不一致)と「関係葛藤」(感情の行きちがい)の相関関係を論じている。
課題葛藤は健全なものであり、最善の決定を導くために必要だが、課題葛藤が高まると、まずい意思決定や士気低下を招きかねない関係葛藤も高まる傾向にある。
ではどうすればいいのか? まず信頼を築け、と論文は結論づけている。信頼関係のあるチームにも意見の相違は生じるが、感情的なしこりは少ない。
ほとんどのビジネスパーソンは、会うとすぐ用件に入る。なにしろやることがたくさんあるのだ! これはとくにテック業界に目立つ傾向だ。テクノロジストはEQ(心の知能指数)が高いとか、社交スキルに長けている、なんて話は聞いたことがない。テック業界の流儀は、「まずはおまえの賢さを証明しろ、そうすればお前を(少なくともお前の知性を)信用してやってもいい」というものだ。
ビルはそれとは異なる、もっと気長な方法を取った。誰かと付き合い始めるときには、経歴やスキル、能力以外の部分を知ろうとした。シシル・メヘロートラーはこう語る。
「ビルは野心的なテクノロジストたちと付き合っていたが、彼らとは世界の捉え方がまったくちがった。……彼はこの世界を、お互いの強みと弱みを知ったうえで信頼し合い、協力して目標を達成しようとする人々のネットワークと見なしていた」
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信頼は社会生活の必需品
信頼は、人生に「もしあったら便利」なおまけではない。日常生活の活動の多くは信頼によって成り立っている。食べること、運転すること、働くこと、買いもの。飛行機に乗ること、医者に行くこと、秘密を打ち明けることも、他人を信頼しなければできない。政治学者のエリック・アスレイナーは、「信頼は社会生活の必需品」だと言っている16。
たとえば、宅配の寿司を注文するとき、そのレストランが新鮮な材料を使い、厨房は清潔で、クレジットカード情報を悪用せず、配達人が寿司を持ち逃げしないことを信じているわけだ。ちょっとした人助けも大がかりな協力も、信頼のもとに成り立ち、それが積み重なって経済効率が上がる。「ほぼすべての商取引には、おのずと信頼の要素が存在し、一定期間取引が継続する場合には必ず信頼が存在する」。アメリカ人ノーベル賞経済学者のケネス・アローはそう言った。「この世界における経済発展の遅れのほとんどは、相互信頼が欠けていることが原因だと言えるだろう」
信頼があればこそ人はリスクを取り、弱みを晒さらすことができる。それは、結果がはっきりとわかる前に、または相手がどう振る舞うかわからなくても、誰かに頼ったり頼られたりできるということだ。それは、宅配寿司を注文するといった些さ細さいなことから、結婚といった人生の一大事にまで当てはまる。何かを買ったり行動したりする前に、自分が騙されたり、ぼったくられたりすると思ったら、ほとんど何もできなくなってしまう。
信頼の定義
信頼は構造でもなければ物理的なものでもないのに(握手や書面での契約を除けば)、それを「構築」したり「破壊」したりするという表現はおかしなものだ。「幸福」や「愛情」と同じで、信頼を普遍的な概念としてとらえている人は多い。そして、愛と同じで信頼にもさまざまな面がある。それは、取扱説明書付きのエンジンのようなものではなく、使い方もひとつではない。信頼は状況によって形を変え、関係によって形を変える。要するに、信頼は文脈に大きく依存するということだ。
「あなたにとって信頼とは何ですか?」
この5年間、この質問を数百人にしてきた。起業家、政治家、大企業の経営者、科学者、経済学者、銀行家、デザイナー、学者、学生、そして5歳児にも。彼らの答えはどれもハッとするほど面白く、驚くほどに違っていた。この質問をするといつも一瞬の沈黙があり、そのあとに「う〜ん、ちょっと待って」というようなつぶやきが続く。「なかなかはっきり〝これ〟と言えないよね?」。たしかにそうだ。信頼が何を意味するかは人によって違う。わたしが聞いたいちばん正直な答えは、皮肉なことに保険販売員の言葉だった。「履歴を消さずに妻に携帯を預けられるってことだな! 信頼ってそういうこと」
個人的な信頼
多くの人にとって、信頼とは心配せずに誰かに頼れるということだ。たとえば「夫/医師/友人に頼れること」。この場合の信頼とは、特定の人、たいていは親しい誰かが持つ特徴のひとつになる。その人と接する時間が長いほど、相手がどうふるまうか、その人が信頼に値するかが、わかるようになる。これを「個人的な」信頼と言う。
一般的な信頼
一方で、組織としては認識できてもそのなかにいる人は曖昧な団体あるいはものへの信頼を、「一般的な」信頼と言う。オックスフォード大学サイード・ビジネススクールでわたしの授業を取っているMBAの学生は、こんな風に言っていた。「信頼とは、結果が保証された契約のようなもの」。たとえば、わたしは郵便局が手紙を届けてくれることを信じている。個人への信頼と組織への信頼は混同されがちだ。わたしの場合は自分の銀行の担当者を信頼しているが、金融機関としての銀行にはそれほど信頼を置いていない。
信頼とは、期待に対する自信である
信頼の定義のなかでもわたしのお気に入りは、息子の友だちが言ったことだ。当時5歳で、よくわが家に遊びにきてくれていた。わたしが本を書いていることを、おやつの時間に息子のジャックが話した。それが〈スター・ウォーズ〉でも〈ハリー・ポッター〉でもないことを友だちは残念がっていたが、それでもハッとするような質問をしてくれた。わたしは男の子たちに信頼って何だろうと聞いてみた。「アイスクリーム屋さんが僕にアイスクリームをくれるって言ったら、それはアイスクリーム屋さんがそうしたいからで、僕はアイスクリームをもらえるかどうかを心配しなくていいってこと」。息子の友だちが、一気にそう答えた。子供の言うことはすごい。その答えはドイツの高名な社会学者であるニクラス・ルーマンの定義にかなり近い。「信頼とは、期待に対する自信である」とルーマンは述べている。
わたしはオーストラリアのロードサービス大手であるNRMA(日本のJAFのような団体)の理事を務めている。NRMAはオーストラリアでもっとも信頼されているブランドのひとつだ。アメリカのAAA(アメリカ自動車協会)やイギリスのRAC(イギリス王立自動車クラブ)と同じで、運転中に車が故障したら電話をかければ誰かが来て助けてくれる。最近こんな話を聞いた。ある女性がNRMAのコールセンターに電話をかけた。とても落ち込んでいるようだった。激しい呼吸の音が聞こえ、明らかに泣いていた。その女性は、息子が数年前に交通事故で亡くなった場所をたまたま通り過ぎた。道の脇に車を停めたが、パニックに襲われてしまった。彼女が最初に電話をしたのがNRMAだった。ロードサービスのスタッフが数分でその場所に到着した。スタッフの男性は2時間以上彼女の横に座っていた。そして一緒にラジオを聴いた。ふたりは亡くなった息子の話をした。そして女性がまた運転できるようになるまで、彼はずっと離れなかった。わたしはその話に感動したが、なぜその女性がNRMAに電話したのだろうと不思議に思った。別に車が故障したわけじゃないのに? 警察や救急車や夫や友だちじゃなかったのはなぜ? 「必ず誰かが来てくれるとわかっていたから」。それが彼女の答えだった。まさにそれが信頼だ。
数百種類もの信頼の定義を研究したなかで、そのほとんどはひとつの単純な考えに落とし込むことができそうだった。信頼とは結果の予想であり、物事がうまくいく可能性が高いと期待することだ。言い換えれば、望ましくない結果にはならないと思えるとき、信頼が育まれる。
大人よりも5歳児のほうが人を信頼しやすいのは、大人よりも裏切られた経験がはるかに少なく、遠い先のことを心配したりしないからだ。大人にとって、信頼はもっと複雑で、頭で考えると同時に心で感じるものでもある。モートン・ドイツはそれをこんな風に美しく表現している。「信頼とは、恐れをもたらす何かよりも望ましい何かを(他者から)受け取るであろうという自信である」。
自分に大きな影響を与える不確実性
あなたと未知のものとのあいだに、なんらかのすき間が存在するとしよう。たとえば、まったくの他人に頼らなければならないときや、行ったことのないレストランに行くときや、はじめて自動運転車に乗るときだ。既知と未知とのすき間が、いわゆるリスクだ。実際、自分に大きな影響を与える不確実性が、リスクの定義でもある。もちろん、不確実性のなかにも、どうでもいいものもある。たとえば、わたしがイギリスの農家なら、豪雨の可能性は生活の糧かてに関わる不確実性だ。しかし、中国の繊維工場の経営者にとっては、イギリスの天気の変わりやすさなどどうでもいい。未知のことがなく、結果が保証されていれば、リスクはない。たとえば、朝になれば必ず日が昇ることはわかっている。
https://gyazo.com/bf58801fd6a8af61eaaa4f14ee02119b
インターネットでものを売買する場合、たいていはどちらの側も相手を知らない。詐欺かもしれないし、品物が表示と違うかもしれない。たとえばイーベイでフィットビットを買うとき、それが本当に新品なのか、新品に見せかけた中古品か、模造品か、はたまた盗品かはわからない。何があってもおかしくない。望ましくないことが起きる可能性もリスクもある。オンラインで売り手と買い手の信頼を築くには、テクノロジーを利用して、取引してもいいと思える程度に不確実性を減らすか、リスクを下げるしかないとマーは考えた。
また、信頼の問題が深刻であるほどビジネスチャンスは大きいことに、マーは気付いていた。その考え方はスティーブ・ジョブズに近かった。誰かが問題を解決してくれるのを待つよりも、市場に立ちはだかる壁を自分たちが破ることができれば、それが巨大な優位性になる。決済を例にとろう。相手は本当に代金を支払ってくれるのか? 代金を支払ったら商品を送ってくれるのだろうか? それは信頼における典型的な鶏と卵の問題だ。
「3年というもの、アリババは単なるオンラインの情報の取引所だった。おまえが持ってるものは何だ? おれが持ってるものは? 長時間話しても、商売になりゃしない。支払いの手段がないからだ」。マーは言う。「銀行と交渉した。誰もやりたがらなかった。銀行からは〝だめだめ、絶対にうまくいきっこないね〟と言われた。どうしていいかわからなかった」。認可を受けずに決済システムを立ち上げたら、中国の厳しい金融規制にひっかかることは充分承知していた。刑務所送りにもなりかねない。それでも、とりあえずやってみることにした。なぜ? 「中国と世界にとって、システムへの信頼が何より大切だから」だとマーは語っていた。
信頼の構築
この10年間、わたしは製品やサービスや情報といった価値のある何かを多くの人に届ける方法を根本的に変えるようなネットワークやマーケットプレイスやシステムを数多く研究してきた。このような事例における信頼の仕組みには微妙な差異があり、本書を通してその微妙な差異を浮き彫りにしていこうと思う。しかし、その差異の背景には、人が信頼を構築する際に必ずたどる行動パターンがある。わたしはそれを「信頼の積み木重ね」と呼んでいる。
信頼の積み木はこんな風に積み上がる。まずはじめに、アイデアを信頼しなければならない。次にプラットフォームと企業、そして最後に個人(その相手が機械やロボットの場合もある)だ。
https://gyazo.com/816fb78b4908af95d4816d1b24716d7d
ブラブラカーを例にとって、その全体像を見てみよう。最初の段階では、ライドシェアが安全で試す価値がありそうなアイデアだ、という信頼が必要になる。アイデアへの理解が深まり確実性が増すか、不確実性が減れば、このアイデアを試してみようという気になる。次の段階はこのプラットフォームと企業への信頼だ。この場合には、ブラブラカーが同乗前に腐ったみかんを取り除き、何か問題が起きたときにユーザーを助けてくれると信じられるということだ。3番目で最後の段階は、異なる情報を寄せ集めて、相手の人が信頼できるかどうか確かめることだ。だが、最初のふたつの段階を経なければ、その段階には登れない。
最初の段階では誰もが少し居心地の悪さとリスクを感じる。だが、最後にはそうした新しいアイデアが当たり前を超えて、なくてはならないものに見えてくる。信頼の飛躍を受け入れて、それができるとその先の行動が変わる。しかも変わるスピードは速い。
信頼性の3要素
信頼に値するかどうかを見きわめる際、「目がやさしそうだったから」とか「適役に見えたから」という印象に頼らない、比較的シンプルな方程式がある。不動産屋さんを選ぶときも、弁護士やベビーシッターを選ぶときも、信頼に値するかどうかは3つの要素に左右される。その人は有能か? その人は頼りがいがあるか? その人は正直か?
https://gyazo.com/21bd9ba901a0694ddefde7dcc6e4672f
有能さとは、その人があることをやり遂げる能力があるかどうかだ。特定の役割または仕事を実行するスキルと知識と経験がその人にあるか、という意味だ。その仕事が、髪を切ることにしろ、子供の世話をすることにしろ、ウズベキスタンまで飛行機を操縦することにしろ。
頼りがいとは、その人があなたのためにやると言ったことを必ずやるかどうかだ。「その人に任せても大丈夫」とあなたが確信を持てるかどうか、という意味だ。その人は最後まできちんとやってくれるだろうか?
正直さとは、誠実さと意図の問題だ。「その人はわたしに対してどんな興味と動機があるのだろう?」と自問するといい。彼らの意図があなたの意図と一致しているかがポイントだ。彼らは噓をつくことで、または真実を告げることで、どんな得をするのだろう?
信頼とは、「カプセルに入った利益」だと政治学者のラッセル・ハーディンは言っている。「カプセルに入った利益」とはすなわち、ある種の閉じられた輪のなかの当事者それぞれの自己利益という意味だ。もしわたしがあなたを信頼するとしたら、それはあなたがわたしの利益を真剣に考えてくれるとわたしが信じているからだとハーディンは言う。友情も、恋愛も、おカネも、評判もそうだ。なぜあなたがわたしを騙さないと信じられるのだろう? それは、わたしを騙すことがあなたの利益にならないからだ。「わたしたちの継続的な関係はあなたにとって価値のあるものなので、わたしの利益を考えることがあなた自身の利益になる」。『信頼と信頼性』のなかで、ハーディンはそう書いている20。たとえば、わたしは最近自宅を売却したが、自分の不動産屋がそれなりにいい値段で家を売ってくれると信じて任せた。それは、その不動産屋さんがいい人でわたしを気にかけてくれるからではなく、手数料が売却価格に連動していたからだ。これが「カプセルに入った利益」だ。アダム・スミス風に言い換えると、不動産屋が将来手に入れる手数料は本人の強いインセンティブになり、わたしが彼女を信頼する充分な理由になる、ということだ。
わたしたちは頭のなかでしょっちゅう、「この人を信頼していいだろうか?」と考える。でも、「Xについてこの人に任せていいか?」のほうが、問いとしては正しい。信頼とは、「誰かにあることを任せられるか」、ということだ。たとえば、記事を書くことなら、わたしを信頼して任せてもらっていいが、貨物トラックの運転は無理だ。20代の大学院生を教えることなら任せられても、5歳児のクラスを任せられたら、まったく上手に読み書きを教えられずイライラしてしまうだろう。その人に何を任せるかで、信頼できるかどうかが変わり、能力、頼りがい、正直さという信頼力の3要素の重要性の順番が変わる。信頼は文脈に左右される。
信頼コスト
ブロックチェーンは人間にとって重要な問いを投げかける。お互いを信頼するためにどれだけのカネを支払うべきか? 昨年わたしは、さまざまな振り込みや支払いを行うために、口座維持手数料と金利を銀行に払った。その一部は隠れた手数料だ。契約書を作るために数千ドルも弁護士に支払った。他人がどんな行動に出るのかわからないからだ(それと、数件の事件で信頼が崩れたからだ)。保険会社にも、医療や車や自宅や命のリスクを管理してもらうためにおカネを払った。不動産屋にも、買い手であるわたしと売り手である家の所有者のあいだに入ってもらうために、何万ドルも払った。わたしたちはどうやら、自分の人生を管理してもらい、何が起きているかを二重にチェックしてもらうためにたくさんの人におカネを支払っているようだ。こうした「信頼できる仲介者」はみんな制度への信頼をもとにした世界の一部で、今それが大きく揺らいでいる。
ブロックチェーンをめぐるアイデアの多くは野心的でリスクが高く過激に聞こえる。多くのアイデアは過剰に注目され、資金が集中し、失敗する可能性が高い。しかし、新しいテクノロジーのおかげで信頼のコストが激減するにつれて、これまで信頼の仲介者として料金を受け取っていた代理人や仲裁者や監督者や管理人といった第三者機関が、「書き換え不能な」台帳に取って代わられたくなければ、自分の価値を証明しなければならなくなる。
ノイズによる意図しない裏切り
私たちは、図らずも信頼を裏切ることがある。つまり、誤って他者に不快な仕打ちをする。そんな経験は誰にでもあるだろう。たとえば、納期を間違えてしまい、チームの仕事で自分の担当部分が間に合わなかったり、「福引き券は、きみから買ってあげるからね」と近所の子どもに言ったのに実際には買わず、その子は約束を覚えていたりする(または、その子があなたと隣人とを間違えていたりする)。端的に言えば、人間の社会的な交流では間違いが起こるということだ。行動が意図を明確に表すとは限らない。行動はノイズが混じったシステムなのだ。だが、そのノイズが実際に問題を引き起こすこともある。
論文やサーベイ
「信頼」に関する学際的研究の一動向 - 東京大学法学部
評価制度
上司と部下の関係の信頼関係は重要だとされているが、目標管理や評価制度で部下から上司、または上司から部下への好感度や信頼を測る指標をみたことがない。むしろ信頼は必要だとしながら、その可視化はタブー視されている。