創造と力
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なぜ『構造と力』だったのか
当時、話題性のある日本の現代思想系哲学書の筆頭で、それを読めば大まかな現代思想の現在地くらいは分かるだろうと思った いま考えても、まあ悪くない選球眼だったと思う
隠れた前提に気付く
結局のところ、これは、情報爆発に対する敗北宣言なのだと思った 簡単に言ってしまえば、もう世の中複雑過ぎて誰にも整理がつかないよね、という前提に依拠して構築された思想群
当時、意味符号化システムなどというものを構想していた私は…… この前提が、「崩れうる」ということに気付いてしまった
ここで、例えば、人間の情報処理能力を飛躍的に向上させる(知能増幅)技術を作ってしまったらどうだろう? 私はこの頃の自分がちょっとこわいと思うことがある
天才とか、そんなすっきり後味の良い言葉では表現できない何か 妖怪じみた何か、妖才だお前は
ちなみに、手の届かない葡萄が美味いかどうかを議論する前に、木にはしごをかけてみよう、という思想的態度を私の用語で「雑用主義」という 雑用主義とは要するに、議論が暗黙の内に依拠している環境に着目する考え方
更に、日本の思想的伝統には現代思想の病を克服する力があるという立場を「日本綜合論」と呼ぶ っていうか、絶対的と言えるものなんかなくて何でもありなんでしょ?じゃあ絶対的なものを追い求めることも否定できないよね
それを無意識のうちに排除してしまうのは、結局「無力感」が根底にあるから
新現代思想とは要するに、旧現代思想が失っていた近代思想の人類知への限りない希望を知能増幅技術で回復させた思想 「新しい普通の人」の創造
歴史には二周目があり、三週目も四週目もある
歴史もまた散逸構造なのであり、混沌化と秩序化の過程を繰り返していく つまり、「歴史は創れる」
我々は現代という名の「新しい中世」から「新しい近代」を作り上げていく過程、「新しい近世」に立っている
それはやがて「新しい古代」となり、また「次の新しい中世」がやってくる……
「現代」というのは、その過程の中にある我々の現在地のこと
その想像力がそのまま創造力になる
無骨格の資本主義、外骨格の共産主義、そして内骨格型社会システムへの進化
「創造と力」というのは、昔からこの時のことを思い出すたびに頭に浮かんでくる言葉で、まあアンサーソングの題名みたいなものかhiro.icon
旧現代思想のキーワードが「構造と力」なら、「創造と力」は良い対置だな
ここで語っていることの意味の大きさ、一体どれだけ伝わってるんだろうな……
まあ、一度伝わってしまったら世界史級の大事件になるのだが
私が希哲館事業を「世界史上最大の事業」と呼んでいる時、多くの人が、また大袈裟な、と思ったことだろう
それが困ったことに、どれだけ小さく見積もっても世界史上最大の事業ということになってしまうんだよな……
これが本当の「日本すごい」だよ
N10K騒動での1万ページがどうこうなんて、実はちっぽけな話 みんな、その背景にあるものが知りたかったんでしょ?
ここまで語って、当時の私の心境がちょっとは推し量れようというもの
デライトが真に革新的な、人類知を更新しうる個人知識管理技術であることを証明する、これ以上の「技術デモ」がありうるだろうか そしてCosenseも真に革新的な知識共有技術であるかどうか試されている デライトは新現代思想を育んだ場、井戸端はそれが初めてデライト外で語られた場 我々はまさに人類知の最前線に立っているのだ