コミュニケーションツールとしての正義
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moriteppei.icon 別に正義が悪いってんじゃないのだが、自分たちが「コミュニケーションのために<も>正義を欲してしまっている」こと、自分たちの欲望を理解しないまま、いや、理解しないためにも「マジ」の正義に「マジ」にコミットし続けるわけだが、そのことの政治的な有害性について反省できてる人って、相当少ないんじゃないだろうか。moriteppei.icon moriteppei.icon マジな政治を、他者とコミュニケーションして「つながる」ための極めて中心的なネタとしてしまうと何が起こるか。簡単に言うと、コミュニケーションをしにくくする、コミュニティを破壊するようなメッセージが排除されてしまう。たとえそれが正しくても、というか、正しければ正しいほどそうなる。 コメカは「マジ」コミュニケーションの「ネタ」になっている、といった指摘をしている。 コメカ.icon 「2015年的なるもの」があったとして、自分はそれを戦後民主主義リバイバルみたいなものとして捉えていたし、新左翼〜サブカルチャー的な系譜から生まれてきたアイロニーの失効がいよいよやってきたのかも、と思っていた。が、結局いま現在、「ネタ」消費的なコミュニケーションは陣営問わずあらゆる場所で延々と続いている。そんなに簡単に状況は変わらなかった、ということは認めざるを得ない。 / > 現状におけるTwitter的な問題のひとつの形とは、そこでは「マジ」であることが、自己目的化されたコミュニケーションの「ネタ」に実質的になってしまっているということに、気づきにくいこと。 / 2010年代は、「マジ」であることが、陣営問わず各所でかなり主張されていたと思う。それは本当に「陣営問わず」で、例えばAKBにしろSEALDsにしろそうだったと思う。ロマン主義的シニシズムを乗り越える方法が、それぞれに模索されたというか。しかしそこにはやっぱり、いろんな意味での困難があった。 / ネット的というか、常時接続の集団相互コミュニケーションが醸成するものは本当に大きい。そこで生まれる「ネタ」化コミュニケーションから脱出して「マジ」になれ、みたいなメッセージも、もしくは「ネタ」化コミュニケーションを徹底的に加速させ切ることで「マジ」になれ、みたいなメッセージも、とにかくあらゆるメッセージがすべて「ネタ」として再回収されてしまう。 / 「エモい『マジ』さを擦り続けることが単に相互接続のための『ネタ』になってしまう状態」って、主体形成の抑圧的要請を避けるためのアイロニーが欠けている分、「『ネタ』化的アイロニーを通してしか他者とエモく繋がれない状態」より実は危険度が高いというか……。 「主体たれ」という要請→それが生む暴力を回避するためのアイロニー→それが他人とエモく繋がるためのツールに堕する→弛緩したアイロニカルなエモコミュニケーションを脱するために、「主体たれ」という要請が再び復活する→しかしそれも他人とエモく繋がるためのツールに堕する→ツールとして使われる場合、アイロニーよりも「主体たれ」という要請の方が実は危険。エモコミュニケーション維持のために主体化要請を自他に求め続けるような、倒錯した状態になる(アイロニーであれば、「ネタ」化作法で嗤うという防衛反応を反復することにしかならない)。 / 「主体たれ」という「マジ」な要請が、事実上「ネタ」化してしまうこと。しかもアイロニカルに嗤う形での「ネタ」化ではなく、それが「ネタ」化していることに気づかないまま、コミュニケーション維持のためのツールとして自他に対して「マジ」に要請を続けてしまうこと。「2015年的なるもの」が頽落することで、こういう状態が生まれているのでは、というか……。 / コミュニケーションの形式をとりあえず変えないことには、こういう状態から抜けられない気がする。変えても抜けられないかもしれないけど……。https://mastodon.social/@comecaML/110860608159591903 コメカ.icon 怒りの蓄積回路はある。しかし、溜まった怒りを社会に反映させる回路(デモや社会運動含む)がどんどん痩せ細ってきている。結果的に怒りがウェブのなかで横向きに相互接続され続け、実存とコミュニケーションのための「ネタ」に(当人たちにそのつもりが無くても)なってしまう。そして横向きに際限なく連続していくコミュニケーションは、商業SNS運営者たちにとって大切な金ヅルである。コメカ(早春書店、TVOD): - Mastodon コメカ.icon 対面で肉声で会話しているとき(それ自体が特権的な行いだ、という糾弾もあろう)、私たちは相手が口にした言葉に「いいね」ボタンをクリックしたり、その場で不特定多数に向けて「リツイート」したりすることはできない。当たり前だけど。 / ウェブ・SNSが提供している形式・構造そのものに、ユーザーたちのコミュニケーションの在り方や内実は規定される。今後はVRがもたらすそれも、また重要になってくるだろう。しかしこういった「環境」の条件は、参加者たち自身には往々にして意識されにくい。コメカ(早春書店、TVOD): - Mastodon コメカ.icon インターネットは距離を縮める。それは素晴らしいことでもあるし、恐ろしいことでもある。制限を取り払う自由の可能性がある一方で、自意識同士が直接的に癒着してしまう危険性もある。「私」という器をそこで維持することが、良くも悪くも難しいところがある。個々の器から溢れ出した自意識同士の無限相互接続に、引きずり込まれる可能性が常にある。コメカ(早春書店、TVOD): - Mastodon