推し
moriteppei.icon そもそもが自分は「推し」という言葉が大っ嫌い。元の意味は違ったのかもしれないし、無害な使い方をしてる方も知ってるのだが、なんかすべてを免罪するような言い方だし、それが本当にしていることを曖昧にして抽象化した上でミソもクソもどれも「推し」でまとめてしまってる。こんな言葉を無反省に使えないよ。
moriteppei.icon 誰かを「推す」前に、「推しがこれやったら推すのやめる」ってルールを決めてから推してほしい。それをしない「推し」って、推しなんじゃなくて悪質な陶酔だよ。
moriteppei.icon 最初は単に資本主義での消費活動をポジティブに言い換える変革モーメントが強い言葉だったと思うんだよね。「推し」って。恋愛至上主義への読みかえもあった。だけれども、今の大多数の「推し」だのファンダムだのは一瞬で国家に都合よく併合される臣民主体化、感情化でしかない。そのことに対して批評性伴わずに「推し」って言える時代ではもうなくなってしまってる。 moriteppei.icon 「推し」って言葉も本来はそれこそ罪がないどころか、恋愛的好きや新しいタイプの瑞々しい気持ち、単なる消費行動ではないというニュアンスが含まれていた素晴らしい言葉だったんだろうけど、広く人口に膾炙していく中で、「私の今のこの気持ちさえ満足できれば何でもええんじゃ」「それくらいまで徹する自分の気持ち肯定主義じゃ」って意味に変質させられてしまったんじゃないかと。
moriteppei.icon まあ、他意のない推しという意味が本来の意味だし、すっごく便利な言葉だし、本当はとてもいい概念だと思うんだけど、もうなんか何でも感情で評価しちゃう、対象が悪いことしても「推しだから!」みたいな正当化になっちゃう、推す=カネ使うみたいになってくると、そこの部分を警戒しなくちゃね、っていうことなんですよね。「最愛」もいいな。 moriteppei.icon 「推し」っていろんなニュアンスあるけれど、「恋愛とか別に要らなくない?」って意味もしっかりあったよね。恋愛なんていうクソゲーにハマってとんでもないことしでかすくらいなら、わかった上で真剣に推しを推す。そのほうがいいじゃん!っていうオルタナティブだったんだよね。
moriteppei.icon 「推し」のやることはどこまでも支持するのが「推す」ことだと信じてるバカがめちゃくちゃいるじゃん。「推し」なんて昔っからあったんだよ。なんなら全臣民が「推し」てたんだよ。大日本帝国を。天皇陛下を。 moriteppei.icon 単なる情報資本主義への積極的なコミットメント、要するに「商品の消費」でしかないのにそれを「推し」といって誤魔化してるだけ。本来は単なる「消費」でしかないものを「推す」と読み替えることで意味を書き換えることがポジティブだったんだけど、もうここまで手垢ついたら無反省にはその言葉使えんでしょ。 ちゃおコミっていうちゃおのwebコミックで連載してる、えるたま、という作者さんによる「エルピーと推しの生活」もちょうど流れてきて、消費はいいことだよ!って後押し洗脳するコンテンツ世の中に溢れすぎじゃないか、と思った。 この漫画、「起用してくれた会社に「うちの推し売り上げ持ってますよ」って証明しなきゃだからね」って推しがイメージキャラクターになった製品を必要以上に買い込んだり、CDとかも必要以上に買い込むのが「偉い」って褒めそやされてて、しかも怖いのが、お金ないのにバイト増やしてまで不必要な推しグッズ買ってるのが「偉い」って描かれてるんやで。
褒めるな。止めろよ、「今回は諦めたら?」って言ってやれ友達なら
https://gyazo.com/022d2ce51aa54a823b1ce890617e4304
第二話より。大人だからライブに行きまくれる。それこそ推し活だという表現。
https://gyazo.com/4d1eef3debdd080b9df961cefbd02b11
https://gyazo.com/d109c2396d7fbc7706d959a949d160f9
めっちゃイデオロギーなんだけど、でも、えるピー読むとそうした状況に対する皮肉も見える。
自分が課金してきたコンテンツがとんでもない地雷だったという可能性を前提に歯を食いしばってオタ活していくしかないんじゃないの。地雷だった時は崩れ落ちるしかないわけで、そこから立ち直るのは自分次第。
はちえす.icon 推し活は見返りがなくても、推しへ貢ぐべき。いくら貢いだかが推しへの愛のバロメーターと言っても過言ではない。ちなみに、わたしの最近の推しは日本。毎日、見返りのない税金を貢いでいるぞ☆ はちえす