私たちのチームは結果に対して同意してるのであって、時間や方法等のあなたが消費したリソースではない
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リモートワークの方法論みたいな話でもあり、「ポストAGIの雇用の仕方」では当たり前になるものっぽい
tkgshn.iconが、最終的に世の中に出るクオリティチェックだけして、自分はアーキテクトに徹さないといけないをやり続けるためにはこのコミュニケーションを常に取り続けなければいけない
「雇用関係ではない」「会社ではなくプロジェクト」「チームを作るとは」
前提
命令とマネジメントの違い
自分が、作業工程の全てを知っている場合は命令の立場を取るのでプロジェクトはうまくいく
俗に言う、プレイングマネージャーという状態。
これはマネージャーではなく、監督でしかない
高度なプロジェクトを進めていくにつれ、全貌をマネージャー1人が把握することは出来なくなってくる
専門知識を求められるプロジェクトであれば尚更
専門家はマネジメントできない
「情報はフリーになりたがる」や、トリクルダウンはお金ではなく、テクノロジーやモノという形で起きるという話を前提とするなら、コモディティ化した商品は安くなり、その価値はよそに移っていくという結論になる
「専門家じゃないとできないこと」は減っていってる
「専門家じゃない作業の範囲はChatGPTにやらせればいい」
つまり、専門家しか雇う意味がない
その結果、採用側としては、汎用性のある見る目を肥やすべき(審美眼)という結論に至る
私たちのチームは結果に対して同意してるのであって、時間や方法等のあなたが消費したリソースではない
「時間」などの”使ったリソース”ではなくて最終的なアウトプットでコミュニケーションができるようにしてほしい
プロフェッショナルとしたら当たり前か。
一旦成果物に合意したのであれば、それの作成に3か月かかろうが、1日だろうが、マネジメントの観点だと同じ値段しか払えない
そして、「早くできる人」に対して多額のお金を払うのは必然だと思う
期待値調節が出来ない場合、マネジメントコストが発生してしまう。監視しなければいけない
一旦約束を破ると、後からマネジメントコストが発生するので給料は絶対に上がらない
自分で言ったことは達成してほしい
報告の粒度を調節させるとかも、コミュニケーションの問題。期待値調節の問題。
#これも「コミュ力」だね