サブカルチャー
moriteppei.icon 「他愛ないもの」に真剣にコミットすることによって、「ヤバいもの」へのコミットを避ける効果はあるわけだよね。熱心にサブカルを追うことで宗教にはハマらない、みたいな。 問題は「他愛ない」と思っていたものがとんでもなかった場合だよね。ジャニーズだったり、サブカルおもしろがってたらそれがいつのまにかオウム真理教と地続きだったりする。 moriteppei.icon すべてが商品として取引されていく中で「どうしても商品になんかなりようがないもの」をクールだと思って消費するサブカルのメンタリティわかんない人多そう。そういう人、反差別とか人権とか「買って応援」して、その根底にある資本主義に対する反省なさそう。 moriteppei.icon サブカルを批判するのはわかるけど、あんなの喜ぶやつはどーーしよーもないと、一面的な評価しかできない、しないリベラルの人間の教養のなさも素晴らしすぎて涙出るよ。自分がわかんないものはこの世の中には存在しない。存在するものは存在してはならない。以上!「なぜ存在するのか」考えないバカなリベラルの知的怠惰のほうこそ批判されるべきだと思いますけどね。 moriteppei.icon 騙されないために、よりマシなもの、根本的にはどーーでもいいものに真剣に陶酔するという防御策があって、それが一時期、ある種のサブカルでも実現していた機能だったわけだけど、マジにマジな陶酔をしてしまったり、「どーーでもいいもの」がどーーでもよくはないことが見えてきてしまったせいで「サブカルなんかにハマるやつはどうしようもない」ってことばっかり「リベラル」な方が言い始めたわけよね。で、時を同じくして「推し」って言葉がどんどんどんどん広がっていった。