テクノ・リバタリアン
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日本では残念なことに、 いまだに 「思想」 というと孔子や仏陀やプラトン、カントやマルクス、 あるいは 1980年代に流行したポストモダンのフランス思想のことだと思われているが、 科学とテクノロジーの水準が指数関数的(エクスポネンシャル)に高度化したことで、これらはすべて過去の遺物になった (進化論を無視して人間や社会を語ることになんの意味があるのか)。 その結果、いまや世界を変える思想はリバタリアニズムだけになっている。このように言い切れるのは、 Google、Amazon、 Meta ( Facebook)などプラットフォーマーの創業者、 チャット GPTなどのAI(人工知能) や、 ビットコインなどで使われるブロックチェーンの開発者がみなテクノ・リバタリアンだからだ。テクノ・リバタリアン / 橘玲 ・7ページ なお、この図ではうまく表現できないが、 国家を唯一の共同体とする「コミュニタリアン右派」が典型的な保守派だとするならば、マイノリティを含む多様な共同体を尊重する多元主義 (プルーラリズム:pluralism)の「コミュニタリアン左派」はリベラルと親和性が高い。 歴史的に「個人」よりも「世間」が重視されてきた日本では、「自己責任によって自由に生きる個人」を基礎とした欧米型のリベラリズムは浸透せず、右も左もその多くは共同体主義者だ。 「日本的リベラル」は、グローバルスタンダードのリベラルではなく、(「白熱教室」のマイケル・サンデルのような) コミュニタリアン左派のことだ。テクノ・リバタリアン / 橘玲 28ページ シリコンバレーの富豪たちを見ればわかるように、高度化する知識社会では、並外れた論理・数学的知能とイノベーションの能力には巨大な価値がある。 だがハイパー・システム化した脳タイプをもつ者は、「自閉症の子どもを生み出す可能性が極めて高い」のだ。 アメリカの調査では、自閉症の発症率は一般人口の1~2%だが、もっとも裕福な330 家庭のうち27 家庭 (約 8%) に自閉症の子どもがいた。 MIT(マサチューセッツ工科大学) の同窓生のあいだでは、 自閉症の発症割合は10%にも上ると囁かれている。テクノ・リバタリアン / 橘玲 56ページ 正規分布では定義上、 平均から1標準偏差の範囲に全体の約7割が収まる。 大衆社会では大半の娯楽はこの層に向けて提供されるが、そうなると高知能者 (IQ145=偏差値換算で80以上でも700人に1人しかいない)には楽しめるものがほとんどなくなってしまう。 この現象は当事者のあいだで、「高知能の呪い」 と呼ばれている (34)。なぜ周囲のひとたちが、 野球やサッカー、 アメリカンフットボール (あるいはアイドル)などに熱狂するのかわからず、 デートをしても相手と話がまったく合わないのなら、人生を楽しむことができるだろうか。 「高知能の呪い」 によって、莫大な富や成功はかならずしも幸福に結びつかないが、さらにやっかいなのは、 共感力が低く他人の気持ちがわからないからといって、痛みを感じないわけではないことだ。 マスクはひといちばい傷つきやすく、 X (旧ツイッター)で批判されるとしばしば感情的に反論し、多くのトラブルを引き起こしてきた。テクノ・リバタリアン / 橘玲 60ページ 「社会正義」を振りかざす左派(レフト)とのたたかいに明け暮れたスタンフォード大学時代に、ティールが大きな影響を受けたのがフランスの比較文学者ルネ・ジラールだった。 ジラールは文学作品に描かれた「欲望」を研究するなかで、 それが主人公の内面にあるのではなく、登場人物との関係から生じてくることに気づいた。これを発展させて 「わたしたちの欲望は他者の模倣である」 とするのが 「模倣理論」だ。テクノ・リバタリアン / 橘玲 70ページ マルクスとの論争に敗れたあと、ロシアの思想家クロポトキンなどのアナキストは、国家や前衛政党のような中央集権的な組織ではなく、 相互扶助的なコミューン (共同体)による無政府共産主義を唱えた。第二次世界大戦が終わると、 社会体制を転覆するラディカルな革命の可能性がなくなったイギリスから、 労働組合(という中央集権的な組織) を通じて政府のない社会を実現しようとするアナキズムが生まれた。これが「アナルコ・サンディカリズム(無政府組合主義)」だ。テクノ・リバタリアン / 橘玲 84ページ その一方で、 フリードリヒ・ハイエクやルートヴィヒ・フォン・ミーゼスなど市場原理を重視するオーストリアの経済学者たちは、市場の 「自生的秩序 (アダム・スミスの 「見えざる手」)」を重視し、ケインズ経済学を政府の介入を正当化するとして強く批判していた。 ミルトン・フリードマンらシカゴ大学の経済学者がそれを「新自由主義 (ネオリベ)」に発展させ、 1980年代のレーガンやサッチャーの経済政策に大きな影響を与えることになる。 経済学者のデイヴィッド・フリードマン(ミルトン・フリードマンの息子)や政治学者のマレー・ロスバードらは、新自由主義をさらに徹底させて、 「政府 (国家) なしでも経済活動は可能だし、より効率的になる」 という新たなアナキズムを唱えた。 こちらは資本主義によって国家を廃止しようとするため、 「アナルコ・キャピタリズム (無政府資本主義)」 と呼ばれたが、 そこで想定されている社会変革の主体は株式会社(という中央集権的な組織) だった。テクノ・リバタリアン / 橘玲 84ページ ところがその後、 インターネットによって世界中のコンピュータが接続されると、国家・政府はもちろん、組合や企業のような中央集権的組織も不要で、 完全な自由を保証された個人のネットワーク(自生的秩序)だけがあればいいとする、 より純化したアナキズムが登場する。 これが 「クリプト・アナキズム(暗号アナキズム)」だ。テクノ・リバタリアン / 橘玲 84ページ リバタリアンでハッカーでもあるジュリアン・アサンジは、 「すべての情報は公開されるべきだ」との信念のもと、暗号によって情報提供者の匿名性を守る内部告発サイト「ウィキリークス」を創設した。この野心的な試みは当初、ケニアにおける虐殺を暴くなどして賞賛を浴びたが、2010年、イラクのバグダッドに駐屯する米軍の情報分析官が持ち出した膨大な機密文書を公開したことで、アメリカ政府から「サイバーテロリスト」と見なされるようになった (49)。 その後、スウェーデンから性的暴行容疑で逮捕状が出され、ロンドンのエクアドル (当時は反米左派政権) 大使館に“亡命" したものの、 19年4月に逮捕された。アメリカはアサンジの引き渡しを要求しているが、 重罪が予想されるため、イギリス政府は国内で収監したまま対応を決めかねている。テクノ・リバタリアン / 橘玲・87ページ 「エクストロピアン」 は代表的な加速主義者で、エントロピーの法則 (エネルギーや物質は不可逆的に秩序が崩壊して散逸する)からの離脱を目指している。 「トランスヒューマニスト(超人主義者)」ともいわれ、人間の能力を機械によって拡張するだけでなく、 その究極の目標は「不死」の実現だ (エントロピーの法則は死の不可避性を象徴している)。 不死を手に入れる方法として期待を集めているのが、 (脳以外の)身体を機械 (バイオテクノロジーでつくられた人工内臓などを含む)に置き換えていく 「サイボーグ化」と、脳のデータを超高性能のコンピュータにアップロードする 「全脳エミュレーション」だ (55)。トランスヒューマニストは、 「生き物も機械も、 情報という観点から見れば同じ理論で説明できる」と考える。そこでは脳は、コンピュータより少々複雑ではあるものの、入力と出力のフィードバックループにすぎない。“わたしとは 「自己の活動を伝え、それによってさらに生成されるデータを伝える、 読み取り可能な事実と統計数字の集合」 なのだ(56)。テクノ・リバタリアン / 橘玲 101ページ ピーター・ティールはしばしば、「新反動主義(Neoreactionaryism)」とされる。 リベラルな啓蒙主義(Enlightenment)へのアンチテーゼで、「暗黒啓蒙 (Dark Enlightenment:ダーク・エンライトメント)」とも呼ばれる(67)。 暗黒啓蒙の主要な論者はアメリカのブロガー、カーティス・ヤーヴィンとイギリスの哲学者ニックランドで、 自由主義と民主政 (デモクラシー)は両立できないと主張する(68)。ヤーヴィンはさらに、資本主義と民主政も両立しないとして、数千、 あるいは数万の小国家が企業のように運営される体制を構想する。 アナルコ・キャピタリズムでは、国家を廃絶したあとに企業を中心とした社会が構築されるが、 ヤーヴィンは小国家 (ネオステート) が企業と一体化し、 それぞれが CEO(最高経営責任者) によって統治される世界を理想とする。 これはプロイセンの富国強兵の政治思想 官房学(Cameralism) とよく似ていることから、 新官房学 (Neocameralism : ネオカメラリズム)とも呼ばれる。 ヤーヴィンやランドは自由を至上の価値とするリバタリアンであり、テクノロジーによる社会改革を目指す加速主義者だが、 その一方でトランプを支持することから、 オルタナ右翼や白人至上主義との関係が疑われている。 その思想はトランプ政権の首席戦略官を務めたスティーブ・バノンとも似ており、これが「反動主義」 とされる理由だろう。 ティールもまた、 自由主義や資本主義が民主政のもとで繁栄できるかを疑っていることは間違いない。だが暗黒啓蒙というおどろおどろしい名称は、たんに 「リベラル」の価値観と合致しない者に悪意あるレッテルを貼っているだけで、 エドマンド・バークをはじめとして、リベラリズムには「民主主義」に対する長い懐疑の伝統がある(69)。テクノ・リバタリアン / 橘玲 111ページ イーロン・マスクやピーター・ティールを見ればわかるように、 わたしたちはいま、とてつもない富を獲得した、とてつもなく賢い者たちが、テクノロジーをエクスポネンシャル (指数関数的)に“加速させて社会を大きく改造する時代を生きている。 「よりよい世界」 「よりよい未来」 をつくろうとする彼ら(テクノ・リバタリアンの大半は男性) の意図はおおむねよいもので、 わたしたちの生活はよりゆたかに、より快適になっていくだろう。テクノ・リバタリアン / 橘玲 ・ 129ページ アメリカでは低学歴 (非大卒)の白人労働者階級でアルコール、ドラッグ、 自殺による 「絶望死」 が増え、平均寿命が短くなるという先進国ではありえない事態が起きている。 だがその原因は 「経済格差」ではなく、 失業によって 「生きがい」 や 「誇り」 が失われたことだ。 絶望死を研究したアン・ケースとアンガス・ディートンは、ウォール街やシリコンバレーから多くの大富豪が生まれ、 経済格差が拡大する一方の東部(ニューヨーク、ボストン)や西海岸 (サンフランシスコ、ロサンゼルス)で自殺者が少なく、工場の閉鎖などで労働者階級が仕事を失い、 経済格差が縮小した (みんなが一様に貧しくなった) 中西部のラストベルトで絶望死が増えていることを発見した (107)。 トランプ政権の登場を機にアメリカでは社会の分断についての実証研究が進み、 いまではほとんどの経済学者や社会学者は、 UBIのような現金給付によって社会問題が解決できるとは考えていない。テクノ・リバタリアン / 橘玲 158ページ 革命のような「大きな物語」の幻想がすべて潰えたいま、テクノ・リバタリアニズムが 「世界を変える唯一の思想」になった。 それが生みだすものがユートピアになるか、 ディストピアになるのかを決めるのは、わたしたちの 「自分とのたたかい」 なのかもしれない。テクノ・リバタリアン / 橘玲 177ページ マスクが手掛ける多様な事業のなかでも興味深いのは、ブレイン・コンピュータ・インターフェイス(BCI)を開発するニューラリンクだろう。 大脳に超小型デバイスを埋め込み、 脳の信号を読み取ってインターネットに直接、接続できるようにする技術で、サルでの動物実験を終え、2024年1月には麻痺などの障害をもつ患者への治験が行なわれた。 この技術が完成すれば、 念ずるだけでロボットを動かしたり、 思考がそのまま相手に伝わるテレパシーが可能になる。テクノ・リバタリアン / 橘玲 195ページ 日本の会社で合理化・効率化が嫌われるのは、リストラの道具になるからというよりも、これまで安住してきたウェットで差別的な人間関係 (日本ではこれが“理想の共同体とされる) が破壊されてしまうからだ。その結果、日本では右も左も 「グローバル資本主義の陰謀から日本的雇用を守れ」 と大合唱することになった。「自由」 を恐れ、 「合理性」を憎んでいる社会では、リバタリアニズムや功利主義が受け入れられるわけがない。日本ではヨーロッパ哲学やフランス現代思想 (ポストモダン)については数え切れないほどの本が出ているが、リバタリアニズムは無視されるか、アメリカに特有の奇妙な信念(トランプ支持者の陰謀論)として切り捨てられている(132) だがリバタリアニズムは、いまや指数関数的に高度化するテクノロジーと結びつき、 世界を変える唯一の思想=テクノ・リバタリアニズムへと “進化”しているところが日本の偏った言論空間に囚われていると、 イーロン・マスクやピーター・ティール、 あるいはオープンAIのサム・アルトマンやイーサリアムのヴィタリック・ブテリンがリバタリアンであることの意味がまったくわからない。テクノ・リバタリアン / 橘玲 201ページ