言葉の定義ではなく事象にこだわる
議論をうまくやるためには、「定義する」ではなく「名指す」とよい$ %「定義」や「名指す」という表現はミスリーディングだったと反省 このページの経緯
その理由として2つ挙げられた
2. 言葉を個人が自由に定義できると考えるのがそもそもの間違いだから
なぜ議論では言葉を定義するべきなのか
この問いに対して、「議論を円滑にするため」という答えがありうる
定義の目的は、議論において話の食いちがうが起こることを防ぐことだ
しかし、「定義は議論を円滑にしない」と久住哲.iconが主張。
そこに異議があった。
議論の前に言葉を定義することが議論を円滑にするとは思われない。仮に円滑になったとしても、その議論からは初めから決まっていた結論が演繹されるにすぎない
ネット議論における「定義」
ネット上の議論では定義が有効ではない
↑「ネット上の議論」にも色々あるし、定義の有効性も色々ある。
定義は無視されがち
ネットでなくても、複数の人がその場で同時にやり取りするときには、「定義」に議論の円滑化の効果はさほどない
「定義は調整できない」という問題提起。そこに異議あり。
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コメント
いくつかの論点が混在している
「定義」と「名指し」という表現の適切さとか、その意味とか$ %不適切と判断
自分の定義だとか自分の語感だとかいう、そういう「自己表現」についてのこととか
2022/1/11のログ
色々と別ページに切り出した
「命名」と「定義付け」の対立軸は、「事象を扱う」と「言葉を扱う」か?
そんなかんじです。
色々みてますが、もしかするとタイトルは「言葉の定義ではなく事象にこだわる」みたいなものの方がいいのかもしれない。
たしかに.icon
「命名」でも「名指す」でも微妙に「こういうもの」と言う作業が入る気がして、「こういうもののことをAと呼ぶ」と宣言する作業は、「定義する」という言葉に乗っ取られそうな気がする。「事象Aのことを単語Bと呼ぶ」という定義づけ、ととらえられそうだから、混乱する。よりは骨子の「言葉の定義にこだわらず、互いが指してる事象の違いを見る」としたほうが主張がスムーズそう。
というコメントも、ここらへんについての指摘だろう
Aさん:「事象Aのことを単語Bと呼ぶ/呼んでいる」/ Bさん:「事象Bのことを単語Bと呼ぶ/呼んでいる」
二人は同じ単語Bを使って議論しているが、指す事象が違うために話が噛み合わず、不毛な議論になりかけている。
このとき、「単語Bが事象A,事象Bどちらを指すか、あるいはどちらも指すか」を議論しない
むしろ単語Bから離れるように「事象A・事象Bそれぞれに新しい名前をつける」ことで議論の明瞭化を試みる
というようなことだと思った。