アイデアの再表現
車輪の再発明に端を発する造語
アトリビュートもある種そうなのかもしれない
いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ ―19世紀の映像装置とメディアアートをつなぐでは車輪の再発明としていたけど何を再発明したのかが難しくて、やっていることはアイデアの再表現だろうという見解
これは車輪の再発明のところで議論しているのでそちらをご確認ください
同じアイデアで作品を作ること。
二番煎じになりそうなものだが、案外ならない。
それどころか差異からオリジナリティが出てくることも多い。
「この発想ってもうやられているよなー」は止めたい理由にはなれど、止める理由にはならない。
例えば一つの表現技法によるワークショップがあったとして最後にみんなで小さい作品を作って提出したとしたら、それがそれぞれおなじになることはないし、その差異を見て楽しむことになるだろう。
琳派
俵屋宗達の風神雷神図屏風
https://gyazo.com/3b58868f6d69e8da11e4c9200ef19709
https://crea.bunshun.jp/articles/-/4878
製作年については17世紀前半の寛永年間、宗達最晩年の作とする説が有力だが、法橋印が無いことや、おおらかな線質が養源院の杉戸絵と共通することから元和末期(1624年)頃の作とする説もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/風神雷神図
尾形光琳の風神雷神図屏風
https://gyazo.com/42ac52c14808a9186c46561bdff6987c
https://www.moaart.or.jp/events/korinfujinraijin/
宝永末年(1711年)頃 wikipedia情報
酒井抱一の 風神雷神図屏風
https://gyazo.com/c0087ded027a35914f5eac38f790252d
https://idemitsu-museum.or.jp/collection/painting/rimpa/04.php
文政4年(1821年)頃作 wikipedia情報
受胎告知なんかより100倍そのままの構図、そのままの態勢。
だいたい百年越しごとのリメイクですごいタイムスケール。
江戸時代の異様とも言える長さもうかがえる
尾形光琳に関しては『紅白梅図屏風』も見なければならない。
https://gyazo.com/51468cafe90988502f740d8971c67bce
https://ja.wikipedia.org/wiki/紅白梅図
考察: