インターネット
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言葉にしてそう考えたわけではない。ただ事実としてそれは起こっていた。時間のように、地形のように。ネットの世界はゆるぎなく無限大に見えたから、そこに存在しないものがあるなんて考えもしなかった。写真や動画やニュースや音楽をむさぼるわたしの欲求は底無しで、でももしも目には見えない何かが消滅しかかっていたら、どうやてそれに気づけるというのだろう?ネット以前のわたしの生活が今と極端にちがっていたというのではない。でもあのころ世界は一つしかなくて、すべてのものがそこにあった。ドミンゴのブログは今まで読んだどのブログよりも素晴らしかったけれど、それにアクセスするためには彼の家まで車で行って、生身の彼から直接それを聞くしかなかった。しかも検索で彼にたどり着くことはほぼ不可能だ。彼を見つけることができたのは、ただの偶然だった。 / 学術的に見れば、わたしの一連のインタビューは何の力もなく、『牛なわれた映画の報告書』と五十歩百歩のおぼつかないものだ。でもそう遠くない将来、パソコンを持たない人はこのロサンジェルスに一人もいなくなって、そうなればこんな活動ももう不可能になる。人間の生の営みの大半はネットの外にあって、それはたぶんこれからも変わらない。食べる、痛む、眠る、愛する、みんな体の中で起こることだ。でもそれらの欲求を失ってしまった自分を想像することさえ、さほど無茶ではなくなってきている。それらは時に困難をともなうし、手間もかかる。もしかしたら二十年後のわたしは空気や水や熱にインタビューしているかもしれない。それが大事なものだということを記憶にととめておくために。> あなたを選んでくれるものpp.167-8 しかし、こうした新しいテクノロジーが、われわれの考え方に及ぼす最も大きな影響は、それらが一つになっていくことだ。 たとえば、あなたはナノ秒ごとにツイートし、ミクロ秒ごとにウェブページをサーフィンし、何時間もYouTubeのチャンネルをさまよい、それから数分で本の断片を飛び回り、やっと仕事の表計算ソフトや、スマートフォンのスクリーンに帰ってくる。 しかし、実際のところは、ある一つの手に触れられないものに、1日10時間も注意を向けているのだ。この一つのマシン、一つの大きなプラットフォーム、巨大な傑作は、何兆ものパーツがゆるくつながってそう見えている。そして、それが一つになっていることは簡単に見過ごしてしまう。〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則 ケヴィン・ケリーp.373