批評をするにはかなり解像度の高い理解が必要
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"批判・批評"をするにはかなり解像度の高い理解が必要
「世界一流エンジニアの思考法」を読んで昨日の夜、寝る前に考えていた
例えば、tkgshn.iconだったらGrafferの良いところも悪いところも言及できるし、「どうあるべきか」みたいなのも書くことができる
https://twitter.com/0xtkgshn/status/1776118822954815871
ただ、SusHi Tech Tokyoが実際にどうなのかは分からない。あんまりよく分からないまま煮え切らない批判をしていたなと思う。(これはやっている人からすればフィードバックですらない)
良い批評とは、半分の嫉妬と半分の期待から生まれるのかもしれない
(簡単な順番に)レベル感的には次のような感じなのだろうか?
1. 翻訳・要約
2. 説明(≒理解)
3. 批判・批評?
理想像がないと批評ができない?
批評は、問いである?
啓蒙してくれるのは答ではなく、質問なのだ
「問い」を書けるツイッタラー・ブロガーは少ないはあんまり情報量ないけど関連ページではあるのかtkgshn.icon
レヴィ・ストロースも「批評はすでにあるものから始める」みたいなことを書いている
批評的な思考は作品という構造体を用いて他の構造体を作り上げる
作家は概念を用いて、批評家は記号を用いて作業する
批評#609d230709c5f20000f56e90
ただ、起業家をソフトウェア作家とみなすなら、必ずサーベイが必要になる。
ある意味、歴史を批判するためにモノを作っているというふうに解釈ができる(社会彫刻)
俺ならもっとうまくできる
最も良い批評の形は、歴史を越えることなのかもしれない
「社会彫刻」という言葉の解像度を上げる