クリエイターと世界認識・世界記述
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デッサンって、「世界認識」と「世界記述」そのものだから、デッサンを公開することは、そのまま己れの世界認識や説明力の解像度を公開する行為なんだよな…あるいみ、素っ裸になるより恥ずかしい。
@fladdict March 13, 2021
デッサンだけではなく、言葉を綴る行為や会話(対話)も同じように解像度が見える行為だと思う
だからこそ、解像度高くものを見る必要がある
pathroad721120が綴る文章が美しく惚れ惚れするのは、彼女?自身の視点に惚れているから
恋人(fu_mogu)にも同じものを感じる
木村伊兵衛 展でも同じようなものを感じた(写真)
アーティストという生き方について
「おしゃれ」という言葉を使わないようにしているとかはまさにそうで、簡単な言葉として現象を消費することの危惧
命題のコモディティ化が進めば進むほど、表現する言葉の解像度は下がる一方だと感じる
似た意味に「環世界」というものがあるらしい
環世界(かんせかい、Umwelt)はヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した生物学の概念。環境世界とも訳される。
すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え。ユクスキュルによれば、普遍的な時間や空間(Umgebung、「環境」)も、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる。ユクスキュルは、動物主体と客体との意味を持った相互関係を自然の「生命計画」と名づけて、これらの研究の深化を呼びかけた。環世界 - Wikipedia