正義はコピペ可能だがコミュニケーション能力には修練が必要
自分が相手を傷つけたことには気づけないのだが、自分が傷つけられたことにはすぐに気づくので「先にやられたのは俺だ」になる。そういう人間同士のやり取りは当然どちらも「自分は被害者。相手が加害者」という加害-被害フレームとなるため、相違-同意フレームでの「理解」ができない。 パースペクティブ理解もコミュニケーション能力もない人が、それでも「つながる」ことをプラットフォームから要請されれば、究極、「リポスト」と呼ばれるコピペや、実質「ほぼ誤タップ」のいいねを押すしかない。そうすれば、自分が所属するグループの「共通善」を肯定し、「共通の敵」を憎むことで、つながることができる。 つながるためには、まずは最初はバラバラでなければならない。分断されていなければならない。最初から一つならそれは「つながる」のではなく「同じ」でしかないから。 【正解】にしか興味ないから、他人になんか興味持てない。関心も実はない。だから質問もできない。話していても共通の【正解】と共通の「敵」。それしか話題がない。コミュニケーションツールとしての正義。それ以外に話題もつながれるツールも能力もないから。 そもそもパースペクティブ理解やコミュ能力の前に「変わらないを受け入れる」訓練が必要かもしれない。他人は基本変わらない。もちろん変化しないことがないわけじゃないけど、基本相当難しい、レアケースだと思っておく、それを忘れたらもうインターネットやらない、くらいのアレで。 どちらが正しいかで争っても仕方ない。むしろ「自分と異なる相手をどちらのほうがよく理解しているか」で、その人の能力を争うべき。(敢えてここでは「争う」という言い方をするが)
「私のほうが正しいんだ」という人に「どちらが正しいかはさておき、まずはできるだけたくさんの理解を理解しよう」という。