汎用性のある見る目を肥やすべき(審美眼)
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「審美眼こそが、汎用性のあるスキルである」と提唱していきたい しかし、全くの事前知識がなくても"そのモノ自体"に気づけるかどうか?というのは大切かもしれない
名画の話もそうなんだけど、そのモノ自体は初見でも、「何かコイツは違う」みたいなものに気づけるかどうか ある王様は自分の専門領域を増やすのではなく、本当の専門家たちを見抜く能力(すなわち「審美眼」)をつける方がいいと言いました。みたいなのの出典が思い出せない。この言葉に出会ってからというものの、審美眼を鍛えるために何かを捨てることに躊躇がなくなった。
審美眼の話で言うと、なんかのセリフに「必要なのは専門家が”ほんとにその分野の専門家なのかどうか”を見分ける力」みたいなことを言ってた気がする。すべての分野に精通する必要はないけど、より抽象的なところでも見分ける必要はあるよね、という話。 センス なんか王様みたいな人?が専門家?に仕事かなんかを頼む時の話だった気がする。 数値的なものって比べたり質量的なものって失ったりするのでどうしたらいいんだろうな〜と思ってたけど、やはり汎用性があるのは審美眼というところに何回目か分からないけど辿り着いてる。モノ自体に詳しくなくても、モノを扱う職人を本物かどうか見極める才能。
審美眼に繋がってくる話だけど、自分が1つの業界でモノを見続けても1つの業界でしか価値でない こういう「専門家に依頼するときの本」で審美眼的なもの、メタ的な経営スキルみたいな本はもっと読んでいきたい。
> デカルトは安定した人生を送るためには物事の真偽を確かめる術を身につけなければならないと考える そこで、真実とは何かを追求するために書物を読み、旅をする。「私は行動するときにはっきりと物事を見定め、この人生を安心して歩むために常に真と偽を見分けられるようになりたいと強く願っていた
上記の文章が書いていることは、は零度の社会で知った