正義はコピペ可能だがコミュニケーション能力には修練が必要
moriteppei.icon他人の痛みには鈍感だけど、自分の痛みには敏感で、高い人権意識と正義感は持っているが、多様なパースペクティブに対する理解力や、異なる信念体系を前提としたコミュニケーション能力は持たないようなタイプの人間がインターネットにはゴロゴロしてるので「被害者は私だ。正当防衛してやる」ってなる。
自分が相手を傷つけたことには気づけないのだが、自分が傷つけられたことにはすぐに気づくので「先にやられたのは俺だ」になる。そういう人間同士のやり取りは当然どちらも「自分は被害者。相手が加害者」という加害-被害フレームとなるため、相違-同意フレームでの「理解」ができない。
正義はコピペ可能な一方、「多様なパースペクティブに対する理解力」や「異なる信念体系を前提とするコミュニケーション能力」はかなり高度なスキルで、地道なトレーニングや教育、何より時間と経験が必要。
パースペクティブ理解もコミュニケーション能力もない人が、それでも「つながる」ことをプラットフォームから要請されれば、究極、「リポスト」と呼ばれるコピペや、実質「ほぼ誤タップ」のいいねを押すしかない。そうすれば、自分が所属するグループの「共通善」を肯定し、「共通の敵」を憎むことで、つながることができる。
こうしてぼくらはつながろうとして分断される。分断のためにつながる。でも本当は「つながる」ためにはまず「バラバラ」でなければいけない。つながるための分断。
つながるためには、まずは最初はバラバラでなければならない。分断されていなければならない。最初から一つならそれは「つながる」のではなく「同じ」でしかないから。
「バラバラになる」ためにはどうすればいいか。それは「共通の善」や「正義」「大義名分」、【正解】から離れた、人それぞれの《世界》=その人だけの信念体系を想像し認知し理解していかなければならない。
【正解】はいったん置いておかない?実際は正解ばかり考え、動いてるフリをしてサボってる。自分と似ているようでまったく異なる他者、それぞれが持つ無数の《世界》を理解することを。
【正解】にしか興味ないから、他人になんか興味持てない。関心も実はない。だから質問もできない。話していても共通の【正解】と共通の「敵」。それしか話題がない。コミュニケーションツールとしての正義。それ以外に話題もつながれるツールも能力もないから。
そもそもパースペクティブ理解やコミュ能力の前に「変わらないを受け入れる」訓練が必要かもしれない。他人は基本変わらない。もちろん変化しないことがないわけじゃないけど、基本相当難しい、レアケースだと思っておく、それを忘れたらもうインターネットやらない、くらいのアレで。
どちらが正しいかで争っても仕方ない。むしろ「自分と異なる相手をどちらのほうがよく理解しているか」で、その人の能力を争うべき。(敢えてここでは「争う」という言い方をするが)
「私のほうが正しいんだ」という人に「どちらが正しいかはさておき、まずはできるだけたくさんの理解を理解しよう」という。