コンテンツとコンピテンシー(汎用能力)
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概念移転、学び方の学び方
コンテンツからコンピテンシーへ。世界中の教育における潮流の変化なんやけど。
「何を知ってるか」(コンテンツ)ではなく、「何ができるか」(コンピテンシー)へと知識観は移行している。
教育が持つ働きは2つ、コンテンツ(数学や理科など)とトレーニング(学習訓練)
前者は社会では使わないが、後者はめちゃくちゃ必要
スキル習得の順番
文系の方が理論的・概念的な思考は身に付く気がしている
理系はまんまサイエンスで相関性とかは予め決まっているイメージ。
点と点を結ぶ能力になるのは前者。
個人的な考察としては、「文系・理系」という分け方ではなく、『知識と知恵』に分けられると思っている。
それも、選択制なのではなく、学習フェーズによって変わっていくものだと思っている。
最初は知識系で、後から結び付けていく(知恵化・体系化する)ことがポイントになると思う。
オンライン授業は一概に悪いと言えない
これが混合されて「オンライン授業=悪」みたいな構図がTWとかでできてるのは違う
知識は自分で学ぶことができる気がする。
ものすごく体系化されているし、教科書もあるし、MOOCsもある。
知恵は、体系化はされていないのかな?
”(命題自体を)指しにくい” というのもあるかもしれない。
限界まで示唆が富む空間にいたとしても、概念や知恵を直接的に教えることは難しいかもしれない。
言語化もあんまりされてない(無限にあるっていうのもある)
Minerva Universityとかそんな感じかも
教育の中でも知識(コンテンツ)が民主化されたときに恩恵を受けるのは誰か。何が必要なリソースになるのか?
考えてて最強だな〜と思ったのが、「技術的・知識的な理系への関心を持ちつつ(自分で学ぶことができる)、歴史やロジック・転用で文系的な授業?を受けてくる」というのが一番強い気がする。
どこにでも転用可能な力を後者(文系)でつけることはできるのだろうか?
そんなことを考えながら、市場価値が高いという理由で思考停止して「大学で学びたいものはCSです!」というのを辞めたという話でした。
転用可能性ってのは多分教育の言葉で言えば、「転移」かな。汎用的な能力の転移について考えるなら、やっぱミネルバが参考になる。
https://t.co/WAwuqOh7xd?amp=1
千葉大がまとめてるコンピテンシーの定義が面白い
https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/gp/competency_pro/competency/definition/
リベラルアーツ学科が筑波大学に追加されたときのTwitterの声をみた、ほぼ批判だった
理由:進振りを決定するさいの評価制度が相対評価。進振りでミスって大学辞めるケースも
関連:九大。ICU。金沢大。北大。東大。筑波(New)
アメリカではリベラルアーツの学部は一般的だよね、Yaleみたいに”授業は受けたいけど成績つけて欲しくないです”みたいなオプションがあったり。
失敗の原因は相対評価だったり、上限数を決めるとかの構造・作り方っぽい。
文系理系をベースにリベラルアーツ学科を作るとこういう感じの失敗があるっぽい。
P:文理分けナンセンス、じゃあどこに行けばいいの?
R:なぜなら知識と知恵の話だから
E: アイビーと国内のリベラル系の仕組み
P:分けるときの仕組みが大事
オンライン授業とかも同じ概念
MOOCsとかで学べる「知識」と、対人スキルの1つである「知恵」
Minerva Universityとかは後者にフォーカスした授業を行っている
“今回の結果は,新しい知識・概念の修得に限定すれば,教室での対面授業は,オンデマンド型授業に対して,必ずしも優れていないことを示しています.つま り,教室での対面授業が知識を伝えることだけに終始することになるならば,その意義が失われる可能性を 示唆しています” https://t.co/nNH5kOwRDD
— 稲見昌彦☁INAMI Masahiko (@drinami) July 18, 2020